「手描きの時代」育ち-1・・・・途中の喪失

2008-03-05 13:16:53 | 設計法
[文言追加:17.46]

いまやCAD全盛。建築系の学校で、製図室から製図板が消えたという。ある設計事務所の所長が、所員は建築系の学校を出た人である必要はない、コンピュータを扱えればいいんだ、と言うのを聞いたことがある。
いま、製図板がいるのは、建築士試験の製図のときだけらしい。それゆえ、試験のためにだけ手描きの練習!建築士資格試験が「遅れている」のだろうか?

二級試験の製図の講習会につきあったことがある。たよりない線で、どう見ても車の停まれない狭いパーキングを描く。車を持っていないのかと思って訊ねたら、白ナンバーのワンボックスに乗っているという。長さどのくらいあるの?と訊くと3mぐらいかなとの答。おいおい、白ナンバーの軽自動車かい?図面でパーキング描いたことないの、と更に訊くと、ある、との返事。更に詳しく訊いたところ、自分で調べて描いたのではなく、CADまかせだったのだ。

もう知る人が少なくなっているのだろうが、唐木順三(からき・じゅんぞう)という評論家(明治37年~昭和55年)がおられた。この方は本当の意味の評論家。私の世代のかなり多くの方が、この方を尊敬している。
唐木氏の著作の一つに「途中の喪失」というエッセイがある(「現代史への試み」筑摩書房 所載)。
いま手許にないのだが、たとえばスクールバス。各家庭から学校へスクールバスで送迎する。学校への往復という「目的」は確かに早く安全に?達することができる。では、バスに乗っている時間は何だ?いつもの友達はそこに確かにいる。バスに乗っている間、何があるのか。
もしかすると、乗っている時間が短ければ短いほどよい、とまわりの大人は思っているのではないか。その時間がもったいない、と。

ひるがえって、バスのない時代、子供たちは、バスに乗っている時間よりもはるかに長い時間を歩かなければならなかった。今私の住んでいる地域の子どもたちは、小学校まで歩いて50分。私も疎開先の小学校では、そのくらい歩いた。雨の日も雪の日も・・・。
しかし、はたして、この長い時間はムダだったのだろうか。ムダなのだろうか。
少なくとも、子供たちは、自分の家と学校の往復の長い長い時間、そこに展開する空間をも体験していた。端的に言えば「道草」である。そして、そこで得るものは、バスに乗っている時間で得るものに比べて、数等価値があった。
唐木氏は、このことを論じている。目的を早く達しさえすればよいのか、途中の大事さ、つまり自分の家から学校という目的地への場面の転換、その過程を無意味なものと考えてしまってよいのか、過程があるからこそ目的へ至るのだということを忘れて、あるいは気付かなくてよいのか、と。
いま思い出しても、疎開先での学校への行き返りは、はっきりと覚えている。学校での思い出は、暗い教室と、渡廊下のすのこのささくれで足の裏にけがをしたことぐらい。あとひとつ、校舎の中を流れていた小川。そこは掃除のときの水汲み場だった・・・。

唐木氏は、同様のことを、各駅停車と特急との比較でも述べられている。簡単に言えば、現在地と目的地との間に存在する場所が、無視されて認識されてしまうが、それでよいのか。
それは、あることを人が為す場合に当然かかわらなければならない「過程」「途中」の喪失である。「途中」や「過程」は無意味なものなのか。

同様の趣旨を、幸い手許にあった唐木氏の別の書から引用しよう。

「・・・現代において、人間の生活、生涯が断片化し、瞬間化し、昨日と今日、今年と来年との間の精神のつながりが希薄になったことが言われている。これにはいろいろな原因があろう。たとえば仕事が分業化し、専門化し、機械化して、人間の経験、過去の蓄積を不用にするという傾向が強まってきているということもその原因のひとつであろう。さらにいえば、その人の個性を必要としないのみか、反って個性を邪魔者にするような職場、仕事が多くなってきた。
・・・経験も個性もいらないということは、人間から誰々でなければならぬということを奪い、アノニムな存在、即ち誰でもかまわない誰かでことすむということである。そういうことを長年にわたってやっておれば、人間の断片化は当然に起ってくるだろう。
・・・人間が断片化し、瞬間瞬間に生存する存在に化するということは、自己自身に対して責任を負わなくなるということである。また自分自身の一生、生涯というものをもたず、年毎に深まる年輪をもたないということである。夫婦、親子、師弟、友人の間柄が、そのときどきの都合による結びつきとなって、持続する愛情も尊敬もなくなるということである。これは人間にして人間らしくない生き方、非行人間だと私は思う。過去を負いながら未来を思い、現在において現在を超えたもの、即ち人生や自分の存在の意味を思い、その意味を認知することによろこびを感じ、また現在の自己に不満を感じるということが、人間を他の動物から区別している特質である。
・・・真に人間らしい人間とは、奥行のある人間のことである。・・・・現在の自己を、永遠という広く深い背景において思い、自己の周辺を永遠とのかかわりあい、すなわち運命とにおいて思い、自然をもその背景における同類として思うということが、奥行の内容といってよい。このとき、自己も人間も、また自然も、断片ではなくなるだろう。・・・」(「考え、待つということ」昭和40年:1965年:2月「神奈川県教育月報」:「詩とデカダンス」1966年12月講談社刊 所載)

私が建築学科にすすんで、はじめて設計図面を描いたときを思い出す。線一本を描くときのあの「重圧」。線がひけないのである。この一本の線は、何を意味するのか。なぜここに、この場所に描かれなければならないのか。簡単に言えば、どこに線を引けばよいのか・・・ということ。
いま考えてみれば、そこで、設計ということの根源的な意味を考えさせられたのだ。
紙を前に戸惑っている間に、CADならあっという間に線を描いてくれる。早いことはいいことだ・・。もしかしたら、いまCADが盛んになったのは、この速さのせいなのではないか。
早いことは確かにいいことかもしれないが、ただ早ければいいというものではあるまい、と私は思う。考えることを忘れてしまうのではないか、少なくとも私はそう思う。紙を目の前にして呻吟するのは、無意味なことではない、と私は思う。

昔はトレーシングペーパーに鉛筆描き、または烏口で墨入れの上「青焼き」、あるいはケント紙に鉛筆描き・墨入れ、があたりまえ。墨入れ前にはかならず鉛筆描きがあった。

   註 いまや「青焼き」という言葉を知らない人が多いだろう。
      私の学生のころ、それまで普通だった「青焼き」が
      「白焼き」に代り始めていた。
      「青焼き」は青写真、青地に線が白く出る。
      「白焼き」はその逆、白地に線が青く出る。

鉛筆描きの場合、呻吟の過程は、消しゴムで消しても筆痕が紙面に残る。しかし、そういう経験を積み重ねているうちに、結局は、一番初めに考えたことが一番いい、ということにも気がつくようになった。呻吟することを通じて、何を考えたらよいのかが、徐々に、おぼろげながら、分ってくる。

こういう手描きの時代、先人、先輩たちの手描きの図面を見て(もちろん、実物を目にすることもあるが、大半は印刷物になっている図面である)、どのように描くと対象を髣髴とさせる図になるか、を真似をし学んだものだった。そしてそこから、何を描き、何を描かなくてよいか、をも学んだのである。
不思議なもので、手描き図面には、描く人がものの見事に現れてしまう。数人で手分けをして描くとき、仕様を同じにしておいても、すぐに誰が描いたか分ってしまうのだ。
これに反して、最近のCAD図面は味気ない。個性はおろか、対象を髣髴とさせる図面に会うことがない。そうだからこそ、図面の良し悪しではなく、「内容」が勝負になる、だからいいではないか、と言う人もいるかもしれないけれども、いかんせん、その内容もCADまかせ。つまり、呻吟して生まれた内容とは到底思えない場合が多いのだ。

文を書くのは、かなり以前からワープロを使っている。だからと言って、文を書くのが早くなったわけではない。楽になったのは、文の推敲が容易に早くできるようになったこと。ただ、紙とは違い、推敲の過程が残らない。それが欠点。だから、文を書いている途中で、何度もプリントアウトする。そうやって「欠点」を補っている。これから先、多分原稿用紙に書くことはないだろう。

しかし、図面をCADを使って描く予定はまったくない。
文は、スケッチを頭の中でやって、キーを打って文章にする。
けれども図面は、スケッチを紙の上に描くしかない。頭の中で描いたものを、紙の上に、描きなおす作業がいる。しかも、同じ紙の上に、いろいろと重ねて描く。ときには何度も消しゴムで消す。紙を替えたら意味がない。なぜなら途中、過程が見えなくなるからだ。考えることが続かなくなるからだ。そして、そういう紙が、本番までに何枚も残る。本番だって、二度三度と書き直すことがある。本番のつもりで描いてはみたものの、まだ不満な点を見つけるからだ。[文言追加]

この点について、唐木氏は、先のエッセイの冒頭で次のように書いている。
「ラジオやテレビにいわゆる教養番組が多くなった。また日本や諸外国の文物風土を紹介し、現状を分析批判するような現地報告の番組も多くなった。それらはそれぞれにおもしろい。おもしろい以上に、ときにわれわれに疑問をなげかけてくる。ところで残念ながら電波ジャーナリズムというものは、疑問を自分で考えてみたいから、一寸待ってくれ、といっても待ってくれない。電波の機械的テンポをもって、さっさと歩み去ってしまう。われわれは考えることをやめて、眼や耳でついてゆかなければ前後の脈略を失ってしまう。・・・」

次回は、私が昔、勝手に師事した先達の設計図面をいくつか紹介したい。もちろん手描きである。[文言追加]

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煉瓦を積む-3・・・・木骨煉瓦造:図面補足追加

2008-03-02 10:29:16 | 設計法

更に図面追加。工程写真に相当する西側の立面図。実施設計図より。
コメント (2)
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煉瓦を積む-2・・・・木骨煉瓦造:図面補足

2008-03-02 07:16:29 | 設計法

図面が読みにくかったので、部分詳細図面だけ編集し直しました。
図面名称は省きました。

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煉瓦を積む-1・・・・木骨煉瓦造

2008-03-02 01:58:33 | 設計法

[字句修正 10.44、3月3日 2.29]

07年3月14日に「煉瓦の活用」として紹介した建物の、煉瓦積工程を撮った写真が出てきた。

この建物は、喜多方の煉瓦蔵の方式に倣って木造軸組に外側から煉瓦をはめ込む積み方をしている。
ただ、喜多方では大半の建物が全面を煉瓦でくるむのだが、ここでは内法差鴨居下端まで。
したがって、内法寸法は、煉瓦枚数を勘案して決めている。上掲の「煉瓦標準割付図」参照。1段70㎜で計算(標準寸法60㎜+目地10㎜=70㎜/段)。[字句追加 3月3日 2.29]

   註 普通煉瓦の規格寸法:長さ210×幅100×厚60㎜ 

工程写真は、建物西側の台所~食堂~居間の西側の壁を積んでいるところ(上掲の「全体平面図」および「部分平面図」「部分断面図」参照)。
なお、「煉瓦標準割付図」「平面詳細」「部分断面」は、実施設計図からのコピー。全体平面図は「住宅建築1987年12月号」から転載加筆。

写真①で、煉瓦上面に、次段を積む用意として、目地材が全面に置かれているが、これは「砂漆喰」。
「砂漆喰」は気硬性のため、水硬性のセメントモルタルとは異なり、すぐには固まらず、数日分つくっておくことができる。保管は空気があたらないようにカバーをかけておけばよい。これは作業上きわめて都合がよい。

また、「砂漆喰」には調湿性もあるので、何年経っても一定程度弾力性・柔軟性がある。そのため亀裂も入りにくい。新潟地震の際、喜多方の煉瓦蔵では、古い砂漆喰を使った建物では、亀裂が生じなかったという。

   註 このⅠ邸の場合、冬季、カラカラに乾燥した頃、
      内法下部:煉瓦と差鴨居の接点に若干隙が生じたが、
      乾燥が納まったら、元に復したという。
      竣工後20年を経過したが、今のところ亀裂はない。

煉瓦を積むにあたっては、左官用の舟に水を張り、煉瓦をしばらく漬けておく。
普通煉瓦は吸水性があるので、それをしないで煉瓦を積むと、目地材の水を吸収してしまい、接着に不具合を起こすからである。
ただ、水に漬けると、ただでさえ重い煉瓦は更に重くなる(1個3キロ近くなる)。大体、1日あたり200~250本積むのが妥当のようで、それ以上積むと、翌日仕事にならない。手が動かなくなるのである。

写真③は、①のやり方とはちがい、1枚ずつ漆喰を盛って積む普通の方法。
写真では見にくいが、定規の糸が張ってある。
煉瓦の寸法は規格があっても1枚ずつまったく異なる。長さは規格では210㎜だが数㎜の狂いがある。厚さ60㎜も同様。そのため、高さ70㎜ごとに糸を張り、煉瓦上端の前面角(かど)を糸にあわせ、横方向は「見た目」で按配する。この作業は、壁面全体を常に見渡すことに慣れている左官職がうまい。一方、タイル職は、寸法が正確なタイルを日ごろ扱っているためか、「目地幅を揃えること」の方に気がいってしまい、結果として面としての仕上りはうまくゆかない(目地幅を揃えることは不可能といってよい)。[字句修正10.44 3月3日 2.29]

なお、この設計では、1間6尺を8枚で割り付けている。したがって1枚あたり7寸5分≒225㎜。つまり、現在の規格煉瓦では、目地幅は平均15mmとなる。喜多方で使われた煉瓦は、現在の寸法よりも多少大きめ。
通常、煉瓦の目地は10㎜とされる。煉瓦の規格である210×100㎜という寸法は、この目地寸法から決められたもの。
すなわち、小口2枚+目地10㎜=210㎜。

軽井沢の山荘でも、設計図ではこれと同様の割付にしたのだが、施工した煉瓦積に慣れている職方がいっこく者で、この割付と無関係に積んでしまった。結果は、煉瓦積と木軸とが分離した感じになってしまって、見栄えはよくなかった。それは、木軸部の寸法と煉瓦部の寸法が整合していないからなのだ。


④⑤⑥の暖炉は追加工事のため、実施設計図には記載がない。暖炉部設計図を探したが見つからないので、今回はあきらめた(暖炉は完成後、よく燃えた)。

機会があれば煉瓦積を、単なる化粧ではなく本格的に使用したいのだが、なかなか出番がない。そうこうしているうちに、この建物で使った煉瓦を製造した「日本煉瓦製造KK」は煉瓦製造を終了してしまった。
この会社は、国の「建築の近代化」に呼応して、渋沢栄一の肝いりで創設された会社。碓氷峠の鉄道関連施設の煉瓦は、ここの製造になるもの。
工場は埼玉・深谷にあり、当初(明治期)の煉瓦製造焼成窯:ホフマン窯が重要文化財として保存されている。
 

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