
そろそろ知る人も少なくなるのではないか、と心配したくなる前川國男建築事務所の設計事例とその図面をいくつか紹介したい。
私の学生時代、『建築』という雑誌があった。創刊5年間ぐらいは編集がしっかりとしていて、ときどき特集が組まれ、その中に「前川國男」特集があり、夢中で見たものだった。
前川國男 氏は、1986年没。ここに紹介するのは、1990年に刊行された『前川國男作品集』(前川國男作品集刊行会 企画、宮内嘉久 編集、美術出版社 刊)から転載させていただいた。
写真は、この作品集のために、村井修 氏が全国をまわり撮影されたもの。
村井修 氏は、渡辺義雄 氏とともに、当時最もすばらしい建築写真を撮る方であった。単なる映像ではなく、建物:空間が目の前に髣髴とわきあがってくるがごとき写真。最近の建築写真にはない迫力。
渡辺義雄 氏は「奈良六大寺大観」(岩波書店 刊)のすばらしい写真を担当されている。
上掲の前川國男・自邸は1941年の建設。
図は竣工図にあたるものと思われる。もちろん手描きである。
平面図は、縮小しないで、半分だけスキャンさせていただいている。
この建物は、元は東京・上大崎にあったが、現在は都立小金井公園内の、「江戸東京たてもの園」に移設、保存されている。上掲の写真は、移設前の姿。
移転直前はどういう状態だったのでしょうか。
おそらく、折り畳み箇所に無理が生じていたと思われます。
このやり方は、金属製の建具でも無理が生じる。ガイドが要る。
無理のないように考えるのが設計だ、と私は思います。
無理とは、「理」がない、ということ。
アイディア、構想が、「理」を踏まえていなかった、ということではないでしょうか。
さらに言えば、「理」を無視したならば、それは「アイディア」「構想」ではない。
最近の設計、デザインには、そういうのが多い。そう私は思いますが・・・。
そしてまた、いかなる高名な方が係わった建物であろうが、おかしいなと思えたことに対しては、おかしい、と言わなければならない、私はそうも思っています。
全てが戦争に向かって突っ走っていた時代だったのです。金物やセメント等は兵器を作るために市場には出回っていないしジャガイモまでも爆薬にするために市場に出回っていなかったようです。このような時代にハンガーレールのような特殊な金物が手に入るわけがありません。設計図をかいた頃にはまだあったのかもしれません。当初の図面では左右対称に折りたたむ事の出来るユニークな雨戸にしようと思ったのでしょうけれどハンガーレールが手に入らなければ実現不可能です。そこで苦肉の策で考えた戸袋が今の(雨戸を納めたまま)90度回転できる戸袋では無いでしょうか。ですから目黒にあった前川邸は昭和17年当初から今の不細工な戸袋だったのです。これを前川圀男オリジナルだとは絶対に考えないで下さい。
多分、全面開放にしたい、しかし雨戸も付けたい・・・、そこでの苦肉の策だったのでしょう。
しかし、それはこういう平面上、無理。
蔀という手もあったと思いますが。