建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

「基準」ということ・・・・最近の地震による被災状況を観て

2007-08-01 01:56:55 | 論評
[註記追加8月1日1.33PM]

 今回の中越沖地震に対して、いつもならばあれこれと騒ぐ「耐震の専門家」たちが、今回は黙して語らないように私には思える。何故なのか?

 今日の報道では、先の中越地震で被害を受け、いまは流行の「耐震補強」を施した建物が、全壊はしなかったが、ふたたび壊れたと伝えていた(新潟大学災害復興科学センターの調査報告についての報道)。
 全壊しなかったから「耐震補強」の効果があった、という見方が喧伝されるのかと思っていたら、そうではなかった。
 そこでは、建っている場所についての何らかの対策が必要、という調査者の言が報じられていたから、さすがにそのようなおこがましい言い方では済まされない、との認識があったものと思われる。これはきわめて正常なことだ。

  註 同センターの調査を正確に紹介すると、
    刈羽村の2集落の15戸が(いずれも砂地の丘陵の裾にある)、
    中越地震と今回の地震と二度にわたり被災した。
    内訳は、中越地震で被災し
     ①全壊して新築したものの、今回大きく損壊した例:2棟
     ②大規模補修で再建したが、大きく損壊した例   :6棟
     ③全壊して新築し、軽微な被害があった例      :3棟
     ④修繕して軽微な被害があった例           :4棟
    補強によって生命にかかわる倒壊は防げたとも言えるが
    後背の丘陵全体の対策など大規模な対策が必要とし、
    集団移転も選択肢の一、としている。


 柏崎刈羽原発の被災状況が、当初の発表とは異なり、きわめて大きいことが日ごとに明らかになってきた。
 原発が受けた地震の力は、想定の数倍に達していたと言う。おそらく、これからこの数値が「基準」になるのかもしれない。そしてまた新たな被災によって「基準」が変る。このような「いたちごっこ」は、もういらない。どうして、こういう「発想」の無意味さを、最先端科学者たちは自覚しないのだろうか。

 柏崎刈羽原発の設計で、私にはまったく理解できなかったのが、原子炉本体とそれ以外の「基準」に差を設けた「設計指針」である。
 たとえば、原子炉外の配管類は、より低い基準で設計されていたらしい。しかし、それらは原子炉建屋に接続する。「耐震」の程度が違うのだから、当然、接続部に破損が生じてもおかしくない。そして実際、破損が起きている。接続していないのなら問題はなかっただろう。しかし、接続しなければ意味がない。だとすると、当然予想できることに対応し得ない「基準・指針」とは、何だ?この安易な考えは何だ?そこに窺えるのは、「経済合理主義」。

 どうだろう。これを機会に、あるいは契機に、「基準」というものを改めて考え直してみたらどうだろう。「建築《基準》法」も含めて。

  註 同時に、「耐震」の概念をも改めて考え直し、
    現況の《定義》が不都合なら、語を変えることをも
    躊躇してはならないだろう。

この記事についてブログを書く
« 地震への対し方・再び・・・... | トップ | 故郷とは何か・・・・田舎と都会 »
最近の画像もっと見る

論評」カテゴリの最新記事