住宅の低寿命化はなぜ起きたか

2007-08-10 20:39:14 | 建物づくり一般

[記述、一部修正:8月11日8.13AM]

 日本の住宅の寿命が、欧米のそれに比べて極端に短い、と言われるようになって久しい。そして、多くの場合、日本の住宅の大部分を占める木造建築そのものに問題がある、と言われる。
 その問題の比重が大きいことはたしかであるが、一方で、まだ使える建物が「やむを得ず」廃棄される例が多いこと、その原因を考える必要があるだろう。

 私が育った住まいは、昭和15年(1940年)の竣工。もうじき築70年になるが、いまのところ問題箇所はない。
 建設当時は東京の郊外。周辺には山林(平地林)、畑が広がり、茅葺農家も多数あった。そういう一画が住宅地として売り出されていたのだ。だから、あたりには、同じような規模の住宅が、同じような風情で、既存の農家と共存する形で多数建っていた。大体の敷地規模は1反:300坪程度。中にはその倍程度を持ち、半分は畑:いわゆる家庭菜園にする例も多かった。だから既存の農村風景と、何ら違和感がなかった。

 しかし、1970年代頃から、あたりの山林・畑は消えはじめ、かつての「新興」の家々の数も少なくなり、敷地は細分化され、小さな建物が密集しだす。
 なぜそうなったのか。
 理由は単純である。「地価の上昇=経済の活性化」と見なす政策がとられだしてからというもの、相続税、固定資産税が高くなったからである。
 地下の上昇によって税額は支払い能力を越え、相続にあたっての一部切売りや、固定資産税を減らすための敷地細分化=狭隘化、それにともなう建物の建替えが行なわれ(ときには、その地から逃げ出す場合もある)、その結果、本来ならまだ十分使えるはずの建物が、多数消えていった。

 かつての高級住宅地・田園調布も、高い税金の払える僅かな富裕層の住宅と、細分化した敷地に身を寄せ合いながら建つ住宅、税金対策で売り払った敷地に建てられた中層集合住宅、それらの混在した一帯に替わってしまい、昔の「高級」住宅地の面影はすでになくなった。
 つまり、今の税制は、既存建物の廃棄を迫り、住環境悪化を促進する税制と言ってよいだろう。
 
 1970年代以降に急激に増えてきた細分化された土地に建つ木造建物には、その低寿命化をうながす別の要因が付随する。
 一つは、敷地面積の狭隘化にともなう建物総面積の減少である。いろいろ事例を見てくると、農家をはじめ、一戸の規模は、最低でも40坪程度が標準のようだ。40坪といっても、関西なら1坪は6尺5寸角、つまり約3.84㎡、関東では3.3㎡。だから、関西では約150㎡、関東では130㎡。ところが、最近では、ひどいところでは、敷地そのものが130~150㎡。
 一例を挙げれば、筑波研究学園都市では、当初敷地面積は200㎡以上という規定があった。関東尺で言うと約70坪。分割による細分化防止のために、境界杭のほかに青い標杭を打たされたものだが、地価の上昇とともに、いつのまにか規定が消失。150㎡程度の宅地が普通になってきた。売却された公務員宿舎跡などは、歩道沿いの見事な樹林まで伐採され、平均150㎡の敷地に建売り住宅が密集、当初の「学園都市のコンセプト」とは程遠い、見るに堪えない姿に変貌した。
 
 当然、狭隘な敷地に建つ住宅の規模は自ずと小さくなる。それでいながら、部屋数だけは確保しようとするから、当然のことながら、部屋自体の面積が小さくなる。かつて、六畳間というのは、次の間とか予備室などの大きさで、居住空間としては八畳間が最小であったのだが、今ではめったに八畳間は見かけない。かつては小物置などの大きさであった四畳半大の部屋が居室と称されるのだ。

  註 このような「部屋数確保」主義は、戦後、
    建築設計法の主流となった「建築計画学」の悪しき名残りと言える。
    所要室を数え上げ、その合理的な連係を考えるという設計法が、
    部屋の大きさを小さくしてでも部屋の員数をそろえる、と言う方向へ
    走らせたのである。これが現在の「間取り」法。
    かつては、総規模が小さければ小さいなりに、部屋数の員数あわせ
    ではなく、全体の妥当な構成を考えるのが「間取り」だった。
    なお、この点については、3月15日にも触れている。

 こういう小さな部屋の集積は、生活の変容にはついてゆけない。かといって増築も改造もできない。
 それは規模の制約もさることながら、工法:現行の法令が規定する工法:自体、増・改築が不可能だからである。
 当然ながら、もし暮らし続けるとするならば、取り壊して新築ということにならざるを得ない。
 そして第一、法令の奨める工法自体が、すでに桐敷真次郎氏も「耐久建築論」で触れている(6月13日に紹介)ように、建物の老朽化を促進するがごとき工法なのだ。

 つまり、「資産価値の高い住宅ストック」(国の進める「長寿命木造住宅推進プロジェクト」の眼目)など、根本が見直されないかぎり、絵に描いた餅以外の何ものでもない。

  註 法令規定の工法は、耐力壁に依存するから、
    耐力壁を一定量設けることが要求される。
    だから、改造はきわめて難しい。
    この点は、2×4工法や、ログハウスと全く同じである。  
    
    日本の伝統的な工法は、耐力壁に依存しないから、
    言ってみれば、改造、増築は任意であった。
    両者の比較は、7月13日に表としてまとめてある。

 以上で明らかだが、単に建物単体についていじくりまわしても、耐用年数が延びるわけがない。
 先ず、住宅とは、建物だけではなく、敷地全体の空間を言うべきなのであるが(昨年12月12・13日に触れた)、現在の日本では、敷地全体を見ると、欧米に比べきわめて劣悪であること、さらには劣悪化を推進するがごとき「政策」がとられていること、を認識する必要がある。

 いま、わが国で「ストック」となる住宅の建設は、地価の安い、現行法に束縛されないで済む無指定の地域(都市計画区域外:極めて少なくなってはいる)において初めて可能だ、と言ってよいだろう。
 なぜなら、そういう地域ならば、欧米並みの居住環境を確保することができるからだ。もちろん、生活上の利便性には欠けるのだが・・・。

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