建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

実体を建造物に藉り...・・・・何をつくるのか

2006-12-14 11:09:53 | 専門家のありよう

先に、明治の建物づくりにかかわる「実業家」にとっては、「何をつくるか」は自明であった、と書いた。
しかし、明治になって新たに誕生した「建築家」にとっては、「何をつくるか」が最大の問題であった(あるいは、今でもそうなのかもしれない)。

「アーキテクチュールの本義は・・実体を建造物に藉り意匠の運用に由って真美を発揮するに在る。・・」と説いた伊東忠太の主導する教育の場面では(12月5日紹介)、立面図を先ず作成、その立面の建物はいかなる用途に供すべきか、という《設計》演習が行われていた(平面図は存在しない!)。実際にその《演習成果物:図面》を見たときは、さすがに絶句した記憶がある。図面自体は実に見事ではあったが・・・。

けれども、最近都会に建つ建物を見ていると、それが真美であるかどうかはさておき、《実体を建造物に藉り、巨大造形あそびをしている》ようで、「建築家」の世界には、この間、何ら進展がなかったのでは・・とさえ思う(ただし、成果物は、かつての学生の方が上出来!)。

第二次大戦後、困窮下の日本で、建築界は二つの大きな派に分かれ、論争が華やかに行われていた頃があった。1950年代のことである。その論争各派のいわば代表が、西山卯三氏と丹下健三氏である。

西山卯三氏の論は、「国民住居論攷」の延長上で論じられたもので、その趣旨は上掲の図式でまとめられよう。それは、先ず「生活(の型)を決める」「用を考える」ことから始まる、という論と言ってよい。同書は1944年:昭和19年という戦争末期の刊行ではあるが、その後の「建築計画学」研究のバイブルとなり、そして51C型(1951年:昭和26年:公営住宅標準設計)に始まるいわゆる〇DKという呼称で知られる戦後の公営住宅標準設計の基礎となった書である(住宅を〇DK、〇LDKなどとして表す方式は、今もって健在である!)。

一方、丹下健三氏は数々の建物をつくるかたわら、「建築計画学」の研究、そしてそれに基づく建物づくり(上掲の図式の過程を追う設計法)を「調査主義・・」として批判し、「・・機能と表現の統一の過程が建築の創造そのものである。その統一を可能にする為には、現実の認識に於いて、その土台と上部を、その展開しつつある全体像に於いて捉えることを必要としている。現実の認識とは、現実の現象のありのままの反映ではなく、獲得しつつある現実の反映である。・・」と書いている(「新建築」誌 1956年6月号。なお、「新建築」誌をはじめ当時の建築系雑誌では、この前後、いろいろな論が毎号を賑わしていた。今の建築ジャーナリズムからは考えられない)。

この丹下氏の一文は、はたして書いている本人も理解しているのかどうか疑わしい文意不明な言い回しの連続だが、要するに「かたちをイメージすること」の内に、すでに「(獲得しつつある)現実の認識」がある、つまり、先ず「かたちのイメージ」「形の考察」から始める、ということだろう。

ただ、はっきり言えることは、両者の見解には大きな隔たりはあるものの、その底に共通して、建物づくりにかかわる人としての「倫理観」があった、ということである。それは、困窮下の社会状況に在る者として、当然のことだったのだろう。
その点では、最近の「建築家」の「かたち論」は、もはや、両氏と通底するところはまったくない(もはや、戦後ではない!?)。「実体を建造物に藉り、自らの造形センス(?)を発揮する」のが建物づくりと思い込み、ベルラーヘの言い方で言えば(12月8日紹介)、「まがいもの、借り物(模倣)、無意味な(虚偽の)」建物ばかりになっているように私には思える(反対の極に、これと呼応しつつ「実体を建造物に藉り、金儲けに徹する」人たちがいる)。

西山・丹下論争、つまり「用か美」か、「用か形」かという論争は、私には、「卵が先か、鶏が先か」という不毛な論争に思えた。かと言って、その論争の上を行く、その両論を論破するだけの力は、当時の私にはなかった。

論破する論の構築のきっかけになったのは、いくつかの書物。そして得たのは、簡単に言えば、根本は「ものの見かた」にあるということ。世にはびこっていた「いわゆる科学的方法」を見直す必要があるということだった。
先に紹介したハイゼンベルクや、ハイデッガー、サンテグジュペリの書も、見直しのためのきっかけになった書の一つ。

今日は、もう一つ、別の書物から、わが意を得た一文を、少し長いが紹介させていただく。
  ・・・・
  我々はすべていずれかの土地に住んでいる。
  従ってその土地の自然環境が、我々の欲すると否とにかかわらず、我々を『取り巻いて』いる。
  この事実は常識的にきわめて確実である。
  そこで人は通例この自然環境をそれぞれの種類の自然現象として考察し、
  ひいてはそれの『我々』に及ぼす影響をも問題とする。
  ある場合には生物学的、生理学的な対象としての我々に、・・・・
  それらはおのおの専門的研究を必要とするほど複雑な関係を含んでいる。
  しかし我々にとって問題となるのは、
  日常直接の事実としての風土が、はたしてそのまま自然現象として見られてよいかということである。
  自然科学がそれらをそのまま自然現象として取り扱うことは、それぞれの立場において当然のことであるが、
  しかし現象そのものが根源的に自然科学的対象であるか否かは別問題である。
  ・・・・
  風土の現象において最もしばしば行われている誤解は、
  自然環境と人間との間に影響を考える立場であるが、
  それはすでに具体的な風土の現象から人間存在あるいは歴史の契機を洗い去り、
  単なる自然環境として観照する立場に移しているのである。
  ・・・・                      (和辻哲郎『風土』:岩波書店刊 「風土の現象」より)

対象を分解し分析することをもって「科学的方法論」と見なす考え方をくつがえすにはこれで十分。
生活と空間、生活と環境、自然と人間・・こういった二項対立的発想法・考察法は、こと人のかかわる問題には本質的に不向きなのである。

しかし、大方は、依然として「用」か「形」のどちらかだけで建物づくりを考える。「用」なるものを重視すれば11月23日の「道」で紹介した「迷子を誘発する病院」になり、「形」なるものを重視すれば、最近の都会のビル群となる。

いったい、建物づくりとは、何をつくることなのだ?

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