建築をめぐる話・・・・つくることの原点を考える       下山眞司        

                     ☆ 2019年1月より、故人が残したものを順次、掲載して行きます。☆

遠野・・・・千葉家の外観

2008-05-06 08:48:35 | 住まいの構え方


登米を訪ねたあと、気仙沼、高田を経て、遠野にも立ち寄った。写真は、遠野といえば必ず紹介される「千葉家」。今から15年前、1993年の頃の姿。今はどうなっているだろうか。

遠野の町・盆地に入った瞬間、違和感を感じたことを覚えている。それは、大変突飛だけれども、最近の八ヶ岳山麓の清里・野辺山で感じるそれと同じであった。

清里・野辺山へは、八ヶ岳登山で、もう半世紀以上前、中学の教師に連れられて行ったことがある。当時、小海線は蒸気機関車。貨車に人も乗った時代。清里・野辺山一帯は寒冷地での必至な開拓農業が行われていた。足もとは、雨が降ればぬかるむ。人気もほとんどない。
しかし、最近のそれは、「都会」を「高原」に持ち込んだ単なる「観光地」。空気が涼しいだけの原宿、渋谷がそこにある。

それと同じような感覚を、遠野に入った瞬間に感じたのだ。目の前にあるのは、「その地の本来の姿でない」、という違和感であった。

柳田國男が遠野を世に紹介したのは、紹介したかったのは、あの山間の地で、山間の地ゆえに遺されていた「記録」を基に、山間の地という厳しい風土の中で、人びとが重層的な密度濃い「文化」を醸成した、その人びとの生活そのものであったはずなのだが、そしてそれは、どの地域にも共通することだ、ということのはずなのだが、そこで見たのは、そういう人びとの過去の「遺産」を、時間を止めて見世物にしているだけに思えたのである。


「千葉家」の写真をあらためて見てみると、そのときの私の関心は、もっぱら、敷地・土地に対するつくりかた、構え方にあったようで、そういう写真ばかりである。石垣上の姿など、いろんな角度で撮っている。それを歩んでゆくときに見える順に並べたのが上の4枚。下の1枚は、石垣の跳ねだし部の詳細。もう1枚は、蔵の妻面の風雪よけの詳細。板壁が土壁面から3尺ほど浮かせて吊られている。

遠野から釜石へ向ったが、丁度、釜石製鉄所の火が消えて間もなくの頃。釜石の町なかには製鉄所の高炉?が赤錆びてぽつんと遺されていた。
途中の山間で見た鉱山跡?も印象に残っている。そのせいだろう、その写真も多く撮っている。

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