建物をつくるとはどういうことか-15・・・・続・何を描くか

2011-02-25 18:55:14 | 建物をつくるとは、どういうことか
[文言追加 26日 8.33][文言追加 26日 8.37] [註記追加 26日 11.20][説明追加 26日 11.33][関連参照記事 追加 26日 18.47][註記追加 26日 21.40][註記追加 27日 9.15][註記追加 27日 23.35]

だいぶ間が空いてしまいました。続けます。

先回の文中で、
  ・・・・
  建物をつくるというのは、単に、建屋をつくることではない。
  建屋とは、必要とされる「諸室」を嵌めこめばよい、というものではない。
  ・・・・
と書きました。

けれども、「この考え方」は、昔も今も、簡単に通用するわけではありません。
とりわけ、公共的な建物については、
諸種の「建築計画学的研究成果」の結果、いろいろと「指針」が出されています。
したがって、それに「抵抗する」ようなことは、なかなか難しい。


それを初めに痛感したのは、数十年前、ある病院の設計チームに参画したときのことでした。
   註 この病院は、「東京都職員共済組合青山病院」。
     設計主体は、(株)共同建築設計事務所。
     このチームに大学研究室の一員として参加。
     この病院は、4年ほど前に廃院になり、解体され、現在はありません。


「病院」は、通常、外来診療部、入院診療部、検査部、手術部、薬剤部、事務部、給食部・・・などの部局に分かれます。各「部」は、病院の規模によって、さらに「科」「課」に細分されます。

そこで病院の設計では、多くの場合、 これらの各部、各科・課を、如何に「合理的に」配列するか という点に意が注がれるのが普通です。

   これは、住居の設計に於いて、
   必要諸室を(数え上げ)如何に「合理的に」配列するか、というのと同じ方法と言えます。
   これがいわゆる 「建築計画学」的設計の「真髄」 にほかなりません。

   今は何と言うか分りませんが、昔はこれを「動線(導線)」計画などとも呼び、
   「合理的な配列にした相関図」を「機能図」などと呼んだものです。

極端に言えば、その「各部、各科・課」に必要面積が与えられ、それがそのまま平面図になる
そして、その立ち上がった「壁面の操作」、つまり見かけの姿:立面をどのようにするか、設計者の腕のみせどころ!

実際、1950年代以降、つまり戦後に建てられた病院建築には、こうしてできあがった例が多いのです。
つまり、画一的になる。というより、ならざるを得ない。
それゆえ、電車で窓の外に流れる風景をボウッ眺めていても、あれは病院と、すぐに見分けがつきます。
これは学校建築でも同様です。

1980年代以後は少し変ってきますが、それは単に、その画一的な外観に「化粧」が加わったこと。
そのわけは、経済のいわゆる「高度成長」にともない、一時に比べ、工費面に「ゆとり」ができ、それが「化粧」にまわされるようになったからです。その「化粧」を剥せば、中味は相変わらず。

   最近の設計は、中味よりも、この「化粧」に凝っているように見えます。しかも、競って・・・。
   先回紹介の保育所の外壁の色彩も、この「化粧」の一つと言ってよいでしょう。
   簡単に言えば、病院なり学校なり、もちろん住宅なり・・・の「使い勝手」「暮しやすさ」よりも、
   その「造形」(の他との「差別化」)に設計者の関心があるようです。
   と言うことは、建物の「造形」の意味・意義も下落している、ということ。
   私は常々、戦後間もない頃の建物、1950~60年代につくられた建物の質は、
   最近のそれよりも高い
、と思っています。
   なぜそうなるかと言うと、少ない工費を如何に有効に使うか、真剣に取組んだからでしょう。

さて、私もチームの一人として加わった病院の設計でも、すでに、「病院の専門家」による「合理的な配列にした相関図:基本設計図」ができあがっていました。
   このときの「病院の専門家」は、参画した「建築計画学」の研究者。
   
当の病院の敷地は、ほぼ長方形。当時廃止されたばかりの都電の青山車庫北側に広がるかなり急な北西向きの斜面(下の地図の黄色で塗った箇所)。どういうわけかその東側の一角に小さな池がある。そこで水が湧き出しているらしかった。
南と北では、約5mほどの落差があったように思います。
敷地の南端に立つと、視界は自ずと斜面に沿って導かれる。当時、視界に入ってくるのは人家の家並(今は、多分ビルだらけ)。
   註 この地図は、国土地理院HPからの抜粋転載(2万5千分の1)。
      この病院の建物の姿が地図上に書かれていますから、4~5年前の版だと思います。
      [註記追加 26日 11.20]



「基本設計図」は、こういう敷地の状況とは一切関係なく、それこそまさに「机上」の「紙」上でつくられたもの。どうやって敷地に「置く」ことを考えているのか?

私は何をしたらよいか?

そこで、一晩考えて、きわめて簡単な模型をつくりました。
それは、観てきた敷地の概況を念頭に、その敷地に「納まる」のは、こういう構成ではないか、といういわば「敷地利用の概念」を示す模型

そのとき私の中にあったのは、「各部・科の合理的相関図」ではありませんでした。

すなわち、
病院には誰が来るか?⇒病を気にしている人たち、つまり患者。
何しをしに来るのか?⇒病についての「相談」、つまり「診察・診断」すなわち「医療」を受けに。

そうであるならば、
1)「各部・科」は、「患者」にとって「都合のよい」位置に在ればよいはずだ。つまり、「各部・科」は、「患者」のまわりに、「患者」の「必要度の順」に応じて在ればいい。   
必要度の順とは何か。それは「患者の側から見た診療にとっての必要度」の順。
   これは、自分が病院に行った場面を想定してみると、おおよそ見当がつくのではないでしょうか。
   外来診察で診断を受けた患者は、次に何が必要か。
   たとえば、X線検査は、直ちに全ての患者にとって必要ではない・・・。
   以前に、
   農民の暮す領域は、「係わり」の「濃度」に応じて自分の住まいのまわりに同心円状に広がることを紹介しました。
   この農民の位置に「患者」を置き、その「必要」の「濃度」に応じて「各部・科」がある、
   と考えればよいのではないか、ということです。 

   註 これは、つまるところ、
      「公共」「公共の建物」とは何を言うか、についての解釈・認識の問題だ、と思っています。
      「公共」とは、「その他大勢、不特定多数」のことを言うのではなく、
      あくまでも「個々人」の集まりのこと、でなければならない。
      ゆえに、「公共建築」とは、
      単に、「大勢の人、不特定多数」が使う建物ではない。
      あくまでも、使うのは「個々人」。
      使うのは、のっぺらぼうの大勢ではない、
      あくまでも、はっきりとした顔を持つ個人。
      [註記追加 26日 21.40]

もう一つ、
2)診療所程度の大きさならともかく、大きな規模になったときの最大の問題は、患者自身が、常に、自分がいったい病院の何処に居るか、自分の感覚で分ること。これは、案内板に頼らないで、という意味。
   これについては、「道:道に迷うのは何故・・・(迷子になる病院)」で書いています。

   註 この文中では、「公共」を、「不特定多数」としてではなく、
      「個々人(の集まり)」として扱うべき「理由」についても
      簡単に触れています。     
      また、「壁は自由な存在だった-7」の末尾の「蛇足」の項で、
      この考え方を支えてくれた「論」を紹介してあります。
      それはすなわち、「十人十色」とは何か、の「解釈」に連なります。
      [註記追加 27日 9.15]

      また、これはかなり前になりますが、
      『「冬」とは何か・・・言葉・概念・リアリティ』で、
      「概念」とは何か、触れています。[註記追加 27日 23.35]

以上の2点と、敷地の持つ特徴を勘案してつくったのが簡単な「概念模型」でした。
そして結局、この「概念」の下でまとまったのが最終案。
その「概念」は、下の「配置図」に示されている、と言えると思います。



   この図では、表入口が西側の狭い脇道から入ることになっていますが、
   当初は、南側つまり青山通から真っ直ぐ入ることになっていました。
   図にある「6階」・・などの書き込みは、その部分の建屋の階数を示しています。
   ただ、この建物の1階は、斜面北側地面に接する階。主入口は2階にあたります。
   [説明追加 26日 11.33]

図の「外来」と書いてある所には、大きなホールが設けられ、そこをいわば中心に「各部・科」が患者の必要濃度に応じて展開する、という構成。

また、そこに至る過程で、建物が威圧的に迫ることを避けるため、このホールの部分は低層にしています。
下は、そのあたりの分る「完成模型」写真と竣工後の姿。





左側の外階段を3階まで登ると、「管理外来」、つまり、健康診断などのための部門があります。つまり、健康な人のための「健康管理」のための場所は、「患者」とは別にする、ということです。
   実際は、この部分は管理事務諸室になってしまいました。

「ホール」の様子は次の写真。竣工後5年ほど経ってからの撮影で、画面も汚れています。



当時、天井を板張りにすることが認められていた時代。今は、難燃処理をしないと不可のはずです。
この「ホール」のまわりに外来診療室や検査諸室を必要度に応じて並べています。
下が「ホール」のまわりの諸室が分る平面図です。
黄色に塗った吹抜け空間のまわりに、必要度の高い諸室が並んでいます。何処に行っても、「此処」との関係で、どこに居るかが分るはずです。



   主入口階を2階としています。
   その1階下に(表から見ると地下にあたります)サービス部門や救急入口などがあります。

この病院では、病室の天井も板張りにしました。残念ながら、手元に写真がありませんが、割と評判のよかった病室だったように記憶しています。
   これについては、共同建築設計事務所のHP、Archive 欄で知ることができます。


前に、敷地に立って、そこに在るべき空間の姿を観る、と書きました。
そうすることによって、住居なら住居、病院なら病院、図書館なら図書館、学校なら学校・・・の建物が、そこにどのように展開すればよいか、ほとんど決まってしまうのではないか、と私は思っています。私の言う「一つ屋根の塊りを観る」こと。

そしてそのとき、病院・・・・の中身の理解として、決して、いわゆる機能図的な、つまり「必要諸室の合理的相関図」で理解しないことが最低の必要条件。

なぜなら、そういう理解は、あくまでも、「結果物」のいわば「鳥瞰図的理解」であって、そこに「在る」人の「理解」ではないからです。
簡単に言えば、前にも書きましたが、
外来者は(患者は)設計者とは違い、全体平面図を知らない、のが普通。
外来者は、そこでの自分の体験を通じてその建物の平面を、自分の係わりの範囲で、知るに過ぎない。
以前使った言葉(たとえば、「建物をつくるとは・・・-5」参照)で言えば、「自分の地図を描く」ということ。[関連参照記事 追加 26日 18.47]
この「事実」を設計者は気が付かない場合が多いのです。[文言追加 26日 8.33]

たとえば、病院の場合、調剤室は必ず必要です。
しかし、患者に必要なのは、調剤された薬を受け取ること。その「奥」の様子は詳しく知る必要がない。
つまり、「窓口」が患者と「病院」の接点:フロント・前線。
設計としては、そのフロントがどこにあるかが問題。それが妥当な位置に決まれば、調剤室は、その奥に繋がっていればよいことになります。

ところが、いわゆる「必要諸室の合理的相関図」式の理解では、得てして、患者の視点、すなわち、患者にとってのフロントが何か、その肝腎な点が見えなくなってしまうのです。
そのとき為されるのは、諸部門の「合理的」配備。「あれ」と「これ」の間の動きが激しい、だからそれを近接させると「ムダ」がない・・・。
この「思考」の操作の間、患者は念頭から消えてしまう
のです。

   前にも書いたように、多くの設計がそのようになってしまった結果
   急増したのが、「案内表示」、いわゆる「サイン(標識)」なのです。

これは、「必要諸室の合理的相関図」から入る設計法の陥る決定的な落し穴。

つまり、私たちは、病院計画の専門家になったつもりのスケッチではなく、もちろん、造形作家になったつもりのスケッチでもなく、「そこに在る」とき、人が思い描くであろう「感覚」を基に、そこに在ってほしい空間の姿を「描く」必要があるのです。[文言追加 26日 8.37]
建築が「造形」であることは間違いありませんが、しかし、単なる造形ではない。
絵画や彫刻なら、押入れ・倉庫にしまうことができる

ところが建築はそれができない。
だからこそ「注意」が必要なのです。
下手をすると、他人に「害」を与え続けるのです。

私が、多くの先達の残してくれている事例を観て感じるのは、彼らは、決して単なる「専門家」ではなく、もちろん「造形作家」でもない、という事実です。まずもって、普通の人だった、ということ。普通の感性を持っていた。
そこには、押入れに片づけてしまいたくなるような、そういう事例がありません。

今、私たちのまわりには、できることなら押入れにしまいたくなる、そういう建物で満ちあふれているのではないでしょうか。
世の中、「専門家」と「造形家」で満ちあふれてしまった・・・。
そのように感じるのは、私だけなのでしょうか。  

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2 コメント

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大変勉強になります (建築家ではありませんが。。。)
2011-02-25 20:33:58
はじめまして。
小さな会社ですが、イギリスから資材を輸入しています。庭園資材から始め、建築資材も少しずつ増えています。
先生のブログは非常に勉強になります。
これからも時々時間を作ってじっくり読みたいと思います。
早速アマゾンで、「CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS」も購入しました。
こちらもじっくり読んで勉強したいと思います。
資材を購入する方は本物にこだわる方も少なくありません。実際にイギリスで建物を内外から眺めることもありますし、職人さんから話を伺う機会もあります。ティンバーフレームを作る方にもお会いして話す機会もありますので参考になる本は、現地の書店で探したりAmazonで通販したり。
しかし、プロの方が教えてくれる本は一番の参考書です。先生のブログを拝見出来て本当にうれしく思います。

私たちは造園関係のコッツウォルドやヨークシャーの石材供給が多いです。
イギリスでは空積みが多くその話をすると「日本では耐震が。。」といわれるケースがほとんどです。
ヨークシャーにあるスカルプチャーパークの石造りの作品もすべてドライでした。
イギリスにはDSWA(Dry Stone Walling Association)という協会があり実際にレクチャーを受けたり、資格試験にチャレンジしたりして技術を学んでいます。
ホームページにて資料もダウンロードできるので大変今の仕事には役に立っています。
小さな会社なので耐震試験など予算がありませんが、去年ガーデンコンテスト用にパレットにH1000xW1200のイギリス式ウォーリングを作り、片道500kmを往復しました。フォークリフトでガタガタしたところを移動したり、ユニック積み下ろしても今なお健在。手を掛けてきちんと積めば割と丈夫。
石垣のようにカチカチです。お見せできないのが残念です。
資材屋として本物にこだわりたい方の少しでも参考になるようにこれからも勉強していきたいと思います。
お近くで講演会があれば是非参加したいと思います。
御礼 (筆者)
2011-02-26 21:28:51
コメント、有難うございます。

石造の「空積み」、城郭の石垣も同じです。九州の石橋もそうではなかったかと思います。

日本の偉い方がたは、実物を観ないで先入観でモノを言う癖があります。


CONSERVATION of TIMBER BUILDINGS、初版が1984年、四半世紀前の出版。だから、まだあるとは思いませんでした。
日本なら、売れなければ(出版数が伸びなければ)絶版になり、消えてしまうのが普通。書物に対する考え方の違いなのかもしれません。

今後とも、ご意見をお聞かせください。


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