建築写真・・・・何を撮るのか

2008-03-15 11:23:11 | その他

先回、村井修 氏と渡辺義雄 氏という二人の建築写真家の名前を挙げた。
村井氏の写真は、前川國男建築事務所の設計図面とあわせ紹介できるので、ここで、渡辺 氏の傑作をほんの僅かだが紹介したい。
『奈良六大寺大観』(岩波書店 刊)の建築写真は、すべて渡辺 氏の撮影。
その「東大寺 一」から、南大門の写真2枚を選んだのが上掲の写真(以前にもモノクロの写真を紹介したことがあると思う)。

『奈良六大寺大観』の版面は、横30cm×縦36.5cmという大判。
正面の写真は、上下2枚にわけてスキャンして合成したので、質はかなり落ちる。
また、内部の架構の見上げは、見開き2頁にわたっているので、ここでは、やむを得ず、一部だけスキャンした。それゆえ、これも、原版の迫力に比べ、数等劣る。

『奈良六大寺大観』は、大きな図書館なら必ず所蔵されているので、是非本物をご覧いただきたい。

建物の実際の姿をあますところなく写真で伝えるのは至難の技。多くの場合、建「物」だけが撮られ、そこに存在する「空間」はなかなか写真からは読み取れないのが普通。とりわけ、最近の建築写真には、それが多いように思う。もっとも、建築自体が、建「物」づくりに精を出す世の中だから、やむをえないのかも知れない・・。

私が、両氏の写真を好むのは、実際の建築・空間を髣髴とさせるように撮られているからだ。
土門 拳という写真家がいる。山形県酒田市の生まれ。同市に記念館があり、多数の写真が展示、保存されている。
たとえば仏像を撮った土門 氏の写真は、実際の仏像を目の前にしたとき以上の感銘を受ける。というより、気付かなかった「実像」に気付かせてくれる、と言った方がよいかもしれない。
村井、渡辺両氏の建築写真は、それとは若干ちがうようにも思えるが、建物の「実像」をありのままに、うそ偽りなく伝えてくれることは共通している。

最近の建築写真には、いったいどうしたらこんな風に見えるのか、と思うような写真がある。なぜそういう視角で撮るのか?写真映りがよいからだ。しかし、実際そう見える視角に立つことは絶対にありえない・・。
それは、写真家の好みというより、設計者の《願望》の表れの場合が多いようだ。それが設計者の《設計のめだま》だからである。設計の眼目、意味が大きく変ってきているのではないだろうか。

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