この写真は村山君が病気で不戦敗のときに、すべて已む無しのときに見せる表情だ。あるとき村山君は「早く引退して、こども達に将棋を教えたいです」と言った。私は本気かどうか疑ったが、今思うと村山流のおとぼけでなく、本音だったように思えて来る。
村山君にすると、勝負に全く関心のない師匠が不思議だったろうが、私もここまで勝負に執着する弟子も不思議だった。旅や将棋教室のことは、せめてもの師匠への恩返しを考えていたのだろうか。
村山聖は、棋士の本分は「将棋に勝つことです」と言い切っていた。
村山君にすると、勝負に全く関心のない師匠が不思議だったろうが、私もここまで勝負に執着する弟子も不思議だった。旅や将棋教室のことは、せめてもの師匠への恩返しを考えていたのだろうか。
村山聖は、棋士の本分は「将棋に勝つことです」と言い切っていた。
見る人に『何か』を考えさせる写真と思います。
お二人の『師弟関係』が羨ましく思えます。
『水魚の交わり』でしょうか…。
入院しているときや、家に篭ってひたすらじっとしている「忍」の姿勢です。
村山君の心の奥は覗けませんが、勝負に勝つのが目的でなく、勝負に勝つエネルギーを注ぎこむのが目的だったような気もします。