時空人 goo blog「脳トレ宇宙論ー人類の見果てぬ夢」

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脳トレ宇宙論 第16話 天文観測機器、望遠鏡、天文台

2020-04-09 20:41:55 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 第16話  天文観測機器、望遠鏡、天文台

 正しい宇宙像を知るには、天体の正確な配置や動きを測定できる観測装置が不可欠であり、また観測手法、観測技術、解析精度の向上発展も重要である。結果として宇宙観の変遷と天文観測機器の発達とは密接な関係がある。(宇宙観5000年史、p.57)

  今回は古代中世の天文観測機器に焦点を当てる。つまり望遠鏡の出現までの時期を考える。

・望遠鏡以前の天文学 
 古代からケプラーまで肉眼以外に天体観測手段のない時代においては、暦を作るとか、時刻を知るとか、場所を特定する(海上の航海、方向、距離などの測量)のために天体の正確な配置や動きを測定できる観測装置が不可欠である。同時に観測手法、観測技術、解析精度の向上発展も重要である。

・科学史抜粋ー天文学、数学を主にして

【紀元前】

3000頃  星座の誕生(オリエント)
2800頃  ピラミッド建設がさかん(エジプト)
600頃  サロス周期の発見
6世紀  自然哲学の創始(タレス)
6世紀  最初の世界地図(アナクシマンドロス)
6世紀  ギリシア数学の確立(ピタゴラス)
4世紀  天体の不規則運動を説明(エウドクソス)
4世紀  自然学の確立(アリストテレス)
280頃   月と太陽の大きさ算定、太陽中心説提唱(アリスタルコス)
230頃  地球の大きさを測定(エラトステネス)
230頃  アルキメデスの原理の発見
150頃  月までの距離を算定、および歳差の発見(ヒッパルコス)
46    ユリウス暦の採用

【紀元後】
50    アレキサンドリアの数学者機械学者ヘロン,蒸気機関
120頃  プトレマイオス「アルマゲスト(Almagest)ローマ帝国時代のエジプト・アレクサンドリアの天文学者の天文学(実質的には幾何学)の専門書、天動説(地球中心説)の確立。

 

641    アレキサンドリアの図書館焼失
9世紀~  アラビアで科学が発展する
10世紀   天文航法はじまる(アラビア)
10世紀末  幾何光学と生理光学の研究(イブン・アル・ハイタム)
12世紀頃  ヨーロッパで古代科学書の翻訳がさかんになる
1250頃   天文体系の研究(アル・トゥーシー)
14世紀   機械時計の発明(ヨーロッパ)
1440  ポイルバッハ 『アルマゲスト』翻訳
1450  活版印刷術(グーテンベルク)
1471  航海暦の作製(レギオモンターヌス)
1500頃 レオナルド・ダ・ヴィンチが活躍
1543  太陽中心説の提唱(コペルニクス) 天文観測家。象限儀、三角尺などの観測器械を製作し太陽高度の測定を行った。

・天文観測器・観測機械・宇宙を拓く技術進歩

・デオプトラ(現在の経緯儀)
・アストロラーベ(Astrolabe :天文計算・観測装置)現在の星座早見盤と観測器具の組み合わせ。古代の天文学者や占星術者が用いた天体観測用の機器であり、ある種のアナログ計算機とも言える。用途は多岐にわたり、太陽、月、惑星、恒星の位置測定および予測、ある経度と現地時刻の変換、測量、三角測量に使われた。イスラムとヨーロッパの天文学では天宮図を作成するのに用いられた。

 

・上右写真は東京都の東急世田谷線駅前(キャロットタワーの下)の広場中央にある地上のアストロラーベの円盤:1570年頃のヨーロッパで作られたアストロ
ラーベをもとにして、描かれている。外周部には時刻が目盛られ、その内側は下から順に、地平座標板・星座板・定規が重ねられたように示されている。
 上にずれた多くの円が描かれているのが地平板、一番外の円が地平線で、これらの円はこの場所の緯度に合わせて描きなおしてある。唐草模様のような透かし彫りの板が星座板で、トゲの先がそれぞれの星の位置を示しているが、
1996年での位置に変えてある。この面は一種の星座早見板で、1996年11月18日(本建物の落成日)午前0時のこの場所(北緯35度38分28秒、東経139度40分22秒)での星座を表すよう、セットした状態にな
っている。

(脳トレ課題)アストロナーベを作ろう。原理の理解には数学の三角関数、平面幾何、立体幾何、射影幾何の知識が必要。脳トレに最適。WEB1記事:「アストロラーベの作り方」、WEB-2「アストロラーベについて--構造と使い方、ペーパークラフト--」など多数あり。

・トルクエタム(Torquetum, Turquet):中世の天文学用機器であり、地平座標、赤道座標、黄道座標という3種類の座標系の測定値の相互変換に用いられた。一種のアナログコンピュータでもある。(下写真)

・ノクターナル(Nocturnal)星時計:夜間の時刻を知る。北極と北極星から決める。16世紀に考案されたといわれる夜間時刻測定器。2枚の円板と2本の可動アームで構成される。夜空を極星を中心とした時計の文字盤、他の星を1恒星日に1回転する時計の時針と考えた時計である。星時計の中心穴をのぞいて北極星にあわせ、指針をおおぐま座北斗七星の指極星α(アルファ)、β(ベータ)星に一致させると、円板上の目盛りで時刻が読めるようになっている。星で時刻を知ることは古代エジプトでも行われていた。切れ目を入れたシュロの葉や、おもりを下げた鉛直線を用い、当時知られていた恒星の動きを観察して夜間の時刻を知ったという。(下写真左右)

  

・天文時計:現代の機械時計で現在の時刻、時間、天文現象、キリスト教会の祈祷時間などを知る。天文学的な情報、例えば太陽十二宮星座、時には主要な惑星の相対的な位置などを示すための特殊な装置と文字盤を備えた時計である。(下写真)

 

 

 


脳トレ宇宙論 閑話休題 暗算師 光と影

2020-04-06 10:27:48 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 閑話休題 暗算師 光と影

 

 

(From  "A Computer Perspective - Background to the Computer Age" by Cherles and Ray Eames, 2011), p.064)

 急速な業務拡大の圧力におされて、一部の会社では速算専門家「暗算師(Mental Calculater)」として要請された人を雇い始めた。(このような暗算師が計算速度の基準になっていて初期の加算器製作者はこれを打ち負かせなければならなかった)。

 実用的速算会計士で「新実用的電光計算師(Lightning Calculator)」の著者である W.K.David ダヴィッドはこの本の内容を一生懸命勉強するものは素晴らしい正確さと速さで計算することを学び,一般会計士を凌駕する地位に達するだろうと約束した。

 計算は単調でうんざりするだけでなく健康にも悪かった。当時の簿記係は夜になってもつきまとう絶え間ない数字の列から逃れることが出来なくて悩んだ。

 バローズの加算器を発明したウィリアム・スワード・バローズは銀行員だったが,事務員の仕事の単調な苦役で健康を害したので、職業を変えなければならなかった 。

 しかし他方では”電光計算”(高速暗算)は舞台の催し物として人気があった。爆笑も劇場の観客もこの現象に興味をそそられた。

 さて時代の進歩とともに徐々に盛んになってきた計算補助具ー 後年には産業界の計算機械 ーの到来は人間のなすべき仕事に対する姿勢を変えた典型的な例と言える。ひとたび計算機械が普及すると、算術問題を早く解くという特殊な知的技脳を使うことは実用的でなくなった。普通の事務員が機械を備えて同じ仕事をこなすことができた 。

 長い数字の列を次々に加算するのは「人間を紛れもなく機械にする事だ」とドル・E・フエルトは言った。オリバー・ベンデル ・ホルムス は「計算能力だけというのは最低の資格と見られるべきだ」と書いている。ハーバード大学学長チャールズ・エリオットは、「人間は機械ができる仕事をするために雇用されるべきではない」と言った。

 

『モダン・タイムス(Modern Times)』(From Wikipedia)

1936年のアメリカ映画。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当。日本では1938年2月に封切。

 資本主義社会や機械文明を題材にした作品。労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現。

ストーリー
 大きな製鉄工場で働くチャーリーは、スパナを手にひたすらベルトコンベアーを流れる部品にねじを回し続けるという単純作業を繰り返していた。その様子はテレビモニターで監視され、休む暇もなく働かされていた。

 ある日、チャーリーは労働者の食事時間を節約するために作られた自動給食マシーンの実験台にされ散々な目に合わされる。その後も仕事を続けていく内にチャーリーは発狂し、トラブルを起こして精神病院送りになってしまう。

  

ようやく退院を迎えた日、不運にもデモ隊のリーダーと間違われて捕まって再び拘置所に。

 その後、拘置所を出たり入ったりの惨めな生活。ある時、護送車の中でパンを盗んだ浮浪少女と出会う。少女は後にキャバレーのウェイターの職を得るが、前科のため、そこも追われてしまう。そういうときに、悲しみに打ちひしがれる少女を、チャーリーは力強く励ます。

 そして、二人は未来に希望を見出し、現代社会の冷たさと束縛に囚われない自由な生活を求めて共に旅立っていくのだった。  

 

脳トレ課題

 近い将来、AIの普及によって社会のあり方にさまざまな影響が出ることが予想される。この先、AIがどのように進化し、私たちの働き方や社会はどう変わっていくのか?


脳トレ宇宙論 コーヒータイム 女性計算手から天文学者へ(再)

2020-04-05 09:57:09 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 コーヒータイム 女性計算手から天文学者へ(再)

 

 

ヘンリエッタ・スワン・リービット (From Wikipedia)
(Henrietta Swan Leavitt 、1868年 - 1921年、享年53歳)アメリカの女性天文学者 

研究分野 天文学   研究機関 ハーバード大学 

主な業績 ケフェイド変光星の変光周期と光度の関係 

非常に興味ある研究人生である。天文学に限らず、全ての学問研究の典型的事例ではなかろうか。 人生は偶然の織りなす阿弥陀籤である。日の当たる人、当たらない人、時には不条理とも思える人生もある。また社会情勢、伝統、出自、風習、時代の流れ・・・がランダムに、そして意図するかしないかに拘わらず流れていく、否、流されていく人生。これらの問題は現在でも古くて新しい課題でもある。

それはさておき、もう少し引用しよう:

・彼女の業績は、ケフェイド変光星の変光周期と光度との間に相関があることを発見し、1912年に小マゼラン雲内のケフェイド変光星の周期に関する研究を発表した。この発見は天体までの距離の測定に利用され、後に渦巻星雲や楕円型の星雲が銀河系内の天体か銀河系外の天体かについての大論争に決定的な影響を与えた。 

この研究は、宇宙論における金字塔の一つともいえる。

・当時のハーバード大学天文台長エドワード・ピッカリングにについて

 1877年に台長になって、天体写真を解析し、一つ一つの星について位置や明るさ、スペクトルを特定させるプロジェクトを進めていた。そして天文学写真データの整理を行なう仕事が必要となった。この仕事に取り組む人は「コンピュータ(計算手)」と呼ばれた。 

 ピッカリングは当初、若い男性を計算手として雇ったが、彼らの仕事ぶりは芳しくなかった。そのため、業を煮やしたピッカリングは、「うちのスコットランド人のメイドのほうがずっとましな仕事をする」と言って、実際にメイドのウィリアミーナ・フレミングを主任として雇い入れた。他にもリービットを始めとして多くの女性を計算手に採用し、作業場は「ピッカリングのハーレム」とも呼ばれた。女性計算手は作業が正確なうえ、当時は給料も安く抑えられるという理由もあった。

それらの女性の中にはアニー・ジャン プ・キャノン、ヘンリエッタ・リービット、アントニア・モーリ、ウィ リアミーナ・フレミングといった、後に天文学上の業績を挙げることに なる女性も多く含まれていた。

 さてリービットはこの職場において星の等級を記録する作業を任せられ、その中でも写真データから変光星を探し出し、カタログに記録するという仕事に従事した。

1896年から2年間、リービットは天文台から一時離れたが、1902年、再びピッカリングのところでフルタイムの仕事をした。(給料は通常時給25セントのところ、リービットの能力を考慮して30セント支払われた。リービットは喜んで応じたが、この金額は当時の男性の賃金の半額程度だった)。 

 リービットは1904年から本格的に変光星の調査を再開し、小マゼラン雲から数十個の変光星を発見した。この成果は天文学者の間で話題となった。1907年までの間にマゼラン星雲内で、大マゼラン雲808個、小マゼラン雲969個、合計1777個の変光星を発見し、一覧表を作った。 1908年、論文で、16個の変光星を取り上げてその明るさと周期の表を載せたうえで、「明るい変光星ほど長い変光周期をもつという事実は注目に値する」と記した。この発見は天文学史上特筆大書に値する成果になる。 

終りに

リービットに関する公の記録はほとんど残っていない。日記や手紙などもあまり残されていないため、人となりについては分かっていないことが多い。天文学者として重要な地位に就くことなく、上からの指示のもと一人の測定者として一生を終えたことについて満足していたかどうかについても定かでない。(もう少し詳しくは WEB"天文学者ヘンリエッタレビットは宇宙を拡大しました”)

 


第15話 天文学と数値計算、数表、計算機械、人間の作業・計算手④

2020-04-04 11:11:12 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 第15話 

天文学と数値計算、数表、計算機械、人間の作業・計算手

 

女性計算手               リチャードソンの夢(天気予報計算手)

 人類が社会生活特に経済活動を営むようになると正しく数量の計算が必要欠くべからざる作業になる。人類の活動が高度化すると複雑な計算を精度よく行う必要に迫られる。特に天文学の進歩は、計算に大きく依存している。

・計算作業の歴史から

   1紀元前の古代、世界各地でピタゴラス数や三平方の定理は、発見、発展していた。そして土地の測量に使われた。

・縄張り師

「エジプトはナイルの賜物」という言葉が示すとおり、エジプトではナイル河岸付近で農業が営まれていたが、毎年河が氾濫するために、どこからどこまでが自分の土地か分からなくなってしまうことがしばしばあった。その時に、「縄張り師」と呼ばれる人々が、縄を携えて土地を直角に区切ってゆくという仕事をしていた。その際に (3,4,5) というピタゴラス数が使われていた。

・暗算師(Mental calculator )

 Mental calculator is a term to describe a person with a prodigious ability in some area of mental calculation (such as adding, subtracting, multiplying or dividing large numbers).

 Leonhard Euler was a prominent mental calculator

Alexander Craig Aitken (1895-1967)
John Wallis (1616-1703 )
Andrè Ampere (1775-1836)
Leonhard Euler (1707-1783)
Karl Frederich Gauss (1777-1855)
John von Neumann (1903-1957)

They were  prominent mental calculators who left a permanent mark 

on mathematics and science.(by WEB "Lightning Calculators")

計算手(けいさんしゅ human computer)(From Wikipedia)

   電子計算機が実用化される以前の時代において、研究機関や企業などで数学的な計算を担当していた人間のことである。現在では「コンピュータ」と言えば電子計算機を指すが、当時は "computer" という語の成り立ちが表す通り「計算する人間」のことであった。計算手は数人から数百人のチームを構成し、巨大で複雑な計算を分担し同時に平行し行った。19世紀までは若手研究者がこの仕事を任されることが多く、(当時の研究職の男女比に従えば当然のことであるが)計算手は男性ばかりであった。しかし、エドワード・ピッカリングハーバード大学天文台の計算手やデータ解析要員として女性を多く採用したことで、その後女性が計算手となる機会が増加し、また天文学分野での女性研究者の進出へと繋がった。さらに第二次世界大戦中は徴兵によって男性研究者が減ったため、計算手は専ら女性の仕事となった。ENIACの最初の6人のプログラマは、弾道計算のための計算手として雇われていた女性の中から選ばれた。なお詳しくは英文の”Computer (job scription)”From Wikipediaを参照。

ハーバード大学天文台の女性たち(ハーバードコンピューターズ)

(WEB コンピューターと呼ばれた女性たちー情報今昔物語)

 1900年頃、写真機を望遠鏡と接続することが出来るようになると、 散在する無限と思われる程の星たちの像が写真乾板に撮影された。 これらの星々は、 その位置と共に、 明るさや色を読みとって記録しなければならない。 しかし、 丹念に一つ一つ記録すると云うことは、 気が遠くなるような作業である。 天文台長のエドワード・ピカリングは、 多数の女性たちを雇い入れて、 その作業に当たらせた。 多くは天文学の知識など全くない女性たちであった。
 それらの女性の中から、 後年、 天文学に偉大な成果をもたらした女性たちも輩出した。 ウィリアミーナ・フレミングは、 もとはピカリング家のメードだったが、 天文台の計算手になり、 後に白色矮星のスペクトル特性を発見し、 英国王立天文学会より名誉会員の称号を贈られる。 アニー・キャノンは後に、 恒星の表面温度による分類を確立する。 ヘンリエッタ・リービットはケフェウス型変光星の周期光度関係を見出す。

・もう一つの計算手(WEB ”つくばサイエンスニュース「コンピュータは計算手」少し視点を変えて”)

3人の女性計算手

2016年、 彼女らを描いた映画 「ドリーム」 が作られた時、 全米に大きな感動が走った。 

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 1950年代終わりから1960年代の初め、NASAラングレー研究所。このころ電子機器であるコンピュータが研究所に入り始めた時期、まだまだコンピュータは計算能力も台数も限られていたので、設計のための多くの計算や、膨大な軌道/航法などの解析は彼女ら「計算手」が手動式の計算機を操作することによってなされていた。

 1960年のキャサリンらの論文には、ロケット打ち上げから、軌道周回、そして軌道離脱/着水までの軌道を計算する解法が記されている。この当時はまだ「計算手」による手動計算機による計算が主流だったため、運動方程式を解析的な計算法にして、少ない計算で結果が導き出せるエレガントな手法が編み出されている。
 その後、コンピュータ時代になって、解析的な手法から、地球の重力や、大気の抵抗といった要素を運動方程式に盛り込んで、“ぐいぐい”と力任せに数値積分で解いていくやりかたに変わっていった。
 現代の宇宙飛行を支えるのは後者の数値積分手法が主流となっている。

 キャサリンは後にジョン・グレンによるアメリカ初の地球周回飛行の時にグレン飛行士に乞われてIBMコンピュータによる計算結果の検算を依頼される。この場面は宇宙飛行士たちのキャサリンたち計算手に対する信頼の高さがうかがえる。グレンがキャサリンの検算結果を信じて飛んだのは言うまでもない。後に、三人の女性たち、キャサリンは宇宙航行部門のベテラン技術者へ、ドロシーは計算機プログラマー達のまとめ役の管理者に、メアリーは宇宙機の有能なエンジニアに、それぞれの道を切り開いていった。

・毎日新聞2020年3月8日 東京朝刊余録
 米国初の有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」を支えた数学者、キャサリン・ジョンソンさんが101歳の生涯を閉じた。黒人女性という逆境を才能と努力で克服し、文民最高位とされる「大統領自由勲章」を受けた▲宇宙飛行士を安全に帰還させるための軌道計算を担当した。導入間もないIBMの電子計算機がはじいた結果を疑ったグレン飛行士から再計算を依頼された逸話は有名だ。彼女が主役の映画「ドリーム」のハイライトでもある。

・FUJICの1人の女性 1956年

(WEB ”つくばサイエンスニュース「コンピュータは計算手」”より)
 我が国で始めて作られたコンピューターは、 富士フィルムの設計課長岡崎文次が1956年に作ったFUJICである。 カメラのレンズの設計には膨大な数値計算が必要で、 このため、 同社には100人近い女子計算手が勤務しており、 来る日も来る日も一日中、 2人1組で対数表を片手に手回し計算機でレンズ設計の計算をしていた。 それでも、 少し複雑なレンズになると、 1組のレンズの計算に3ケ月以上も必要だった。 この状況を改善しようと思った岡崎は、 昭和24年から7年間をかけて、 計算手の女性1人の手助けだけで、 一人で、 1700本の真空管を用いた電子計算機を作り上げる。 
  この電子計算機は早速に、 レンズ設計に用いられたが、 同社は2年後にはフィルムの製造に専念することになってカメラの製造から撤退し、 FUJICも倉庫行きになった。 その完成のために心血を注いで計算に没頭して働いた一人の女性、 その女性の名前は、 もう伝わっていない。 (以上引用)

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・プログラマー

 プログラマー(Programmer)とは、コンピューターのプログラムを作成する人。史上初のプログラマは、詩人バイロンの娘、 エイダ・ラブレス(ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング・1815-1852)であるとされる。彼女はチャールズ・バベッジが作成した解析機関のオペレータであった。プログラミング言語Adaは、彼女の名前に因んで命名された。(From Wikipedia)


第14 話 天文学と数値計算、数表、計算機械、人間の作業・計算手③

2020-04-03 14:38:19 | 脳トレ宇宙論

脳トレ宇宙論 第14話

天文学と数値計算、数表、計算機械、人間の作業 ③

アナログ式微分解析機

  天文学の進歩は宇宙の観測、測定、考察 理論ばかりではなく、計算に大きく依存している。そして数学、数値計算、数表、人間の作業に関連して、膨大なデータ解析のための大量の計算、および人間の骨の折れる作業から解放し少しでも効率を上げるための計算道具や計算機械を作るという工夫や努力も必要不可欠であった。

計算道具・計算機械発展の歴史から 

・BC100年  古代ギリシャ  アンティキテラ島の機械 (1901年、古代ギリシャの沈没船から回収された天文学用歯車式計算機)  

 

☆初期の手廻し計算機(Early Gear Caluculators)
ネイピア(John Napier)の計算棒

  

 1614年のネーピアの対数の発明以来、天文学者は長い計算を行うのに対数表を頼りにしてきた。さらに航海のために天体の観測から正確に位置を計算する、大砲の弾道軌道の計算などを複雑な計算を行う計算機械の必要性が高まる。ヨーロッパでは16世紀頃から精密機械技術の発達により計算機と呼べるものが作られるようになった。機械式計算機が市場に販売されるなようになったのは19世紀末になってからである。

・1623年 シッカルト(Wilhelm Schickard)の計算器(Rechenmaschine)およびシミュレータ
1642年  パスカル(Blaise Pascal)のパスカリーヌ(The Pascaline) 歯車式計算機 (加減算のみ。ただし減算は補数で行う)  、シミュレータおよび機構の説明、パスカルが税務官の父の計算を助けるために歯車式の計算機を作成した。

・1673年  ライプニッツ(Wilhelm von Leibniz)  機械式計算機   (Stepped Reckoner/Reconstruction:1673) (加減乗除の計算が可能)、ドイツのライプニッツはそれを改良してさらに高度な計算機を作成した。

UK の数学者バベッジ(Charles Babbage 1791年ー1871年)は人間の骨の折れる作業から解放すると言うライプニッツの思想を受け継ぎ、バベッジの解析機関を考えた。

1820 年 トーマス  機械式計算機の商品化

1822年 階差機関(Differential Engine )No.1

1833年ー1834年 バベジ 機械式計算機の解析機関(Analytical Engine)および機構の解析・シミュレータなど開発開始
1853年 シュッツ兄弟(George and Edwrd Schuetz)の階差機関(Differential Engine)→4次多項式まで

1898年 エドワード・モーリーはサムエル・W・ストラットンとともに,フーリエ級数の160個の係数を決定できる機械的な装置(調和解析機)を作った。

1907年 グラント(George B. Grant)の階差機関(Differential Engine)

1991年 階差機関(Differential Engine)No.2

☆計算表と計算尺(Calculation Tables and Slide Rulers)(この項、WEB”歴史上の主な計算尺”参照)

1574年 Georg Joachim Rheticus の計算表

1596年 Valentius Othoの計算表「Opus Palatinum de Triangulis」
1620年 William Oughtred の最初のSilde Rule (スライド式)

1632年 同上回転式
1902年 Carl George Lange Barth Slide Rule (テイラー展開によるもの)


☆手廻し(歯車)計算器の興隆(Modern Gear Calculators)
1821年 Charles Xavier Thomas de ColmarのアリスモメータArithmometer)
1870年 バルドウィン(Frank S. Baldwin)計算器

1875年 オドナー計算器(Willgodt Theophil Odhner)

1889年 ボレー(Leon Bollee)の計算機
1893年 シュタイガー(Otto Steiger)の ミリオネリア(Millionaire)
1903年 矢頭良一の自働算盤(Patent Yazu Arithmometer)

1907年 ティム(Baby Tim)計算器

1910年 ブルンスヴィガ計算器(Brunsiviga)→マーチャント計算器(Marchant)
1923年 大本寅治郎(1887-1961 )大正8年(1919年)国産計算器の発明考案に着手し、1923年商品として完成「虎印計算器」として販売開始した。

 
 

☆統計マシンとレジ(会計器)の登場(Statistical Machines and Acounting Machines)
1890年 ホレリス(Herman Hollerith)による国勢調査(Census)機
1895年 John K. Goreによる整列・分類機
1887年 米国海軍(開発者Dorr E. Felt)のコンプトメータ(Comptometer)

1888年 バローズ(William S. Burroughs)の会計機(Adding machine)


☆論理マシン(Boolean Logic and the successors)
1777年 Charles Earl StanhopeのDemonstrator最初の論理マシン
1869年 William Stanley JevonsによるLogical Piano
1890年 Allan Marquandによる電気式論理マシン
1910年 トレス(Leonardo Torres y Quevedo)によるLogical Automata - El Ajedrecista(The Chessplayer)


☆コンピュータ時代に向かって
・1893-1920年トレス(Leonardo Torres y Quevedo)の代数マシン(Algebraic Machines)
・1920年ヴァネヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)の積分器(The Product Intergraph)、続いて微分解析器(Differential Analyzer)

・1945年 米のエッカートとモークリーはフォン・ノイマンの協力の下に2進法の最初の真空管式計算機ENIACを完成


・1949年 ENIACの後継機種として初のプロミング内蔵型計算機EDVAC完成

 つい最近まで、まだトランジスタの集積回路になる以前、計算機は真空管の熱の中で夥しいケーブルに繋がれ、計器の針が慌ただしく動き、パンチカードを音を立てて吐き出す機械だった。観測結果など現実のさまざまな場面で生じる課題に挑んだ理論家・技術者たち、そして彼らの試行錯誤の末に生み出されたさらにユニークな機械やアイデアの流れが交錯し、影響を及ぼし合いながら、未来に向かって進歩していく。

 そして現代の電子計算機のような科学技術的進歩が、従来人間の頭と手で行なわれてきた作業を代行し、作業の能率と規模において革命的な変革を齎しており、宇宙論においてもさらなる発展が期待される。