8月15日、いろいろな、報道番組がありました。
大変勉強させていただきました。
皆さんは、いかがだったでしょうか。
沖縄ひめゆりの塔に関しての、令和天皇のお言葉が、印象的でした。
過去に、いろいろなことがあった。
戦争を知らない世代は、それを学んで行かなければならない。
4年前の過去ログである。
幼い昭和の戦争の語り部の記憶である。
昭和20年8月15日、日本は負けた。
もう、戦争は終わった。
そんな意味のことを、兄たちから聞いた。
mcnjが小2の時である。
午前中だったと思うが、学校は無かったのだろう。
一番上の兄が、父親の自転車を引っ張り出して来て、後へ乗れと言った。
なんのことか、理解できないまま、自転車でどこかへ連れていかれた。
大勢の大人たちが集まって来ていた。
兄は、その中に混じって、じっとラジオを聞いている様だった。
ひどい雑音で、耳を澄まして聞き入っても、よく聞き取れなかった。
仮に、聞き取れたとしても、mcnjには、その意味する所は理解できなかったであろう。
やがて、また、自転車に乗せられて、家へ戻った。
父は、仕事に行っていたのだろうか、夕方帰って来て、3人の兄達と、ボソボソ語り合っていた。
これからどうなるのか、予測は着かなかったが、4人の、深刻そうな顔から、何か、大変な事態が起こりそうだと言うことは分かった。
それからあとのことは、良く覚えていない。
翌日、学校で、どんな話があったのか、不思議なことに、あまり記憶が無い。
実際、何も無かったのだろうか。
敗戦と言うものに対する、小学2年生の記憶と言うものは、その程度のものだったのかもしれない。
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本シリーズの戦中に関する記憶も、本稿が最後となった。
信州の山の中の田舎の出来事を、小学一年生が見聞した、幼い記憶である。
本来なら、降りかかる焼夷弾の中を逃げ惑う母子の記憶、火を引いて飛んで行く艦砲射撃の記憶、焼け跡に呆然と
佇んで、周りを見渡している記憶などを書ければよかったのだが。
願わくば、mcnjより年長な方、都会で経験された方々の、語り部としての記憶を書き残していただきたいものである。
次稿より、もうしばらく、戦後の記憶を書き残しておきたい。
ブログのお友達の、ローリングウエストさんの、昭和の戦争に関するブログのURLです。
是非とも、ご覧になってください。
<2015夏>「戦後70年」の節目https://rolingwest.exblog.jp/24448508/
「松代大本営の探訪」https://rolingwest.exblog.jp/23938746/
東京都慰霊堂を訪ねて https://rolingwest.exblog.jp/17492015/
川崎の桜(春爛漫レビュー)&戦後70周年を迎えてhttps://rolingwest.exblog.jp/23729952/
当たり前に暮らしている私達
祖父母達の話を聞いて 少しだけでも
戦争の事 どんな暮らしだったかってことだけでも 聞いて頭に入れておかないといけませんね
平和ボケしていられませんものね
とても恐ろしかったです
護衛艦に戦闘機を載せて・・・・
もう戦艦と呼んでいいのかも。
大きな飛行機が低空で飛んできた記憶が
あります。
海岸に身を伏せてジッとしていました。
昨晩のNHK。侍従長の田島さんの記録に
ついて番組かされていました。昭和天皇の
苦悩がよく分かります。
さて、玉音放送。これはこれで水面下で
色々あったと言うことを聞いています。
天王さん自身の身の危険もあったと言わ
れています。
8月15日がきましたね。
色々な番組が放映されていました。
戦争には、いいことは一つもありません。
悲惨なことばかりです。
戦争を知らない世代に、語り継いで行かなければなりません。
図書館で、ご覧になられましたか。
戦争の悲惨さを、皆さんにも、お覚えてもらいましょう。
護衛艦に名を借りた、戦艦ですか。
今の憲法では、戦争をするための武器は、持ってはいけないことになっていますね。
B52の爆音は、不気味でした。
松本には、日本の戦闘機しか飛んでいませんでしたが、前にも書きましたが、一度だけ、爆弾を落とされました。
祖礼拝は、上空を通過して、よその土地を攻撃しに行く爆撃機だけでした。
何ともつらいですねえ。
二度と戦争はしてはいけませんね。
でもあほな国もあるからね・・・