blog.mcnj

花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

戦後70年の記憶(過去ログ)、迷彩

2019-08-12 00:00:00 | 日記

4年前の過去ログである。

幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。

 

終戦になり、戦前、戦中教育は終わりを告げた。
このことは、過去ログ松本開智学校でもとりあげた。↓
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=d939cd0f1dc9ff23424ba916c1514266&p=1&disp=50

mcnjが2年の時、敗戦となった。
進駐軍が進駐して来ると、日本政府の教育方針の間違いが指摘され、教科書が訂正された。
訂正と言っても、書き直したり、再発行されたわけではない。
今まで使っていた教科書の、都合の悪い所だけ消して使えと言うのであった。

昨日まで、教師が、ここは大切なところだから、良く、覚えよ、と言って教えていた所を、ここは、間違いである。
消せ、と言うのである。
授業中に、硯で墨をすらせて、教師が消す箇所を読み上げ、生徒が筆で、その通り消すのである。
mcnjは、四男坊であったから、教科書は、上から払い下げて、順番に使わせられていた。
自分の使っていた教科書は、自分で消して使ったが、何年か後では、もう、消されていた教科書であった。

日本が、敗色濃厚の時であった。
信州の田舎の松本も、空襲が近いと言うので、その対策を迫られた。
学校には、軍隊が避難していると言うことは、米軍のことだから、当然、承知していたはずである。
軍部は、上空から、飛行機に発見され無いように、校舎の屋根に、迷彩を施すと言うのである。
その頃は、軍部でも、物資が払底しており、屋根に塗るペンキにも事欠いていたらしい。
図画の時間に、生徒に持って来させた絵具を、必要な色だけ各人に溶かさせて、兵隊たちが、バケツに入れて回収して行った。
それからしばらくは、兵隊たちは、校舎の屋根の上に上がって、毎日のように、迷彩を施していた。