MATTのひとりごと

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ハーブ・オータ・シニア

2012年08月01日 | オータサン

インターネット上では「Herb Ohta, Sr.」(ハーブ・オータ・シニア)という人物を頻繁に見受けます。
たとえば2011年のウクレレ・フェスティバルの動画をはじめ各地での演奏動画、さらには紹介記事、そしてCDの演奏者名にもその人物が登場しているのです。

もちろんオータサンのことを指しているのですが、オータサンご本人は過去に一度たりともステージネームとして「ハーブ・オータ・シニア」と名乗ったことはありません。確かに1934年10月生まれの77歳ですからシニアシチズン、すなわち高齢者(普通は65歳以上)では有りますが・・・・・・

米国をはじめ海外各国の家庭では父親がSr.と名乗り、息子(大抵は長男)の誕生の際に同じファースト・ネームを付け、そのあとにJr.(ジュニア)をつけて区別する風習があります。その次の世代になるとIIIrd(三世)・・・そうですルパン三世のように???・・・と順番に付けていくようです。

オータサンの本名はHerbert Ichiro Ohtaそうですマリナーズからヤンキーズに電撃移籍したIchiro Suzukiと同じ日本名を持っているところからイチローの熱烈なファンでもあるようですが・・・・・

その彼が1964年に日本での海兵隊勤務を終えてハワイのレコード界にデビューした際にフラレコードのオーナーであったドン・マクディアミッド・シニアが彼のために「サーフサイド」というレーベルを作ると共に彼のステージネームとして日本人の間で敬意を以って呼びかけるときに使う「~さん」を採りいれて「オータサン」と名づけたのです。それとともにちょうど坂本九の「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」として大ヒットしていたのにあやかってデビュー曲の「鈴懸の径」と「森の小径」をそれぞれ「スシ」「ボンサイ」と名づけたこともあってこれまた大ヒットをし、オータサンも一流プレイヤーの仲間入りを果たしたのです。

その後デッカその他でレコーディングするようになり、ステージネームもハーブ・オータと変えたのですが、後年息子が「ハーブ・オオタ・ジュニア」を名乗るようになってから混乱が起こり始めたのです。

ジュニア(本名Tyson Ohta・・・日本名はありません)は上記の定義にあるように誕生時にオータサンがHerbert Ohta, Jr.と名づけたわけではなく、あくまでもステージネームとしてHerb Ohta, Jrと名乗っているだけなのです。

この名称でも米国やハワイでは全く問題なかったのですが、日本で「ハーブ・オオタJr」の「Jr」には馴染みがなく、ジュニアが地方でコンサートを開くとオータサンと思ってやってくる観客からクレームが出ることがありました。彼らに取って「Jr」は単なる符号に見えたのでしょう。

そのころジュニアからは「MATTさん、ボクのステージネームを変えたほうがいいのかなぁ」と相談を受けたことがあったので「変えないと混乱が続くのでは?」と答えた覚えがあります。
そして結局父親の方が昔のステージネーム「オータサンを使うようになって現在に至っています。しかし繰り返しますがオータサンが一度たりとも「ハーブ・オータ・シニア」と名乗ったことはありません。

ただ、これだけネットやCDで「シニア」が広まってしまうと残念ながら本人の意思にかかわらずそのように呼ばれるのが普通になるような気がしてしまいます・・・。

「シニア」の「Sr.」という略称はほかにも「未知の男性に呼びかけるときに使う「サー」の略記でもあります。

「サー」はそれ以外にも「~閣下」とか貴族の「~卿」とというときにも使われます。
あるときわが国のハワイアン音楽解説の第一人者の書いた記事に「何々サー」という名前がやたらに出てきたのを読んだことがあります。そのときは「サーとつけるなら名前の前に付けなきゃ・・・」などと思いながら読んでいたのですが、途中でこの筆者は「シニア」という言葉をご存じ無いため「Sr.」を「サー」と書いたのだと言うことが分かりました。編集者も気がつかなかったのでしょうか?
同様にわが国では「Jr」というのは鉄道会社の略称程度にしかうけとめられていなかったのでしょうね。

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