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母の手の鳴るほうへ魚形のおまえ

2007年10月10日 | 川柳
       沖で待つ父のなきがら吾のぬけがら    細川不凍

 現代川柳「新思潮」のNO82で片山哲郎氏は、この細川不凍氏の作品について「この九月に全身を縦に切り割く大手術をした細川不凍氏であり、介護の手が無ければ生き延びられぬ、ぬけがらのような吾がここにあるという。壮絶な現代川柳の生命である。」と評している。

 川柳という作品の核にあるものは、感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動をする表皮的意識の表白ではなく、生き延び永らえるという生命の壮絶な闘いの存在、詩魂の表白が叫びとなって活写されなければならないと思う。
                        (笑葉・・水脈4月号抜粋)

      病みゆるむ桜前線ひきよせて      細川不凍
      仕置場のさくらが凛と咲くのです     細川不凍

 日々病と闘う不凍氏。激痛と戦いながらも生きようとする、計り知れない精神力を持ち合わせた人である。

 少しではあるが激痛から開放されたときは、精神的にもゆとりがでてくるのであろう。
ソメイヨシノのあの見事な開花前線をひきよせる不凍氏のオーラに、明るい兆しが見えてくる。

 不凍氏は病魔という、いつ断罪されてもおかしくない仕置場に立たされている。しかしそこには病魔に屈しない「さくら」が慄然として開花しようとしている。

 りりしく咲く「さくら」こそ、まさに不凍氏そのものなのだ。
真実の表白は虚を超えて衝迫する。       (笑葉 原流7月号より鑑賞)

     新子逝く菜の花畑に子を産んで    細川不凍
     ひまわりの首の折れ目の青春忌    細川不凍
     八月の廃港 幽霊船が着く      細川不凍(原流・・9月号)

 容子氏の「凛としたオーラ」の細川不凍作品鑑賞に、しばらく時間が止まった感の私である。
         雪を褥にまぼろしの妻抱きぬ  不凍

 大会前にして、この句と容子氏の渾身の文筆力と自分自身の内面と照らし合わせ

 私も、画面が真っ白になる句が作りたくて、雪と葛藤することがある。
でも、この句のまぼろしは、まぼろしではなく実在するはずだと勝手に思っている私がいる。

    氏の中に存在しないものに、心打たれるはずも無いはずだと思う。

    真っ白な画面は、やがてシャガールの絵のような画面を想定させる。

  笑顔の美しい明るい女性が見えてくる、真っ白な褥(布団は)は冷たくなんか無い!

   雪は、人を選ばずに・・差別しないで風のご機嫌次第で勝手に降って来る。

雪はふたりの温かい羽毛布団に変わる・・・雪はあったかい・・不凍氏のこころの奥底に褥を見たのですか・・・。容子さん。

そんなこんなを考えて「ぬ」止めの句は大きな画面を静かに閉じる効果も発見しました

    今まで、中央に作品を発表し続けていた不凍氏だと窺っています。

      これからは、原流で魚にでもなって一緒に泳ぎましょうネ!

     原流は容子さんも在籍していた結社です。魚の句が上手でしたね。

          石室の扉を叩く郵便夫        容子
          小春日の産卵ひそと光る刻      容子
          あやとりの川に魚きて消えていく   容子(2005・11月号)
          母の手の鳴る方へ魚形のおまえ    不凍
 
          酸欠の街を流れる深海魚       私

         川柳っていいね!句は生きている!!
 


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