海音寺潮五郎著「歴史余話」から
大宝律令には軍制の規則があって、常備軍が置かれる事になっていたが、平安初期、桓武天皇の延歴年間(元年782)に財政上の理由で廃止されてしまった。軍のない政府となってしまったのである。検非違使と言う警察制はあったが盗賊の追捕程度は出来るが武装した大きな集団になると対応出来なかった。住民はここに自衛の手段が必要となった。寺院の僧兵、神社の武装神人はこうして発生したが自らの手で開墾し地主となった者は私領地の民の中で屈強の者を郎党とし武術を習得させ従えた。これが武士の起源である。従ってこの時代の武士とは在地地主とその家ノ子、郎党らとを武力を備え持つと言う点で呼んでいる名に過ぎない。実体は地主、自作農、小作農などの作農者で生産者なのである。後の戦国時代中期から江戸幕末に至るまでの消費者としての武士下級とはこの点ではっきり違っている。
大宝律令には軍制の規則があって、常備軍が置かれる事になっていたが、平安初期、桓武天皇の延歴年間(元年782)に財政上の理由で廃止されてしまった。軍のない政府となってしまったのである。検非違使と言う警察制はあったが盗賊の追捕程度は出来るが武装した大きな集団になると対応出来なかった。住民はここに自衛の手段が必要となった。寺院の僧兵、神社の武装神人はこうして発生したが自らの手で開墾し地主となった者は私領地の民の中で屈強の者を郎党とし武術を習得させ従えた。これが武士の起源である。従ってこの時代の武士とは在地地主とその家ノ子、郎党らとを武力を備え持つと言う点で呼んでいる名に過ぎない。実体は地主、自作農、小作農などの作農者で生産者なのである。後の戦国時代中期から江戸幕末に至るまでの消費者としての武士下級とはこの点ではっきり違っている。