読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

8、日本女子留学事始め

2012-05-19 09:09:13 | 歴史
 1882(明治15)年6月14日、卒業式を迎えた。捨松は最初にアメリカの大学で
学士号を授与された日本人女性、いやアジアの中でも初の女性となった。

 礼拝堂の壇上に並ぶ39名の卒業生の中で、捨松は美しい着物を着て前列に座った。
10人の卒業生代表の一人に選ばれて、演説をするのである。
来賓の中には、わざわざニューヨークから来た高橋総領事の姿も見えた。

 9人目に壇上に立った捨松の着物の見事な刺繍に、礼拝堂を埋め尽くした
観客から思わず溜め息がもれた。しかし捨松の行った演説はさらに素晴らしいもので、
途中しばしば拍手のために中断され、演説が終わった時にはしばらくの間、
拍手が鳴り止まなかった。

 演説は「イギリスの日本に対する外交政策」と題して、イギリスが不平等条約によって

日本国内に治外法権を維持し、その政策がこのまま継続されるなら、日本人は国の独立のため
に闘うことを決して止めないであろう、という内容だった。

 シカゴ・トリビューン紙は「精力的で明快な調子で、しかも純粋なアングロ・サクソンの英語で
力強く論じており、この日の演説の中で一番熱狂的な喝采を受けた」と報じた。

 ニューヨーク・タイムズ紙も「彼女の論旨は、的確に将来を予見した素晴らしいものである。
完璧なまでにイギリスの保守主義的な政策を理解しており、アメリカの自由と友愛の精神に対して
惜しみない賛辞を送っている」と絶賛した。

 バッカス教授が評した「彼女の中に秘めたる力」が、現れたのだろう。
その力をもって、山川捨松は祖国に戻っていった。