読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

幕末、長州藩の思想は

2012-03-27 09:05:40 | 歴史
幕末、長州藩の思想は他藩とは異なっていた。尊皇攘夷の先駆けとなった水戸藩でも幕府そのものを消滅させようなどとは思っていなかった。この後、革新派として登場した薩摩の島津斉彬、越前福井の松平春嶽、土佐の山内容堂、伊予の伊達宗城、佐賀の鍋島閑叟なども表面上は攘夷だが外国技術導入派であった。政治思想としては政治形態は幕府をそのまま公認の政府とし、列藩会議を制度化し徳川政権内に雄藩が留まろうとするものであった。しかし、その点で長州藩は全く違った思想を持っていた。それは吉田松陰と言う思想家が作り上げた画期的な政治思想で、藩内に確固とした信念として定着していた。その思想とは「天下万民は天皇の臣民で、幕府は天皇の委任を受けた政治の代行者に過ぎず、それに不適任であれば、直ちに大政は天皇に奉還すべきものである」と言うものであった。
この思想は松蔭の門下生に受け継がれ、久坂玄端、高杉晋作などが登場するに及んで倒幕へと突き進んでいったのである。