日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

霜月三河旅、豊田から岡崎

2022年12月04日 | 旅行

 霜月の終いに岡崎を拠点に三河地方巡りをして、締めくくりに念願の熱田神宮を訪れてきた。この旅、当初通りの予定ならば八月二十八日からのはずだったのが、寸前で家族の新型コロナウイルス感染が判明してしまって延期になっていたものだった。ようやく三か月ぶりで実現した二泊三日の旅、これまでなく難産の末にようやく実現を果たしたものの、道中は和やかに進むように願いつつも、行き違いの修復が果たせない予兆を秘めながら、ときに対話が成り立たなくなって思いやりと寛容さを失いそうになり、ほろ苦い思いも含んだこれまでにない旅となった。

 豊田市美術館「ゲルハルト・リヒター展」をガイド付きで観たあと、足を延ばした豊田市民芸館からの帰路だった。片野元彦・かほり父子による藍染の絞りは良かったし、茶室からの紅葉と矢作川勘八渓谷の眺めもよかった。
 冬の日の暮れ始めた中岡崎駅へ降り立ったときには、どことなく不安な思いがしていた。岡崎は初めてであったし、滞在先最寄り駅は名鉄本線「東岡崎駅」がメインと案内を受けていたこともあり、虚を突かれた感じがしたのは致し方ないだろう。ふたつの駅は乗り換え可能ではあったものの、いったん改札を出る必要があったことが下車してわかる。これが振り返るには、どうもあまり良くなかった気がする。
 ここから滞在先までは徒歩圏ではあるらしいのだけれど、荷物を持っての暗い道中はできればタクシーを利用したかった。思いのほかローカルな中岡崎駅前に車が回送してきそうな気配はなく、もう疲れてはいたと思うが、仕方なくといった感じで暗闇を歩き出す。不条理さに加えて非と責められると、昼間なら何でもない道行が、なんとも遠くに感じて気持ちがすっかり萎んでしまった。
 ようやくといった感じで岡崎公園に隣り合った滞在先に到着したのだが、落ち着かずになんとも気まずいままで夜を過ごすことになりそうで、たまらなく気が重くなる。。受付もスムーズにはいかなくて動揺し、落ち着こうと自分に言い聞かせる。

 窓からは暗く沈んだ内堀に木々の影とライトアップされた天守閣と、その左隣り先に南欧風のそれとわかる安っぽいヴィラが浮かび上がっている。まあ、行ないの結末はもう悔やんでも仕方ないし、こんなこともあるさと自分を慰めてみる。ひとまずはアルコールを口にして体を温め、空腹を満たそう。深い眠りに入る前に展望大浴場に身を浸してみる愉しみだってあるさ、と気を取りなおす。

 翌朝、目覚めるとまだ暗がりの中に見知らぬ街が沈んで灯かりが瞬いている。眼下には乙川の広い河川敷、そこにはグランドと遊歩道が整備されているようで、コース道幅を記すLEDサインが点々と連なっている。そのコースを時折、別の灯かりが単独で進んでいくのを目を凝らして眺めていると、夜明け前のランニングをしている人のヘッドライトだった。大小の連なって揺れる灯かりは、どうやら犬をお供に散歩する姿である。こうしていつものようにこの町の情景は一日の始まりを迎えることを繰り返しているのだろうか。

 明るくになるにつれ、岡崎城址に隣り合って滞在したコーナールームの部屋からは、乙川の流れと天守閣が真正面に望める絶好のロケーションとなり、朝の光とともに気持ちも晴れてきた。
 せっかく岡崎を訪れたのだから、展望浴場の朝風呂ですっきりとして、お城を眺めながらの朝食を取り、まずはすぐの岡崎城址をめぐって徳川家康公生誕の足跡を確かめることにしよう。それからは、やはり外せない「八丁味噌の郷」巡りへと旧東海道を歩いて行けばいいさ。
 その日の行程プランが見通せるとほっとする。気を取り直して滞在そのものをじっくりと楽しもう、と思えるようになり、嬉しくなる。午前中のダラダラはリラックスできていい気分でシアワセな気持ちになれる貴重なひと時だ。そうだ、急ぐことはない、すこし部屋でゆっくりしてからお昼前に出かけたらいいよねって、お城を眺めながら、天下人の気分でうたた寝をするのも悪くない、緩急自在で行こう。


 東海道新幹線車中。新富士駅を通過し、富士川鉄橋を渡る(撮影:2022.11.27) 


秋深し、甲州府中の旅 その二

2022年11月11日 | 旅行

 翌朝の六時に目覚めると、東からのひかりが窓の外の山並みにも射し始めている。曇りの予想が青空も覗いてくれていてまずまずの天候、美しくも雄大な光景で、今日は良いことがありそうだ。
 まずは、目覚めに大浴場で入浴してから、朝食会場へと向かう。バイキング形式の会場は入り口から順番待ちの列ができていた。三階屋上庭園と外が望める窓脇に並んで席をとる。目の前には、敷き詰められた小石の庭と紅葉した植栽の木々、その先にはうすっらと紅葉が始まった湯村山のたおやかな山並みが広がる。


 
 食事をいただいた後、湯村温泉巡りに繰り出す。一階ロビーからそのままコンベンションホール前をぬけてゆくと、併設されたコンビニの横に出て温泉通りへとつながっている。早朝通勤のためなのか、車がスピードをあげて走り去ってゆく。
 温泉街通りを行けば、そこはかとなくさびれた感は否めない。湯川橋を過ぎると、廃業になったらしいホテル建物は閉鎖されたままか、老人ホームやデイサービス施設に転用されていた。太宰治が新婚時代に逗留したという旅館明治も古びて時代がかった外観を晒している。
 弘法大師伝説が残る、杖温泉弘法湯の道路にかかる渡り廊下をくくり抜けると塩澤寺だ。石段階段の参道のさきにそびえる立派な山門を見上げる。ここの脇にあるのは舞鶴の松、石組に囲まれて張り出した枝ぶりの、これまたとても立派なこと。鶴が翼を大きく広げた様子にたがわず、左右の枝ぶりは三十メートルほどもあり、樹勢いはなお盛んな様子だ。この境内本堂前からは前方はるか南アルプスのむこうに、富士山頂が望める天下一品の絶景だ。お寺の脇には、湯村温泉発祥の湯跡があるらしい。

 ここから折り返して擬宝珠つきの庚甲橋を渡り、一本裏通りをぬけて引き返す。温泉通りの入り口の向かいは、皇室御用達で囲碁将棋のタイトル戦にも利用される常盤ホテルがある。玄関入り口前では、ドアマンがうやうやしく迎え入れてくれる。中に入れば大きく広がるロビー、そこから望めるよく手入れされた美しい庭園が望める。外には数棟の離れが点在していて、ケヤキや松の大木、皇室お手植えの栗の木、ツツジの植え込みを縫うように流れが注ぎ、ロビーソファに座ると、目の前の池には優雅に錦鯉が泳ぐ。外界の喧騒からはまったく伺えない別世界だ。

 十時に昇仙峡めぐり観光タクシーの予約を入れていた。宿泊先に戻ってロビーで待っていると年配の運転手が迎えにきてくれた。黒のプリウス、初めての乗車でちょっとワクワクする。当初、シーズン運行のルーフトップバスを予約していたのに、前日の思わぬトラブルで突然の中止となってしまって、途方に暮れていた。たまたま手にしたチラシで、観光タクシーの四時間コースが甲府市の助成付きと知り、急きょ当日申し込んだら、首尾よく予約がとれて手配がつき、ほんとうにラッキーだった。

 昇仙峡まで一時間あまりの道のりである。平日だったので、渓谷にそった遊歩道は上り一方通行の通り抜けが可能となっていて、車窓から紅葉と奇観絶景を楽しむことができるという。十年ほど前は観光馬車が運航していた遊歩道を、その日はプリウス後部座席に乗り、速度を落としてもらって巡っていると気持ちは半分ロイヤル気分で、覗き込むハイカーたちにも手を振りたくなってくる。
 途中の仙我滝では、運転手さんが車を降りて待っていてくれた。昼の日が射して落差三十メートルの滝壺には、うっすら虹のアーチがかかっている。



 渓谷遊歩道の階段を上がりきったら、こんどは昇仙峡ロープウェイで山頂展望台へと昇る。ゴンドラの標高が上がるにつれて雄大さが増し、周囲を取り巻く山肌の紅葉のグラデーションが見事である。南アルプスの向こうには、富士山の頂きが雲の上に浮かんで見えて雄大さはこの上なし。甲府市街全体と盆地も俯瞰して天下一望のままだ。


 昇仙峡ロープウェイ展望台から南アルプス、富士山頂を望む(2022.11.7 撮影)

 ロープウェイを下ってから、さらに上流の荒川ダムまで走ってもらう。ダム湖である能泉湖畔の民芸茶屋大黒屋で昼食にして、運転手さんを囲んで御岳そばと“おざく”をいただく。聞きなれないメニューの“おざく”とは、ゴマ汁だれにつけていただく“ほうとう“のことで、冷たくてシンプルかつ、しこしことのどごしがよい。付け合わせのお漬物と桑の葉入り豆腐は、自家製のものらしく美味しかった。

 いよいよコースも終盤で、和田峠からは長い長いくねった下り路、千代田湖のわきをぬけて武田神社へすすむ。ここはかつて武田家三代居城だったところで、周囲には当時の濠や土塁が残る。風林火山ののぼりがはためく武田神社正面からは、甲府駅方向まで一直線の桜並木参道、武田通りがゆるやかに下りながら伸びている。その左右に広がる住宅地や山梨大学敷地は、かつての武家屋敷が立ち並んでいたところで、当時の町割りがそのままに想像できる。
 戦国時代、武田氏によって整えられた甲府最初の城下町起点は、ここから始まっていたのだった。


秋深し、甲州府中の旅

2022年11月09日 | 旅行

 この晩秋に、今年二回目の甲府を旅してきた。十月の中旬に一人旅をしてきてから、新潟への冬支度帰省をはさんで半月後の甲州巡りを満喫する。街歩きによる新しい発見や昇仙峡紅葉の進み具合も鮮やかで、その記憶の新しいうちに旅行記を残しておく。
 
 旅は横浜線経由ではじまり、八王子で乗り換え、JR臨時特急「かいじ57号」(9:57発)へ乗車して、中央線を一路西へ、甲州へと向かう。天気は上々澄み切った青空のもと、相模湖を左側に見下ろして、神奈川と山梨県境の桂川渓谷に沿って鉄路は続く。
 途中、大月では富士急行と接続するが、そのまま中央線のほうは笹子の長いトンネルを抜けることになる。甲斐大和でいったん地上に出たあと、こんどは新大日影トンネルを抜けると、左手方向にさあっと視界がひらけて甲府盆地が見えてくる。あたり一面ブドウ畑が広がり、そのはるか先の山並みの向こうには、雲の上に黒々と雄々しい富士の頂が覗いている。いちど冠雪が降りて途中まで白くなったものの、ここしばらくの陽気ですっかり溶けてしまっている。

 鉄路は勝沼ぶどう郷駅からはぐっと山寄りに北上し、大きく盆地を迂回する経路をたどってゆく。塩山駅を北の頂点として、南に大きく下っていき、石和温泉あたりでは旧甲州街道に近づいて、しばらくすると左手に善光寺の本堂大屋根をみながら、この旅の目的地である甲府へと到着する。
 目の前には、舞鶴公園として整備された甲府城の石垣がそびえている。甲府城は、戦国時代武田信玄が亡くなり、織田徳川連合によって武田家三代が滅ぼされた後に、豊臣秀吉の意向によって築城された城郭跡なのでした。石垣は典型的な野面積みで、天守台にどのような楼閣があったかは不明なのだそう。
 平成に入ってから復元された高麗門から入ってゆくと、そこは格好の展望台となっていて、甲府市街と南アルプス、八ヶ岳方面と360度が俯瞰できる。線路を挟んで北側には、1960年代モダン建築の代表作である山梨放送文化会館(設計:丹下健三)と甲府一番の高層マンション一棟が横並びでそびえる。
 本丸には熟年ガイドのおじさんがいて、天守台へと登りながら、ゆったりした口調でこの城郭の変遷を話してくれる。その語りによるとこの甲府城は関ヶ原の戦いの後、徳川幕府直轄地となり、江戸期1700年代初めには柳沢吉保・吉里親子が城主だったと知って、その意外性にちょっとびっくり。
 また、巨大な御影石製で剣状のモニュメントが直立する遺蹟は、お城そのものとは直接関係なく、明治時代に起きた笛吹川大洪水被害に際し、明治天皇からお見舞いを賜ったことに対しての謝恩碑です、との解説にも、なるほどそうだったのかと疑問が解消した。この台座、監修していたのは伊東忠太で設計には大江新太郎があたったとある。



 このあと山梨県庁敷地をぬけて。駅前通りの蕎麦屋奥藤本店に入り、昼からハイボールを傾けると、その名も「信玄御膳」を奮発注文し、甘辛さが癖になる名物甲府鶏もつ煮や手作り刺身こんにゃくなどをいただく。
 お店を後にして、酔い覚ましに徒歩10分ほどの印傳博物館へ足を運ぶことにする。ここは甲州印伝老舗の上原勇七商店本店二階に併設された施設展示スペーズで、印伝の製法説明と変遷、江戸期から昭和初期にかけての巾着、皮羽織半纏、財布入れなど渋い工芸品の数々の陳列があって歴史を感じさせる。一階のショールームのほうは、現代的センスでまとめられていてエルメス、グッチなどの高級皮革ブランド店に匹敵するような雰囲気が漂っている。二階との展示との対比が鮮やか、伝統と革新を体現しているような様子にいたく感心した。

 通りを挟んで博物館の反対側に、和風モダンの店舗が目に入ったので寄らせてもらうと、和菓子の老舗「澤田屋」本店。こちらはウグイス餡を黒糖ベースで包んだ名物「くろ玉」の製造元で、店内は洗練されたデザインだ。アカシア蜜を使用した本店限定の「櫻町38番地」の胡桃菓子もあり、その包装がまた清楚である。当日は売り切れとのことで、せっかくだからと翌日の取り置き予約をお願いする。

 この日の滞在は、駅から少し離れた湯村温泉につき、歩き回って少々疲れたので、駅北口からタクシーを利用することにした。夕暮れ時、部屋からは湯山の紅葉し始めたおだやかな山並みが見通せる。きょう一日ぽかぽかとあたたかく晴れて本当に良かった。
 ゆっくりと大浴場の温泉に浸かり、明日は早起きをして湯村温泉街めぐりをしてみようと思う。


ノルウェー映画『わたしは最悪。』は悪くない

2022年09月06日 | 映画

 ノルウェー映画『わたしは最悪。』(2021年)は、原題が「ザ・ワーストパーソン・イン・ザ・ワールド」のほぼ直訳だ。このタイトル、はたして主題と内容を象徴しているのかどうか。

 この映画のフライヤーには、主人公の若い女性ユリアが濃紺のシャツを着て、白い歯の笑顔をみせて長い髪をなびかせながら、オスロの街並みを疾走している上半身の写真があしらわれている。演じた映画初主演のR.レインスヴェは、2021年の第74回カンヌ国際映画祭女優賞を受けていて、濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」が脚本賞を受賞したときと同時だったことになる。そんなこと、ちっとも知らなかったけれど面白い偶然だ。
 この二つの作品は、その後の第94回米アカデミー賞でも国際長編映画賞を争っているから(結果は「ドライブ・マイ・カーが受賞)、それぞれを観終わったいま、比較しながら感想を書き連ねてみるのもいいだろうと思う。

 この映画、最近どきどき足を延ばしている、元厚木パルコが入居していた建物をそのまま居ぬきでテナントビル化したアミュー厚木内の「あつぎのえいが館kiki」スクリーン1で観た。まだ厚木市内に青山学院大学キャンパスがあって、バブルの余波が残るころに華々しく開館したもの、十年ほどの短い営業ののち、あえなく閉館してしまって14年になる。その最上階のパルコ映像施設をそのまま引き継いで、別団体が運営している。ここのところ還暦過ぎてのシネマ体験はここか、新百合ヶ丘の川崎市アートセンターのどちらかだ。

 さて、この映画について。主人公の30歳女性ユリアは、たしかにそこそこ魅力的ではあると思う。きっと才能にも恵まれてて爽やかさもあり、すらりとした肢体から発散される雰囲気は、オスロの街の風景にお似合いだ。
 映像の中で描かれる衣食住要素については、全体にノーブルではある。特に印象的なシーンは、すべての情景が突如ストップモーションとなる心象風景の中、ユリアが街中を駆け抜けて新しい恋人に会いに行こうとするところ。室内風景も含めた住についてはそれほど記憶に残る色といったものが思いだせない。ユリアの勤務する書店の様子やパーティーシーンについてもあえて取り上げるような鮮やかに欠ける。北欧の街は確かに美しいが、白と薄いブルーの情景が全体の基調だろうか。
 
 カンヌ映画祭で脚本賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」が、赤のサーブ900コンバーティブル(村上春樹原作本では、裏表紙カヴァーにイエロー色のオープンカーとして描かれる)が昼夜問わず、さまざまなシーンを疾走してエピソードを繋ぐ役割を果たして、三時間近くの上映時間に渡り引き込ませていくのに比すると、こちらはやや散漫であり、退屈とも感じてしまうのは、練り上げられたどうかの脚本力の差だろう。

 それでは、人間の三大本能の描かれ方はどうだったか。睡眠欲と食欲については、あきらかに「ドライブ・マイ・カー」がはるかに上等。というのは「わたしは、最悪。」のほうは、主人公の生き方と新旧ふたりの恋人との関係性における人物造形が深まらずに、未消化でよく分からないまま展開しているきらいがある。主人公が不測の妊娠について思い悩むところや最初の恋人が末期がんに侵され、病院で二人が会話を交わすシーンにおいても、主人公の心情はいったいどこにあるのだろう、といった感じがする。ヒリヒリしているはずの現実が、映像の中でリアルに迫ってくるとは言い難い気がする。

 ただ面白いと思えたのは、ユリア自身の性愛についての描き方だ。いまを生きる若い女性としては、自然で本能の導くままだと思う。最初の恋人との関係で男の望むようには生きられず、その反動で新しく出会った恋人とのアヴァンチュールが刺激的だ。新しい男の方は頼りなくもあるが、明らかに欲望に素直で好色だ。パーティーでの戯言、思わせぶりなふたりの会話、たばこの煙を接吻もどきに吸い込みあう仕草はやや陳腐だけれど、二人の肉体の奥からは、欲望のままに本能の疼きのようなものを感じ取ることができる。

 あるとき、偶然男が恋人といっしょにユリアのアルバイト先の書店を訪れた際に、おずおずと再会を果たしたのち、あらたな恋の勢いに乗って求め合う関係になるのは、もう自然の成り行きだろう。
 あるときはバスルームのなかで、お互いの排尿行為を見せあって楽しむ様子がじっくりと描かれる。男は立ったままの姿勢で放水するのを横で女が眺め、次に女は便座に腰をかけると黒の下着を素早く膝上までずり下げて、立った上半身裸の男に向かってほほ笑むと、やがて放尿はじまりの勢いのある音が短くしたあとに、ひとしきり放水の長い解放音が生々しく響き渡り、女と男は満足そうに視線を交わす。エロスを描いてこれまでありそうでなかったシーン、内心の欲望にかられながらも、こんなことも見せ合ってしまっていいのだというカタルシスのような奇妙な感覚を覚えさせる。これも同意の性愛行為のひとつなのだから、なにも後ろめたく思う必要はないんだと。

 秘密行為をオープンにと、主導権を取るのはユリアのほうで「まだ柔らかさを残して、そそりかけたおとこのモノを最終的に雄々しくさせるのは、おんなとして無上の歓びなの」とさりげなく言い放ってみせる。本能と情動の赴くままの姿にいやらしさはみじんもなく。さすがに自慰行為の模写はなかったけれども、カンヌはこのあたりを評価した?のかもしれない。

 ふたりは関係が深まる先、上半身服を脱ぎすてるのももどかしく、衝動的に床の上で女が仰向けになり、男と向い合って求め合い、激しい交接行為があり、その絶頂でユリアは思わず歓喜の表情で声をあげる。リビングで男が机にむかっている姿を見つけると、微笑みながら上着の裾をたくし上げ、小ぶりで形の良い両方の乳房を男に向けて近づけていく。男は微笑みながらその姿を見ている。

 ユリアはこの男性とも結婚という社会制度に終結することなく、新たなアイデテンティ探しを続けてゆく。章仕立てのエピローグとなる映画のラストは、映画の撮影所で新人と思しき女優のスチールを撮影しているユリアの姿である。ユリアはいくつものターニングポイントを経た人生探しの先に、いつか主役になれるのだろうか?と希望よりも、一抹の不安を残しながら終わる。

 最後に流れる音楽には、意表をつかれた。A・ガーファンクルのエフェクトがかった歌声が流れる。「夏の終わりを告げる 三月の雨 君の心には 生命の約束」とうたう、A.C.ジョビン作詞作曲の「三月の水」だ。このストーリーの終わりに相応しい。長いエンドロールが余韻を残す。

 


「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」上映会

2022年08月22日 | 映画

 小田急線鶴川駅からすぐの和光大学ポプリホールで、三浦しをん原作の映画上映とトークショーが開催されるので、楽しみにしていた。「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」(2014年公開)という映画がそれで、タイトルからして林業をひっかけているダジャレであることはすぐにわかる。監督は「ウオーターボーイズ」の矢口史靖だからして、エンターテイメント性満載であることは想像がつく.
  思ったほどの話題にならなかったようで、その後の再上映の機会もなく、見過ごしてしまっていた。それがようやく八年ぶりの出会いだ。
 
 原作本タイトルは、いたって真面目に「神去なあなあ日常」となっている。“神去”とは、妙に気になる村名だが、“かむさり”と読み、三重県の中西部、奈良との県境にちかいところと説明されている。
 これは終映後のトークショーの中で作者が明かしてくれたことではじめて知ったのだが、祖父方の実家があった現在の津市旧美杉村がモデルなのだそう。“なあなあ”とは方言で“まあまあ”か“ほどほど”のニュアンスが想像され、改めて原作を開くと「ゆっくり行こう」「まあ落ち着け」、さらに拡大して「のどかで過ごしやすい、いい天気ですね」といった日常挨拶の意味にまで広く使われている言葉。という意味でも、まさしく絶妙のタイトルであることがわかる。

 父方なのか母方なのかはわからないが、原作者三浦しをんの祖父母がそのような山奥で林業を家業としていたこと自体、ちょっとした驚きだった。幼いころはよく訪れていたとも語っていて、育ちのほうは玉川学園在住だったのに、こちらが勝手に想像していた出目とはまったく違っていて意外だった。それでもあの肝っ玉姉さん風のお顔立ちや聞くところによる酒豪ぶりは、都会がルーツとはちがうなあ、と納得した面もあり、また山奥の地がルーツのひとつであることに多少の親近感も覚えたというのが、正直なところ。

 映画ロケ自体は、大半がさらに三重南部和歌山よりの尾鷲市内の山林地区で行われたらしい。主人公の平野勇気役は染谷翔太、マドンナの直紀役は長澤まさみ。
 深い山のなかでの林業シーンはなかなか本格的なもので、年輪を重ねたヒノキをチェーンソーで切り倒すシーンはなかなかの迫力だ。祭事で山奥から巨木を切り出してふもとへと運び出す場面の臨場感があふれる。諏訪の御柱祭りを彷彿とさせるような情景もある。
 その反面、原作よりもふたりの恋のときめきの度合いは薄まってしまって、健全なお色気シーンも省かれ、山の風景と暮らし、山の男たちの仕事ぶりといったところに重点が置かれていた。

 上映の後のトークショーは、賞味三十分ほど。三浦しをん女史と徳間書店編集部国田昌子氏の対談形式で、原作の取材過程や映画ロケの様子についてひとしきり語ったあとに、あらかじめイベント告知のHPで募集していたらしい来場者からの質問に答えていくという手慣れた進行だった。地元町田を意識して、町田をモデルにして書かれた「まほろ駅前便利軒」についてのことや、お気に入りのお店のいくつかについて紹介をしてくれたが、学生時代にアルバイトをしていたという古本屋の高原書店については、なにも語らず終いだったのは残念。高原書店の突然の閉店とともに、小田急町田駅北口から伸びる栄通り商店街の通称“まほろ横丁”の名称もあまり定着しないで、忘れ去られようとしている。

 原作を執筆するにあたって、編集者が同行して二人三脚で作り上げていく細部エピソードについては、もうしすこし知りたいものだと思ったが、編集者側にネタばらしの遠慮もあったのか時間切れとなる。本が原作の映画が中心だから仕方ないか。物足りなさを感じつつ、帰路へ着いた。