意識の進化、次元上昇をアシストする“イエス-道(Jesus,the Way)”

“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

映画『君の膵臓をたべたい』の深読み ⑩ “出会う(4)”

2018年11月16日 20時41分22秒 | 映画ブログ

 

出会う(4)·····“インマヌエル”


Osann: 「ところで、イエス・キリストの誕生の次第が

     マタイによる福音書1章18節~23節に記されている

     んだ。


     『母マリヤはヨセフと婚約していたが、

     まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重に

     なった。夫ヨセフは正しい人であったので、

     彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに

     離縁しようと決心した。

     彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が

     夢に現れて言った、“ダビデの子ヨセフよ、心配しない

     でマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿って

     いるものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産む

     であろう。その名をイエスと名づけなさい。

     彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となる

     からである。 ”すべてこれらのことが起ったのは、

     主が預言者によって言われたことの成就するためで

     ある。すなわち、“見よ、おとめがみごもって男の子を

     産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるで

     あろう”。これは、“神われらと共にいます”という

     意味である。 』


     つまり、母マリヤが聖霊によって身ごもった男の子が

     産まれたなら、その名を“イエス”と名づけなさいと

     天使が夫ヨセフに命じたんだ。ところが、その名は

     “インマヌエル”と呼ばれることになるとも告げたんだ。

     そして、このインマヌエル”の意味が、神 われらと

     共にいます”ということなんだ。


     これって、面白いよね❔

     というのは、おのれの民をそのもろもろの罪から

     救う者となるから”というわけで、“イエス”と名づけ

     なさいと言われたんだけど、そのイエスの別名として

      “インマヌエル(=神 われらと共にいます)”というふう

     にも呼ばれることになるというんだ。

 

     神の御子がこの地上に肉体を取られて誕生したこと

     自体が、神自らが人類と一緒に住まわれる、すなわち、

     共におられるということを意味していたんだけど、

     そのようなメッセージが より鮮明に示されたのが、

     実に、イエスの十字架においてだったんだ。

     昼の12時頃から3時間にも及んだ全地をおおった

     “やみ”こそが、まさに“神われらと共にいます”と

     いう目に見えない事実(真実)を強烈に物語って

     いたんだ。


     罪から救われた人たちも、以前 まだ罪の中に迷って

                    いた頃は、神を“敵”であるかのように思っていたんだ。

     人よりは忍耐力はあるとしても、いったん堪忍の

     緒が切れたら人間と同じように怒ってしまうような神、

     善い人にはやさしくて 悪い人には厳しい神、

     時には人には天罰を下して悪い人を懲らしめようと

     する神、·····こんな風に、誤ったイメージで神を捉えて

     いたんだよね。


     でも、イエスの十字架から“やみに輝く真理の光”の

     中で真実の神に出会った時に、これまで持っていた

     すべての誤解、誤ったイメージ、思い込み、勘違いが、

     霧がさーっと晴れるように、一掃されてしまうことに

     なるんだ。


     旧約聖書を読んでも、あるいは、旧約時代の預言者

     たちが語っても、人が神の本当の栄光”を見ることは、

     なかなか難しかったんだ。やはり限界があったんだ。


     だからこそ、天の神はふところにおられた神の御子を

     直接 この世に遣して、その御子を通して、

     ご自身の真実の栄光を現し、その栄光の輝きの中で

     神の真実の思いをこの世の人々に伝えたかったと

     思うんだ。


    『そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。

     わたしたちはその栄光を見たそれは父のひとり子と

     しての栄光であって、めぐみとまこと(=真理)とに

     満ちていた

     ··········律法はモーセをとおして与えられ、めぐみと

     まこと(=真理)とは、イエス・キリストをとおしてきた

     のである。神を見た者はまだひとりもいない。

     ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、

     神をあらわしたのである。

       (ヨハネによる福音書1章14節~18節)


    『むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義

     しての神の知恵である。それは神が、わたしたちの

     受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、

     あらかじめ定めておかれたものである。·········

     ····この知恵·····は、·····聖書に書いてあるとおり、

      “目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びも

     しなかったこと·····”。そして、それを神は、御霊に

     よってわたしたちに啓示して下さったのである。

     御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでも

     きわめるのだからである。----神の思いも、神の御霊

     以外には、知るものはない。ところが、わたしたちが

     受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。

     それによって、神から賜わった恵みを悟るためで

     ある。』(コリント人への第一の手紙2章7節~12節)


                    イエスの十字架の“やみ”の中に“輝いていた光”は、

     インマヌエル、すなわち、“神われらと共にいます”と

     いう真実(=真理)だったんだけど、このことを

     見過ごしては実にもったいことなんだ。これは

     とてもすごいことなんだよ。


     もし神の真実の思いを知ったら、神が私と共にいる

     こと、一緒にいて下さるということは最高の喜びで

     あり、至福でもあるんだ。


                    実はね、このことに光を投げかけるような大切な

     言葉を、映画キミスイの中で、桜良が語っていた

     んだけど、覚えてる❔」


ハジメ: 「へ~、そうだったの。すぐには思い出せないけど。

     それは桜良のどんな言葉だったの❔」


Osann : 「それはね、桜良が、もう自分は死期が近いことを

     感じ取っていた時なんだ。

     体がだるくて、もう何日も食べていない状態が続いて

     いた。そんな中で、つかの間の外出許可が出たんだ。

     『もう最後ってことみたい』と、桜良も言ってたよね。

     点滴をつけたまま病院の屋上に出て、『最後に彼と

     もう一度 旅行して、桜を見に行く約束をした。

     いつか恭子とも3人でも行きたかったな。』と語って

     から、その後で、

     でも十分幸せ。彼と一緒にいられる。

       そう思えるだけで幸せ。

     と言ったんだ。そんなふうに思えるのは、桜良が

     春樹の奥底から直に発せられている思いをしっかりと

     感じ取っていたからなんだ。


                    それと同様に、“神の真実の思い”をしっかりと

     感じ取れている人は、

      『インマヌエル、神われらと共にいます

     というイエスの十字架から輝いている真理の光の

     メッセージに深い感動を覚えるんだ。

         

     イエスの十字架の福音の核心はどういうところに

     あったのかに気づいて、サプライズしてしまうんだ。

     なぜなら、これまでは 教えられてきた教理や教義を

     マインドで納得し、理解して受けとめてきたんだけど、

     イエスの名によって送られた真理の御霊によって、

     心が明るく照らされて、イエスの十字架の下で

                    神の栄光のうちに神が抱いておられる真実の思い

     示される時に、人の想像を超えたもの(目がまだ

     見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもし

     かったこと)なので、驚きを禁じ得ないんだ。

     そして、神の底知れない深い愛のうちの誰でも

     憩うことができるんだ。

     今あるがままの状態でも、 神に包み込まれるように

     して受け入れられている自分がいることを知るんだ。

     何も飾らない、背伸びもしていない 今のそのままの

     あなたを受け入れているんだよ······と、神に語りかけ

     られているんだ。

     魂の本当の安らぎ、安息も感じるのも、まさに

     真実の神知った時なんだ。

     さらに、これまで心の中に持っていた いかなる恐れ

     であっても、神の愛の中ですーっと溶けて消え去って

     しまうんだ。

     

     ところで、黙示録での神の国の描写をみると、

     そこでは神が人と共に住むと書いてあるんだけど、

     イエスの十字架を通して示された“神の真実の思い”を

     知ったら、将来 天国(神の国)に行ってからということ

     でなくても、この世にいながらにして 今ここで神と

     一緒にいられるんだ····ということもわかり、また

     そう思っただけでも 今 この瞬間でも 十分な幸せを

     実感することができるんだ。


     でもね、インマヌエル(=“神 われらと共にいます”)

     というのは、単に神が私たちのすぐそばにいるという

     ことだけではないと思うんだ。

     むしろ、神が私たちの内に住まわれるということだと

     思うんだよ。

     なぜなら、私たちの“からだ”は神がお住まいになる

     『神の神殿』であると聖書にもはっきりと書いてある

     からだよ。

     神は、もともと神が宿るための神の神殿として人間を

     創造されたというわけなんだ。

     (このような創造目的をおかしくしてしまったのが、

     聖書が“”と呼んでいるものなんだけど······。)


     そして、ある意味、神がおられるところは、神の国と

     言えるんだ。

     だって、神不在の神の国なんてあり得ないから······。


     従って、私たちの内(この“内”というのは、私たちの

       “霊”とか、“内なる光”と言われているところだと思うん

                    だけどね)に神が宿る時に、神の国は私たちのただ中で

     始まっていると言えるんだ。


     『神の国はいつ来るのか』とパリサイ人が尋ねられた

     時に、イエスは『神の国は、見られるかたちで来る

     ものではない。また“見よ、ここにある” “あそこにある”

     などとも言えない。神の国は、実にあなたがたの

     ただ中にあるのだ』と答えたわけは、そういうこと

     だったんじゃないかって思えるんだ(ルカによる福音書

     17章20節~21節を参照)。」


ハジメ: 「そうか~。

     

*二人の興味深い会話は、⑪『君がくれる日常』へと続いていく(お楽しみに)***

 

 (2018年11月15日~16日)

 

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