何年かに一度.
自分のアルバムを引っぱり出して,しげしげと眺めることがある.

この写真には僕の家族四人の当時の在りようが,そのまんま切りとられ.
このコンマ何秒の瞬間が,三十年経った今でも『画像として』不思議なほど鮮明に残っている.
なにかのお祭りで僕と弟は風船を買ってもらったんだ.
僕は,親父に何かを買ってもらった記憶というのがほとんど無くて.
強いて挙げるとすれば,昆虫採集セット,鉛筆削り,顕微鏡.. あとは高校に合格した時の腕時計くらいなものだ.
親父は僕に,普通子供が欲しがるようなくだらないオモチャとかお菓子とかは絶対買わなかった.
唯一,僕が小1の誕生日に,なんでもするからこれだけは買って欲しいと泣いて頼んで買ってもらったゲッターロボの超合金だけが,
自分が本当に欲しいものを買ってくれた記憶である.
そういう記憶しかない.
いままで何度か見ているはずのこの写真を今日見ていて気づいたこと.
僕は『風船』を買ってもらっている.
あの親父がどうして買ってくれたのか,ホントに僕がこれを欲しがったのか,全く記憶は無い.
たぶん嬉しかったのだろう.
それは風船のヒモをはなさないようにちゃんと両手を添えていることから想像する.
しかし自分のものとして存在することが,ただ一時でしかないことを十分に自覚しているから,その手は遠慮がちで割れ物を扱うように優しい.(ような気がする)
僕の弟は,今でもそうだが与えられたものを当然のように無造作に扱い,なにかが手に入ったことを自覚することもなく,すでに興味は他のものへ向いている.
母は.
デジカメや携帯カメラの無い時代に特有の,写真を撮る時はチャンとしなさい,という感覚で.
綺麗にいよう,という感覚を持ち,
自分が縫った浴衣を息子たちに着せて,等しく風船を買い与えた二人の人間の共通点と相違点を視界の端からはなさずに観察し,
やんちゃな方のチビがフレームからはずれないように優しく手をそえているのだ.
自分の顔が風船のヒモで真っ二つになっていることは気にせずに(^^
そしてこの時,この瞬間を.
自分が守り,記録する役をかってカメラを構えた親父が,この写真のこちら側に立っている.
人間の記憶なんていい加減なものだから,
僕はこの時のことを全然覚えていない.
弟なんて尚更絶対に覚えていないだろう.
母も親父も,この時の話をしたことがないところをみると,きっと覚えていないのだろう.
ただ.
この1枚の写真は残っていて.
何十年も経って見る人の視界と思いを,このフレームの中におさめてしまう.
今日僕がなにげに撮った写真は,デジタルなデータとして残り続けるのだろうけれど,
そのデータを数十年後に見る人は,それが僕自身であったとしても,
よく残ったな,この瞬間!と思うに違いない.
自分のアルバムを引っぱり出して,しげしげと眺めることがある.

この写真には僕の家族四人の当時の在りようが,そのまんま切りとられ.
このコンマ何秒の瞬間が,三十年経った今でも『画像として』不思議なほど鮮明に残っている.
なにかのお祭りで僕と弟は風船を買ってもらったんだ.
僕は,親父に何かを買ってもらった記憶というのがほとんど無くて.
強いて挙げるとすれば,昆虫採集セット,鉛筆削り,顕微鏡.. あとは高校に合格した時の腕時計くらいなものだ.
親父は僕に,普通子供が欲しがるようなくだらないオモチャとかお菓子とかは絶対買わなかった.
唯一,僕が小1の誕生日に,なんでもするからこれだけは買って欲しいと泣いて頼んで買ってもらったゲッターロボの超合金だけが,
自分が本当に欲しいものを買ってくれた記憶である.
そういう記憶しかない.
いままで何度か見ているはずのこの写真を今日見ていて気づいたこと.
僕は『風船』を買ってもらっている.
あの親父がどうして買ってくれたのか,ホントに僕がこれを欲しがったのか,全く記憶は無い.
たぶん嬉しかったのだろう.
それは風船のヒモをはなさないようにちゃんと両手を添えていることから想像する.
しかし自分のものとして存在することが,ただ一時でしかないことを十分に自覚しているから,その手は遠慮がちで割れ物を扱うように優しい.(ような気がする)
僕の弟は,今でもそうだが与えられたものを当然のように無造作に扱い,なにかが手に入ったことを自覚することもなく,すでに興味は他のものへ向いている.
母は.
デジカメや携帯カメラの無い時代に特有の,写真を撮る時はチャンとしなさい,という感覚で.
綺麗にいよう,という感覚を持ち,
自分が縫った浴衣を息子たちに着せて,等しく風船を買い与えた二人の人間の共通点と相違点を視界の端からはなさずに観察し,
やんちゃな方のチビがフレームからはずれないように優しく手をそえているのだ.
自分の顔が風船のヒモで真っ二つになっていることは気にせずに(^^
そしてこの時,この瞬間を.
自分が守り,記録する役をかってカメラを構えた親父が,この写真のこちら側に立っている.
人間の記憶なんていい加減なものだから,
僕はこの時のことを全然覚えていない.
弟なんて尚更絶対に覚えていないだろう.
母も親父も,この時の話をしたことがないところをみると,きっと覚えていないのだろう.
ただ.
この1枚の写真は残っていて.
何十年も経って見る人の視界と思いを,このフレームの中におさめてしまう.
今日僕がなにげに撮った写真は,デジタルなデータとして残り続けるのだろうけれど,
そのデータを数十年後に見る人は,それが僕自身であったとしても,
よく残ったな,この瞬間!と思うに違いない.
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます