仁術と算術

現役外科医,株を語る.たまに手術も語る.

こんな時世で手術を伝承していくこと

2007-04-19 | 僕の手術
僕が外科医になろうとした時.
サラリーマンだった親父は『お前のような繊細で臆病なヤツに外科医は無理だ.内科をやれ』と言った.

生まれた時から僕を見続けている親父が言うのだから当たっている部分はある.しかし外科手術というものを知らない親父がハズした部分もある...

外科医に一番必要なものは,一般人(と敢えて言わせてもらう)が思うような人並みはずれて『馬鹿』がつくような度胸とか手先の器用さではない.

斜に構えて言うと,手先よりも,口先の器用さと臓器を3Dでイメージする頭脳が一番大事である.
僕はそれに加えて『手術なんて怖いことは出来るだけやりたくない』という人間らしい心,
すなわち得体の知れない人の『命』ってものを,その人の言葉とか仕草から『確かにここに存在するモノ』としてイメージできる頭脳も備えている(^m^).

先日僕はある学会で,平均寿命を過ぎた老人の根治不能進行癌に対して手術と抗癌剤を使った治療について発表した.

まず1枚目のスライドにたった一つの文を出した.

『もう十分に長生きしました.あとはできるだけ苦しまないように治療してください.』

呆気にとられる観衆を前に僕は,『この言葉は,私のような日常の臨床をやる外科医が御高齢の方からよく言われることです.こういった方を治療する際に国際的あるいは全国的な標準治療とか研究結果に基づいた治療なんてものはありません.だけど目の前にいる患者さんを何とかしなきゃならない.手術にしろ抗癌剤にしろ癌治療である以上,治らないことを前提に,治すことよりも楽しく生きることを目標にする治療だってあり得るはずです.』とやった.

発表の後の内輪の懇親会で,僕に駆け寄って来て『先生の発表はすごく良かった』と言ってくれた人たちがいた.僕にしてみらば彼らは僕と同じ『センス』を持っている人のように思う.
そして僕と目を合わすことすらない人の群れは,僕から見れば手術のセンスが無い代わりに研究や論文執筆に情熱を注ぐ人達であった.

残念に思うのは,その場に居た人間には僕も含めて,手術と基礎研究を同時に『高いレベルで』こなしている者が居ないことだった.
世の中には,それをやってる凄い人がたくさんいるのにね.

先日,この学会に参加していた大学医局の幹部からメールが来た.
『君がなにげなくやっていることは,実は誰にでもできることではありません.君の外科医としての才能は大学病院という器でこそ,より発揮されると思います.だから大学に帰ってくることを待っています.』


そして最近の日本の外科医の話.

最近,日本の外科系で最大の学会である日本外科学会の月刊誌の巻頭に,将来の日本の外科を憂うある大学教授の記事が載せられていた.

外科医になろうとする人材が極端に少なくなっている.
その貴重な人材に多くの経験を積ませて一人前の外科医にしようとする時に,患者は言う.
『私の手術の執刀は誰ですか?』
そして教育機関である大学病院においてですら,研修医の執刀を嫌がり当然のように上級医の執刀を要求する.
私も医師である以上,患者の要求を拒むことはできない.
しかしこれでは次世代の外科医を育てることはできないだろうと.
若手外科医に執刀させることが憚られるようなこんなご時世で,果たして外科医が育つのか.我々の手術を次世代に伝承することができるのかと..


今となってはもう一昔前と言っていい.
およそ10年近く前に,横浜市大で心臓手術と肺手術の患者を取り違えた事件が大きく報道され,これが発端になっていまだに続く医療不信とバッシング.

研修医の医療ミス報道を連発し,国を動かし始まった現行の研修医制度.
これと病院勤務に燃え尽きて独立開業へ流れる医師増加によって,各地の病院崩壊への序章(飽くまで序章)が始まったばかりである.


んで先ほどの上司からのメール...
うまいこと言って,ちょっとでも大学病院の人員を増やしたいだけじゃないの?(^^;

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