あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

蘇ったスタンウェイピアノ

2006-11-19 01:53:50 | Weblog
 私が卒業した大阪のとある高校の楽器庫から2年前古びた埃にまみれたピアノが新任の音楽の先生によって発見されました。鍵盤を叩くと音程は崩れている。中をのぞくとスタンウェイの刻印がある。調べてみるとお二人の刻印がある。前進である高等女学校が創立された85年程前にお二人の篤志家が女学校の発展を願い寄贈されたものである。今、同じものを新調すれば1000万円以上するのではないか。まさに骨董品的なものである。
同窓会の創立80周年記念事業の一環で完全修復された。
11月18日そのスタンウェイピアノが蘇った。修復されたピアノがそこにあった。お披露目コンサートが150人の聴衆のもと視聴覚教室で開かれた。プロピアニストによる演奏、卒業生による演奏、現役高校生による演奏があった。蘇ったピアノ音はあるときは軽やかに、あるときはうねりのごとく重々しく会場中を跳ね回るかのようであった。
特に感激したのは、現役男子学生の「エリーゼのために」であった。
無心に弾いている姿は感動を与え目頭が熱くなった。このピアノを充分利用し、できればこの道を極めてほしい。そして今宮高校出身の日本指折りにまでなった指揮者西本智美のような音楽家になってほしい。
教育問題がクローズアップされている昨今だが、受験に重点をおいた画一的な教育は飽きられてくるだろう。教育界はもっと多様な人材を発掘し、育て上げる手立てをするべきである。我々国民もそのようなことに拍手する意識改革が必要である。
コンサートを聴きながらそんなことを考えた次第である。

11月4日からブログ開設しました。隔日ごとの投稿となっております。
最初、始めるときには何件見てくれるかな不安で一杯でした。10件ほど見ていただければ充分だなあと思っていました。おかげさまで毎日携帯あわせて50件以上の皆様に見ていただいております。
まず、皆様本当にありがとうございます。感謝申し上げます。感激いたしています。個人的にお知り合いのかたがたからメールでアドバイスもいただいております。これまた感謝です。
その中には、貴兄が行っている仕事のことも紹介してほしいとのご注文もあります。私が仕事のことで過去経験した事案を週1回程度記してみたいと思います。
少し期待してください。

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知事の犯罪?

2006-11-17 06:24:17 | Weblog
11月10日に記したが、あのときの危惧が本当になった。
天地身命に誓って疑惑を受けることはしておりません。皆さん最初に言う言葉である。
和歌山県知事木村良樹容疑者がついに逮捕された。
改革派の知事で、和歌山県民は勿論、大阪に住まいし地方自治のお手本になってほしいと願う小生も期待していたのだが。小生も、彼が大阪府の副知事時代に2回ほど業界の役員と一緒に年末年始の挨拶でお会いしたことがある。ほんの数分であるが確か東大でで自治省出身の頭の切れる、如才ない、童顔で人をひきつける副知事だと思っていた。太田知事の次はこの人かなあと思っているうちに和歌山県がさらっていった。
新聞やテレビ報道を見聞きすると、あのときの印象から程遠いものである。裏金を4,000万以上作り海外視察で奥さん同伴のときその費用に当てていたとか、時計蒐集の趣味があり25個も出てきたとか、今朝の報道では初当選直後2つの団体を作りその1つは「翔樹会」といい地元建設業者ばかりで構成させ知事が積極的に勧誘し今回問題になっている建設会社も職員に進められて加入したとのこと。
こんなことをしてはいけないのは政治家・公務員の常識であり、彼らが1番してはいけないことだとおもう。いつのときにこんな悪知恵が身についたのか。自治省の時代か、大阪府総務部長の時代か、副知事の時代か。それとも・・・・。
政府もこれからは地方自治の時代だと、いろいろな施策を審議中であるが、肝心要の地方の現場がこんな状態ではなかなか前に進まない。
公務員による裏金つくりはやめてほしい。今までに、検察庁、北海道をはじめ府県の数警察、岐阜県、福島県そして和歌山県。今後出ないように願うばかりである。
お金がいるのだったら正々堂々と国会なり、地方議会で訴え予算化し堂々と私服を肥やすためでなく国民・住民のために使ってほしい。
国税庁も裏金を作ったり、その裏金をもらった公務員に対してどんどん課税してほしい。それが課税平等の原則である。
藤山愛一郎という方がいた。彼はコンツエルンの御曹司で、かなりの年齢で請われて政治家になった。莫大な資産があったが、なくなる前には3LDKのマンション一つだったと読んだことがある。
地方行政に携わるもの身を引き締めて身をきれいにして業務に当たってほしい。

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あなたの子供に愛を

2006-11-14 23:17:20 | Weblog
自分がお腹を痛め生んだ子を殺め、その上、その子の仲のよかった子供まで殺めた事件があったばかりの秋田県で、また、母親が幼児を殺める事件が発生した。
ここ数年この種の事件が多発している。
こんな話を聞いたことがある。
その方の知り合いの初老の夫人とバッタリ会った。
初老の婦人は乳母車を引いていた。中をのぞくと可愛い幼児がスヤスヤ眠っていた。「今日はお孫さんの子守。娘さん里帰りしているの。」「いや、困ってんの。」「なんで。」「実は娘3ヶ月前離婚したの。」「どうしたん。」「今の若いもん何考えているのかわからへん。3ヶ月前離婚したのに、もう、新しい彼氏こさえて一緒に住んでるねん。ほんで母ちゃん、私、今住んでいる彼氏と3ヶ月先に結婚するさかいこの子育ててえな。」と置いていったのである。
少し創作した文章であるが、まったくの作り話でもない。80%ほんとの話である。このような事例が最近多くなっているとのことである。
親の愛情微塵もない。どんな教育を受けてきたのか。
秋田の今回の事件もよく似ている。
なんて国になってしまったのかこの日本。狂いに狂っている日本。誰に助けを求めたらよいのか。
みんな好き勝手なことをのたまい、好き勝手な行動をしている。バラバラな日本である。何から手をつけていいのかわからない。
自由をはきちがえ、平等をはきちがえた人々がたむろしている日本。
ブッダゴーダマやイエスキリスト級の人物が出てこないと日本は変わらないのだろうか。

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日本ハム完全制覇

2006-11-12 23:00:36 | Weblog
 まず日本ハム、完全制覇おめでとう!
 パリーグ制覇、日本シリーズ制覇、アジア野球リーグ優勝。
 ヒルマン監督が「北海道の皆さんはは日本で1番で~す。」と声たからかにいったのが印象的であった。それにしても新庄はすごいですね。札幌ドームをいっぱいにして見せると豪語したがそのとおりにした。
 低迷している北海道を日本ハムは盛り上げている。
 来年の日本ハムはどうかな?新庄が去り、小笠原がFA宣言。ヒルマン監督はメジャーが狙っている。去るのは新庄だけにしてもらいたい。あと数年北海道を元気にしてほしい。大阪に住んでいる私でさえそう思う。
 一方、駒大苫小牧は?また、不祥事が起きた。今回の件はどこの学校でもあると思いそうな事件であるが、有名校だから余計世間の目はきつい。
駒大苫小牧は表に出ただけでも3回目である。それも毎年毎年である。校長を始め指導者はどんな教育をしているのか。せっかくの優勝、準優勝も台無しである。
 私は物心ついたときから高校野球のファンである。春、夏の甲子園大会には余程のことがない限り1日は行くようにしている。三沢の太田投手が準優勝旗を持って東北へ帰るとき夜、大阪駅まで見送りにいった記憶がある。今で言う追っかけである。
 かつて高校野球ファンがそうであったように、地方のチーム、下馬評の低いチームを応援してきた。今、野球留学がブームで地方のチームも強くなってきた。地方のチームが強くなることに越したことはないが、そのほとんどは野球留学の選手を抱えている私立高校である。大阪から遠く北海道や九州へ留学。公立高校の出番がだんだんなくなるのは寂しい。私の夢の1つに、出身校が一度甲子園に出場し、あのアルプススタンドで校歌を歌いたいことがある。私のように公立高校を出たものはその現実からだんだん遠ざかる。宝くじを当てるようなものである。
高野連にそのあたりの改革を検討していただけたらと思う。

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やらせのタウンミーティング

2006-11-11 04:22:32 | Weblog
11月5日、中学の有志同期会が開催されたが、そのときに小生が参加者に配った「・・中学時代回想」を記してみたい。
 「我々が中学生活を過ごした昭和29年から32年。今のように物質的に豊かではなかったが、あのときのほうが心は豊かであったとは思いませんか。
先生には威厳がありましたが、一方ユーモアもありました。
先生にあだ名をつけたのも思い出です。アチャコ、三日月、出目金、ラッキョの逆立ち、体操は・・、ホワイトピック等など。
先生からもあだ名がつけられました。私なんかキンゴロウ(落語家柳家金吾楼)。
先生にも宿直があり、今晩僕宿直やねん。夕飯食べてから遊びにけいへんか。一年のときです。数人でいくと、肝試ししよう。真っ暗闇の校舎内を1人で一周させられます。木造校舎で廊下はきしみスリル満点です。この歳になっても忘れません。
授業が終ると掃除。一斉の床の雑巾がけ。窓枠に跨っての窓ガラス拭き。
帰り道にはチョット横道にそれ焼け跡の湿地帯でザリガニを取ったり、カエルをとったりの毎日でした。学校から帰るとカバンを放り投げ、近所のみんなと三角ベースのゴロ野球。夕刻になるとバケツと火箸をもって大通りにでてガス会社のダンプから落ちる落ち穂拾いならぬコークスひろい。夏休みは朝から、禁止されている淀川で蜆とり。巡視の先生に見つかり大目玉。
塾もそろばん塾と習字、英語塾程度で今のような整った学習塾もなく、今よりも学習の機会均等が図られていたと思います。中学時代の3年間は楽しい日々でした。
今年、オールウェイズ3丁目の夕日(日本のグランプリ総なめ)という映画を見ました。昭和33年の東京下町を舞台にした映画でした。あの当時の懐かしさがオーバーラップして映画館で泣くわ泣くわの連続でした。結局、映画3回、ビデオ1回見ました。
今、教育改革が議論されていますが、形ばかりの改革であってはなりません。我々の受けた頃の教育にそのあたりが隠れているのではと考える今日この頃です。」
以上が同期会当日配った回想です。
新聞、テレビなどで放映されている教育の問題。家庭教育もふくめ心底病んでいませんか。
法律ばかりいじったってどうにもなりません。時間をかけて戦後60年の教育の膿を出すことが必要ではないでしょうか。やらせのタウンミーティング、うその報告書など出させて何が教育改革でしょうか。

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