今日は11月1日、「紅茶の日」
10月1日は、「珈琲の日」でしたね~
今や日本人の間では、紅茶より、珈琲の消費量(缶飲料等も含め)の方が、圧倒的に多いようですね~。
女性の場合、珈琲好きの人も多いですが、紅茶好きの人の方が周りには多いような気がします。
あと、珈琲好きと言うよりは、いつもラテと言う方もいらっしゃる。
人それぞれ・・・、私はどちらも大好きです
朝は珈琲の方が良いかな。焼き菓子には、紅茶の方が良いかな。case by case。
どちらも奥深いですね~
紅茶の日とされる背景には、このような事が関係しているようです。
昔(1782年12月)、伊勢の廻船商人・・・、国内で貿易の商い(現在の県にあたる部分が国のような存在であった頃)をしていた大黒屋光太夫は、ある時、駿河沖で暴風にあって漂流してしまいました。この事で何人かの仲間が亡くなる。そして、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着(厳しい寒さの為さらに仲間を失う)し、そこでロシア人に遭遇しました。ここで4年を過ごす。帰国嘆願の為、シベリア本土のカムチャッカ半島へ。しかし帰国嘆願は却下される。それでもあきらめず、シベリアを横断し、いくつもの箇所を経て、1791年2月、サンクトペテルブルグへ。(サンクトペテルブルグは、1914年までロシア帝国の首都であった。)。アムチトカ島に漂着から8年程の歳月が流れる。そこで、ロシア女帝エカテリーナ2世(エカチェリーナ2世)と謁見。直接帰国願いを申し出たようです。ロシアにとっては、貴重な日本人との出会いの機会となった事でしょう。光太夫の勇敢な姿、人柄も印象が良かったのかもしれないですね。謁見から帰国までの間、光太夫は、ロシア皇太子や貴族、政府高官から大変優遇され、さまざまな招待を受けたそうです。そうして光太夫も、ロシア文化や社会を体験する事となります。色々と貢献しています。そんな事で、帰国へ向けて出発する前の、1791年9月に、エカテリーナ2世から、お茶会に招かれ、日本人として初めて、本格的な欧風紅茶(Tea with milk)が飲まれたとされるようです。(11月に日本人で初めて紅茶を飲んだから、11月1日が紅茶の日に制定されたとされる話もありますが、本当のところはどうなんでしょうね~。)
そうして無事に、1972年に日本に帰国したようです。
この時帰国したのは、光太夫、磯吉、小市の3人だったそうです。(漂流した時船に乗っていたのは、17人だったようですが。14名お亡くなりになったわけではないようです。帰国しなかった方もいらっしゃったようです。)
大黒屋光太夫については、諸説あるようですが、このような事が、「紅茶の日」に関係しているようです~
そう言えば、昔々、大黒屋光太夫関連の映画「おろしや国粋夢譚(おろしやこくすいむたん)」と言う映画(井上靖氏の小説を映画化。大黒屋光太夫役→緒方拳さん、庄蔵役→西田敏行さん 「おろしや」→ロシアの事をこう呼んでいた。「夢譚」→夢物語の意)を友人と鑑賞した記憶があります。ま~ったく覚えてなくて、西田敏行さんの風貌だけが頭に残っていますが~(苦笑)
上のフォトは、先日、ティーコーディネーターのお勉強会の時の、アッサムティーです~
バームクーヘンと一緒に味わいました~
今日は、朝雨が降っていましたが、今頃晴れて来ました。
とっても寒いけど、紅茶の日・・・、素敵な1日をお過ごし下さいませ~