A Challenge To Fate

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【クラシックの嗜好錯誤】第五回:やになるほどクセになる、ヤニス・クセナキスのシン・クトゥルー神話。

2020年02月13日 00時50分28秒 | 素晴らしき変態音楽


クラシック音楽が取っ付きにくいのは作曲家の名前の難しさが一因ではないだろうか。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ、モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー、イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー、ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチなど、カタカナばかりでなかなか覚えられない。それに比べてジョン・レノン、キース・リチャーズ、ボブ・ディラン、ジョニー・ロットンなど、ロック・ミュージシャンの名前はシンプルで覚えやすい。ときにはイングヴェイ・マルムスティーンやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンといった長ったらしい名前もあるが、インギーとかノイバウテンと略せるから問題ない。だからクラシック界では名字で呼ぶのが通例になっているが、例えば多数の音楽家を輩出したバッハ一族は、「大バッハ」とか「ベルリンのバッハ」とか暗号のように紛らわしい迷宮に陥っている。

そう考えるとジョン・ケージとかピエール・アンリといった簡単な名前にアドバンテージがあるように思えるが、そんな作曲家ほど偏屈なまでに異端の音楽を創造しがちなのが現代音楽の常である。そのひとりにヤニス・クセナキスというギリシャ人の作曲家がいる。大文字で「XENAKIS」と書くと何かの記号のように見えて、藝術や音楽でなく数学の定理や科学の元素記号に近い。1922年5月29日ルーマニア生まれのギリシャ系フランス人というコスモポリタンな出自のクセナキスは、アテネ工科大学で建築と数学を学び、第2次世界大戦中にギリシャ国内で反ナチス・ドイツのレジスタンス運動に加わった。戦闘で左目を失い、機銃掃射の音で聴覚も傷付けられるハンディキャップを負った。戦後は建築家として生計を立てながら、パリ音楽院にて作曲方法を学び、グラフ図形、コンピューターの確率計算、ブラウン運動など数学の理論を応用した作曲方法を発案し実践して行った。しまいには人間の限界に挑戦する超絶テクニックを要する曲を創り出し、批判されることもあった。

Iannis Xenakis - Pithoprakta (w/ graphical score)


Yuji Takahashi_Herma(Iannis Xenakis)


2001年に没するまでに、舞台音楽、管弦楽、室内楽、器楽曲、声楽、テープ音楽、ミュージック・コンクレートなど様々なスタイルで170曲以上作曲した多産な作曲家だが、筆者が聴いた限りでは、いずれも容赦のないシリアスな姿勢が貫かれており、演奏者も聴き手も真剣に対峙することを求められる。音楽と人間の関係を再定義する環境は、単なる音楽鑑賞ではなく、信仰にも似た音楽の神話体系を産み出すかのようである。実際に作品のタイトルはギリシャ語だと思われるが、その異形の響きは、クトゥルー神話の邪神の名前に酷似している。

【クセナキス作品タイトル】メタスタシス(Metastasis)/ピソプラクタ(Pithoprakta)/アホリプシス(Achorripsis)/テルレテクトール(Terretektorh)/ノモス・ガンマ(Nomos gamma)/トゥオラケムス(Tuorakemsu)/ドクス - オーク(Dox-Orkh)/クリノイディ(Krinoidi)

【クトゥルー神話の外なる神】Abhoth(アブホース)/Azathoth(アザトース)/Daoloth(ダオロス)/Ghroth(グロース)/Hydra(ヒュドラ)/Mynoghra(マイノグーラ)/Ngyr-Khorath(ヌギル=コーラス)/Nyarlathotep(ニャルラトホテプ)/Yog-Sothoth(ヨグ=ソトース)

Polytope de Cluny Docu Iannis Xenakis


解体され会場内にランダムに拡散したオーケストラ、神もしくはコンピューターにしか演奏できない音階、可聴域の限界を超えた音色、晩年アルツハイマー病に侵され作曲が不可能になりつつもトーン・クラスターの羅列のみで作品を提示したまま昏睡に向かったクセナキスは、音楽の新たな領域を切り開き、新たな神話を産み出そうとしたのでは無かろうか。しかし悲しいことに、クセナキス神話体系を語り継ぐ後継者は現れてはいない。

草一本
生えない救世(くせ)に
泣き伏せる


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1 コメント

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師匠と弟子 (haragaki)
2020-02-13 21:52:06
かつて、岸野雄一に「なくて七癖クセナキス」と呟かせ、中原昌也に「ヤニ吸う、臭えなキス」と発言させ、そして2020年のいま、剛田武に「やになるほどクセになる」と言わしめた<ヤニス・クセナキス>という名前の持つ霊妙なる響きには、日本人のダジャレ心をくすぐる何かが装填されているのだとは思いますが、その<何か>を探ることにさして興味が湧かないのもまた確かです(笑)。

ところで、ボイスパフォーマーの徳久ウィリアム氏のブログによれば、灰野さんのお気に入りクセナキス作品は『ペルセポリス』なのだそうですが、
http://william.air-nifty.com/blog/2007/03/post_87f1.html
たぶん、クセナキスというフィルターの向こう側から聴こえてくる、メシアンの響きに耳を澄ませているのだと思います。

私ごときの述懐で恐縮ですが、私もときどき、ピエール・アンリを聴きながらブーランジェについて考えることがあり、さらにいうと、アンリを媒介にして、ブーランジェとエリアーヌ・ラディーグが師匠と孫弟子の関係になってしまうという驚くべき事実について、最近の私の関心事のひとつである<音楽におけるフェミニニティ>というテーマと絡めながら、つらつらと思いを巡らすことがあるので、クセナキスとメシアンを同時に思考することの重要さは朧げながらわかります。

それにしても、灰野さんのギリシャ公演、観たかったなあ・・。

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