A Challenge To Fate

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20周年の精神異常者たち(20th Anniverary Schizoid Man)~ブリットポップ特集 第3回

2013年09月26日 02時22分51秒 | ロッケンロール万歳!


キャスト(Cast)


アメリカン・ポップ・アート展に貴重なコレクションを提供したジョン・アンド・キミコ・パワーズ夫妻の名前を聞いたアラフォー・ロック・ファンなら、頭の中に「Finetime」か「Alright」のフレーズが鳴り響いたに違いない。ジョン・パワー(John Power)は90'sリヴァプールの名バンド、ザ・ラーズのベーシストにして、自らのバンド、キャストで輝くメロディーを歌い上げたUKロックの才人である。ブリットポップ全盛の1995年にジョン・レッキーのプロデュースでデビューしたキャストの1stアルバム『オール・チェンジ』は全英7位のミリオンセラー・ヒットになる。3枚のアルバムをリリースし2001年に解散するも、2010年に再結成、昨年サマーソニックで来日を果たした。




これまで何度かブリットポップを取り上げてきたが、来年はブラーがブリットポップの記念碑的3rdアルバム『パークライフ』をリリースした1994年から20年目に当たる。10周年の2004年には映画『LIVE FOREVER』が公開されたので、20周年にどんなサプライズ企画があるのか興味は尽きないが、当ブログで一足先に20th Anniversaryをお祝いしたい。残念ながらブリットポップは、英国の愛国心を煽るためのメディア主導ムーヴメントだとして、音楽的に正当な評価をされているとは言い難い現状である。ブーム終焉後もUKロックのセンターで活躍したブラーやオアシスを含め、当時のCDは顧みられることなく、ブッコフのハーフコイン庭園やウニオン在庫処分100円コーナーに放置されている。俗にブリット放置プレイと呼ばれる変態プレイのひとつだが、選り取り見取りでメロディー・ルネサンスの財宝を入手できるので、アーカイブするには好都合の時代と言えよう。今回はブリットポップ末期に登場した徒花を中心に、歓びを込めて振り返る(Look Back in Pleasure)としよう。
★ブリットポップ特集 第1回はコチラ 第2回はコチラ 番外編はコチラ

●エンブレイス(Embrace)


ヨークシャー出身の4人組。1997年リリースのデビュー作『THE GOOD WILL OUT』が全英No.1に輝き、グラストンベリー・フェスのメインのひとつとして出演、一躍時代の寵児となる。ミディアム~スローテンポでバラード調の楽曲が多く、オアシス・フォロワーと揶揄されたが、「俺は彼らを心底愛しているよ。ただし俺たちの方が上だけどね」「俺たちの曲のスケールには今やウェンブリーすら大きすぎないぜ」というビッグマウスぶりが印象的だった。ブリットポップ後発組にはこうした若気の至りの不遜な態度を武器にする者が多かった。ブーム終焉後も音楽性を変えて活動を続け、2006年ドイツ・ワールドカップのイングランド代表公式応援歌を担当した。




●マンサン(Mansun)


チェスター出身、印刷工場の同僚だったポール・ドレイパーとストーヴ・キング(注:足立・ストーブ・ヒロシではない)がグラム話に花が咲き意気投合、殺人鬼チャールズ・マンソンから名前を取ったインクと血の香り漂う4人組。1997年の1st『アタック・オブ・ザ・グレイ・ランターン』を全英1位に叩き込む。英国ロック伝統の耽美派・ロマン主義に影響を受けたサウンドには、グラムロック、プログレッシヴ・ロック、ネオ・ロマンティックス、ニュー・ウェイヴの色が濃い。3枚のアルバムを発表し、2003年5月2日に解散。




●オレンジ・デラックス(Orange Deluxe)


ネオモッズなマッドチェスター・バンド、ファイヴ・サーティ解散後にリーダーだったポール・バセットが弟と結成したグラマラス・ロック・カルテットが豪華蜜柑ことオレンジ・デラックス。1995年に『ネッキング』でデビュー。ファイヴ・サーティ自体知る人ぞ知るマニアックな存在だったので、一部の好事家の間では話題になるが、知名度は低く、wikiにも記載がない。アグレッシヴなギターロックにモッズやソウルを加えたサウンドは流石ベテラン。翌年フォーキーな2ndをリリースするが、シーンの変遷に対応できず消息不明に。




●ジャグアー(Jaguar)


ロンドン出身のロッキン・トリオ。獣のJaguarはカタカナでは「ジャガー」だが、敢えて「ジャ"グ"アー」にした理由は千葉テレビが観れる地域で育ったロック・ファンならお分かりだろう。ブーム終焉後1998年のデビュー作『ヴィジョン』は、後追いならではの先輩のおいしいところ取りをした秀逸なサウンド満載。ただしどの曲も誰かに似ている。「目標は世界制覇」「俺が書いた曲に感動するのは当然」と大口を叩き、レコード会社は大型新人登場!と煽ったが、誰も踊らずこの1作で消滅。




●ノーザン・アップロアー (Northern Uproar)


マンチェスター出身。デビュー当時全員10代だったので、オアシスの弟分として注目された。マニック・ストリート・プリーチャーズのジェイムス・ディーン・ブラッドフィールドをプロデューサーに迎え1996年に『ノーザン・アップロアー』でデビュー。彼らもビッグマウスで知られ、メンズウェアのメンバーに向かって「スーツを着たマンコ」と挑発したり、インタビューでは「このデビュー作は間違いなく今年のベスト・アルバムだと自負している」「ブラーやスウェードが相手ならいつでもホホイと楽勝してやる自信はあるね」と話していた。翌年ブラスを導入した2ndでイメチェンを図るが、ブーム退潮に流され1999年ひっそりと解散。粘り強いのか諦めが悪いのか、2004年・2011年と2度にわたって再結成を重ねる。




当時の日本盤のライナーノーツを読むと、どれも気合と思い入れたっぷりで、日本の洋楽ロック界がブリットポップに大きな期待をかけていたことが分かる。たまたまかもしれないが、過半数を占めるタナソウこと田中宗一郎(SNOOZER)のライナーは、作品自体よりもタナソウ本人の情熱が溢れる檄文を書き連ねているのが、バンド同様ビッグマウス風で興味深い。ロックに真剣に命を賭けることが出来た最後の時代だった。

ブリットポップ
ブリッと一発
ブチかませ!

バンド写真をググっていて、リヴァプール在住の写真家のサイトを発見した。マーク・マクナルティ Mark McNultyという名前は聞いたことはないが、80年代からリヴァプール中心に風俗・文化・芸術・音楽・映画等のドキュメントを撮り続けるベテランである。見事な作品の数々は公式サイトで見ることが出来る。
Mark McNulty - Archive and Prints




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