A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

ウィルコ・ジョンソン@渋谷クラブクアトロ 2012.10.2 (tue)

2012年10月04日 00時30分11秒 | ロッケンロール万歳!


Wilko Johnson<ウィルコ・ジョンソン> / Special Guest: Benjamin Tehoval<ベンジャミン・テホヴァル>

ウィルコ・ジョンソンについては何度か取り上げたので重複する話もあるかも知れないがご容赦を。
ウィルコのことを最初に知ったのは1978年雑誌「ZOO」の記事だった。ドクター・フィールグッドを脱退しソリッド・センダーズを率いてアルバムをリリースした頃である。「新生ソリッド・センダーズ対10年選手ドクター・フィールグッド」とタイトルされ、眼を見開いたウィルコの写真が載っていて、明らかに常人ではないオーラを放っていた。フィールグッズのことは前から知っていたが、パンクの前身のパブ・ロックのひとつといった認識しかなく、雑誌やラジオで取り上げられることも少なかったので余り知らなかった。矢吹ジョーを引き合いに"自分を燃やし、燃やし尽くすために"ギターを弾いているという檄文を読んで俄然興味が湧き、早速新宿のCISCOでソリッド・センダーズの輸入盤を購入した。輸入盤は「電光石火」という邦題で日本盤も出たスタジオ盤と輸入盤のみのフリー・ボーナス・ライヴ盤の2枚組で、ジャケットには「Sales Point=WILKO!」とステッカーが貼ってあり、大判のポスターが封入された豪華盤だった。イギリスでは人気者なんだなと実感した。

ノコギリ・ギターと呼ばれたガッガッガっと引っ掻くカッティングはそれまで聴いたどんなギタリストとも違うカッコいい凄味があり、ハイトーンで甘い声質のヴォーカルも気に入り、何度も聴いてコピーした。アルバム丸ごとコピーしたのはハートブレイカーズの「L.A.M.F.」、セックス・ピストルズの「勝手にしやがれ」、ギャング・オブ・フォーの「エンターテイメント」とこの「ソリッド・センダーズ」だけである(ザ・フーの「ライヴ・アット・リーズ」はA面でめげた)。その頃はウィルコがピックを使っていないということは知らず、同じ音を出すためにピックをギザギザに刻んで弾いたものだ。特にライヴ盤は客のノリも素晴らしく演奏のスピード感を増長して、オーソドックスなR&Bナンバーもパンク以上にトンガって聴こえた。

1980年代半ばにウィルコの初来日公演を観たと記憶する。今は無き渋谷ライヴインに私が当時やっていたインプロ・バンドOTHER ROOMのギターの高島君ともうひとりの友人とで観に行った。ステージの記憶は殆どないが、帰り道で友人に愛用のグレコのレスポールJr.モデル(ジョニー・サンダースの黄色いギター)を売る約束をしたのを覚えている。ウィルコに惚れ込みテレキャスが欲しくなったのだ。

90年代には仕事でロンドン出張に行く機会が多かった。何か面白いライヴは無いかと「Time Out」を見ると大抵ウィルコがライヴをやっていた。しかもロンドン郊外の住宅街の小さなパブばかり。毎回観に行った。狭いステージを前後左右に動き回りながら弾き歌うウィルコを目の前で観れた幸せ。その頃スマッシュの招聘で毎年のように来日していたようだが、不思議と日本で観た記憶は無い。シーナ&ザ・ロケッツ、ARB、ルースターズ、ヒロト&マーシー、ミッシェルガン・エレファント、ボウディーズなど日本のロッカーから多大なリスペクトを得て世代を超えて若いファンも獲得。2000年代もフジロック等で来日していたが観ていない。

ライヴ盤やベスト盤が多くウィルコのディスコグラフィーはよく分からないが多分スタジオ録音では最新作と思われる2003年の「レッド・ホット・ロッキン・ブルース」を聴いたが半分くらいがレイドバックしたソウル・バラードで、ウィルコもオヤジ・ロック道に踏み込んだな、その内ジャズ・アルバムを出すぞ、なんて思ったりした。

昨年フィールグッズのドキュメンタリー映画「オイル・シティ・コンフィデンシャル」が公開され、今年ウィルコ在籍時のアルバム4作+α+DVDのBOX SET「オール・スルー・ザ・シティ(ウィズ・ウィルコ1974-1977)」がリリースされ盛り上がってきたところへ来日のニュース。すっかり禿げ上がってスキンヘッドになっていて驚いたが、何としても観なければいけない。ベースが元イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズのノーマン・ワット・ロイというのが懐かしいし、ドラムがスティーヴ・ハウの長男のディラン・ハウというのも直前に知った。ディランとは前日に奥さんの本の出版記念トークショーで会ったが礼儀正しくユーモアのある好青年だった。

クアトロは幅広い客層で満員。予想以上に若い人が多く女性の姿も目に付いた。7:30PM丁度にサポート・アクトのベンジャミン・テホヴァルがフルアコを抱えて登場。ルーマニア生まれのストリート・シンガーで、ウィルコとは20年来の付き合いだそうだ。バスドラとハイハットを足で操りながらR&B、フォーク、ブルースを歌うスタイルはまさにヨーロッパの街角が似合いそう。観客も好意的に反応する。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」で盛り上げて30分のステージが終了。



短いセット・チェンジの後すぐにウィルコ・バンドが登場する。大きな歓声。ウィルコはトレードマークの赤いピックガードの黒のテレキャス。フィールグッズの代表曲「Down By The Jetty」でスタート。往時の鋭さには及ばないが、それを年季でカヴァーした演奏は、ジャズなんて論外、ロケンロー魂に溢れていて嬉しくなった。得意のカニ歩き奏法が出ると大歓声が上がる。「Going Back Home」「Roxette」「Dr. Dupree」「Sneakin' Suspition」等フィールグッズ/ソリッド・センダーズ時代の名曲のオンパレード。殆どが2~3分の短いナンバーだが「Don't Let Your Daddy Know」ではベースとドラムのソロや「朝早く目が覚めてラジオを点けたら古い悲しい曲がかかっていて君のことを思い出した」と語るトーキング・ヴォーカルを披露し10分近い演奏。有名なマシンガン・ギター奏法の振りをし焦らして観客のテンションを高める演出はお手のモノ。ラストは「Back In The Night」~「She Does It Right」という必殺メドレーで観客も大合唱。すぐにアンコールに応え「Bye Bye Johnny B. Goode」。途中で「電車が来るのを待っている」と歌いギターで汽車の擬音を出してじわじわ盛り上げる10分を超える熱演。"狂気のギタリスト"ウィルコ健在を示した90分だった。



物販コーナーにウィルコTシャツと並んでノーマンTシャツも売っていて笑ってしまった。おっさん写真T、着て歩くのはちょと勇気がいるかな。


ウィルコがディランの奥さんのゾーイ・ハウと共同で書いた自伝「LOOKING BACK AT ME」も販売していた。日本語訳出ないかな~?

ヘイ、ウィルコ
次のライヴは
いつですか?

65歳のウィルコ、61歳のノーマン、東阪名3日連続ツアー。ロケンローに年齢は関係ない。


コメント
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