夢千夜 1000dreams

漱石「夢十夜」へ挑戦する

649夜

2007-06-30 08:07:49 | Weblog
どうも最近たまきが荒れている。考えてみれば、たまきと同棲し始めてからもう八年になる。最初の頃たまきは優しかった。私のどんな我がままでも聞き入れてくれた。ところが最近はたまきの我がままで私が困らされることが多くなった。どうも考えてみると、たまきは一年おきに従順になったり、我がままになったりしているようだ。たまきの精神世界に従順と我がままの周期でもあるのだろうか。私はふとたまきは双子なのではないかと思い当たる。双子で一年ごとに私の前で入れ替わっているのではないだろうか。そう考えてみると、たまきの一年ごとの豹変もうまく説明できる。私は冗談のつもりでたまきに「お前は双子なんじゃないか」と言ってみる。「よくわかったわね」とたまきは言う。私は「えっ」と思って、たまきの言葉が信じられない。もし本当だとしたら八年ものあいだ私が気がつかないなどということがあるのだろうか。そのときこの部屋の入り口をノックする音がする。開けてみるとそこにもう一人のたまきが立っている。もう一人のたまきは私が自分の姉妹といっしょにいるときはこの部屋の上の階の部屋に住んでいるらしい。もう一人のたまきの顔は私の部屋にいるたまきの顔とまったく同じなのに、私にはすごく新鮮に見える。私が数ヶ月前まではこのもう一人のたまきと自由にセックスができていたということが信じられない。私は今すぐにでももう一人のたまきとセックスがしたい。が、たまきが双子だったことが私にバレてしまったからには、もう一人のたまきとは二度とセックスができないらしい。つまりバレた段階で私といっしょにいるたまきがこれから永遠に私の妻となるという決まりだったらしい。私はとんでもない失敗をしてしまったようだ。

648夜

2007-06-29 11:17:56 | Weblog
私は地下鉄の券売機の前にいる。靴下に革靴。ワイシャツにネクタイ、背広。ビジネスケースも持っている。しかし、パンツとズボンをはいていない。ワイシャツの裾で股間と尻が隠れないように、バンドを絞めてワイシャツの裾をたくし上げている。セクシーな女性を見れば、半勃起状態になったりもする。が、決して隠してはならない。今朝起きると政府から使者が来て、今日一日この姿で過ごすように通達された。これは法に則って決定された刑罰だ。私には理由が知らされない。理由を知ることもできるが、それには煩瑣な手続きが必要だ。異議申し立てをすれば、そのまま拘置所に搬送される。無罪を勝ち取ることも可能だが、何年も続く裁判が必要だ。今日一日我慢すればいいと思って私は通達に従った。私が通達に従っているかどうかは、厳重に監視されている。少しでも通達を無視する行為があれば、死刑をも含むもっと重い刑に処せられる。今日一日我慢しさえすれば、この刑罰の元となった罪はきれいに消滅する。通勤中も仕事中も誰も私の下半身を指差すものはいなかった。見て見ぬふりをしているという様子もない。普段の私と完全に同じものとして扱われた。

647夜

2007-06-28 13:20:16 | Weblog
ニューヨーク、マンハッタンの百階のビルの屋上からスキー競技のジャンプ台のようなものが下っている。巨大な滑り台だ。飛び出し口は三十階辺りにある。選手は七十階を下って飛び出す。冬で雪が降っている。が、スキーができるほどではない。雪は薄っすらとジャンプ台を覆う程度だ。まずビルの清掃人が裸足に短いスキー板をはいて飛び降りる。清掃人は見事にジャンプし、点のように小さくなってハドソン川に浮いている船の上に着地する。5百mは飛んだだろうか。今度は私の番だ。私も裸足に短い板だ。私が恐る恐るジャンプ台の天辺に立つと、誰かが背中を押す。スキー板は予想以上に私の体をうまく乗せてスムースに滑り降りる。私は飛び出し口から飛び出て、宙に舞い上がる。私の下をニューヨークの町が流れる。一瞬のうちにハドソン川だ。船首に巨大な女の顔がついた船が見える。あっと思ったとき、私は女の顔に激突して甲板に転げ落ちる。うまく着地できたようだ。皆が拍手する。

646夜

2007-06-27 08:18:15 | Weblog
私は体を前方に曲げると、自分の体が柔らかくなっていることに気づく。額が膝につくのはもちろん、頭を脚の間に埋めることさえできる。私はこれで一人フェラチオという長年の夢を果たすことができる。私は頭を自分の股間に持っていく。背骨がゴムのように曲がる。背中の真ん中が直角に折れている。私は自分のペニスを口に含む。初めはちょっと酸っぱい味がする。が、すぐ何も味がなくなる。やりかたがわからず、テクニックも何もない。が、次第にペニスも勃起してくる。しゃぶっている自分としゃぶられている自分が分裂して、一方の快感を味わうのが難しい。いつまた背骨が硬くなるかもしれない。長年の夢を果たすチャンスは今しかないと思って、私は必死でしゃぶり続ける。が、容易に射精しない。私は次第にダレてくる。

645夜

2007-06-26 11:27:06 | Weblog
頭皮に何かできものがある。直径三cmの半円のふくらみだ。髪は抜けていない。ぜんぶで十はある。手で触っているうちに半円の一箇所が破れ、中から白い水のようなものが噴出する。さらに手で押していると、半円がパックリ割れ、白い膿の塊が出てくる。手のひら一杯になるくらいの膿の塊だ。一つの半円のできものの容積の数倍はある。この膿が圧縮されて半円の中に詰まっていたことになる。私は膿の塊を床の上に叩きつける。膿の塊がぺシャッと砕けると、中から白い蛆のような虫が出てくる。ざっと見ても百匹以上はいる。モゾモゾ蠢いて床の上に広がる。こんなものがはいっているとなると、私は頭にあるぜんぶのできものをつぶしてしまうまでじっとしていられない。私は五個までできものをつぶし、膿を床に叩きつけた。蛆のような虫は床一杯に広がって蠢いている。そこまでやって脳みそそのものを摑み出してしまったような無力感がやってきた。虫は私の足を這い上がってくる。再び頭皮を抜けて私の脳みその中に戻ろうというのだ。

644夜

2007-06-25 08:26:26 | Weblog
目の前にペリカンがいる。やけにくちばしが細長いペリカンだ。ペリカンはブーブー鳴きながら顔を上に上げ、くちばしの下を撫ぜてくれと私に頼む。私は仕方なく撫ぜてやる。妙にスベスベした感じが気持ち悪い。やけに柔らかいくちばしだ。グニャグニャのゼリーのようだ。撫ぜてやっていると、ペリカンは快感に震えるような気持ち悪い声を出す。仕方がないので私はもっと撫ぜてやる。次第にくちばしは硬くなってくる。最後には鉄のように硬くなる。おまけに最初の大きさの三倍くらいの太さ長さに膨張している。それでも撫ぜ続けてやっていると、ペリカンはグーと鳴いて快感に果てたようにグッタリとなる。勃起したペニスが萎むようにくちばしは小さくなる。最後には空気を抜かれたゴム風船のように萎れて下に垂れ下がる。そしてついには溶けてなくなってしまう。溶けた液は精液のように地面の上に固まっている。くちばしがなくなったペリカンはおかしな顔をしている。ペリカンは自分でもくちばしがない顔が恥ずかしそうだ。くちばしはたぶんまた生えてくる。見ているうちに、ペリカンの口の周りに白い液が浮き上がってきている。これが成長してくちばしになるに違いない。

643夜

2007-06-24 08:50:30 | Weblog
この町には周辺に住むこびと族が侵入しないように炎の幕が張り巡らしてある。三十cmの高さの炎が夜の間だけ休むことなく燃えている。身長二十cmのこびと族には、この高さで十分だ。こびと族は夜行性で、昼間は決して活動しない。人口十万人の町の回り一面に火を燃やし続けるのはたいへんなエネルギーの消費だ。が、町の人々を守るためには仕方がない。もちろん川からの侵入を防ぐために川の上にも水面すれすれに特殊な帯を張って火を燃やさなければならない。こびと族は獰猛で、一旦侵入を許せば、最後には町が勝利するにしても、多大な損害をこうむることは避けられない。人間がはいり込めない地下の通路や天井裏に陣地を作られたら、その撲滅は町全体を破壊する覚悟でなければできないだろう。こびと族はすばしっこく、町の外に討伐に向かっても簡単に逃げられてしまう。今のところこれしか町を守る方法がない。

642夜

2007-06-23 08:29:05 | Weblog
三十階ものフロアから成り立っている巨大デパート。私はエレベーターの前にいる。エレベーターがきてドアが開く。ドアから外が直接見える。このエレベーターには横四面の壁がない。天井もない。床があるだけだ。床をロープで吊り下げるという単純構造だ。床も横二メートル幅一メートルしかない。私は少し躊躇した。が、乗る。客は三人だ。ドアが閉まり、エレベーターはゆっくり上がっていく。このエレベーターは経費節減のために電気仕掛けではなく、下っ端の相撲取りがアルバイトで屋上から引っ張りあげたり、下ろしたりしているという。三十人の相撲取りが常時待機して三交代で動かしている。相撲取りは熟練していてスムースな動きだ。私の降りる階は二十三階だ。周りを見ず、ドア側だけ見ていれば、そんなに恐くはない。

641夜

2007-06-22 08:27:40 | Weblog
私は血の病に罹っている。重篤な症状だ。ここまで進行したら普通の輸血では治療できないと医者は言う。私は治療のために血のシチューを食べなければならない。金属の皿の上にドロッとした血のシチューが盛ってある。食べきれないほどの量だ。が、治療のためには完食しなければならない。千人分の血を三日間煮込んだものだという。食べやすくするために茸や野菜も煮込んである。医者は「食え」と私に目で命令する。看護婦は顔をしかめている。これを食べないと死ぬんだと私は覚悟して一さじすくって口の中に入れる。ドラキュラでさえ、こんなものは食べられないと思う。私は茸を頼りにしてシチューを口の中に入れ、無理やり飲み込む。医者は満足げだ。血のシチューをすべて食べきったために、私はかろうじて生き延びた。

640夜

2007-06-21 13:22:27 | Weblog
坂の上で三十年も前の木下恵介の映画を上映している。そこにスクリーンが張ってあるのではなく、坂の上が映画の場面そのものだ。私は坂の下で母といっしょに映画を見ていた。見ているうちに私も映画の中に行けるかもしれないと思う。私は坂を駆け上がり、映画の中に頭から突っ込む。ドーンという耳鳴りがして体が三四十mも落下していく感じがする。ドンと足が地に着くと、そこは三十年前の映画の中だ。青春感動巨編と銘打った石坂洋次郎原作の映画のようだ。私がこの映画の中でどんな配役を担っているのか、まだわからない。まさか主役ということはありえないが、通行人ということもないだろう。道の脇から私の知っている俳優が出てくる。その俳優はもう二十年も前に交通事故で死んで今では伝説と化しているのだが、この映画の中ではまだ生きている。この人が主役に違いない。俳優は私に「こんにちは」と挨拶する。私も「こんにちは」と返す。この俳優に話しかけられたということは、私もこの映画の中でそれ相応の役をもらっているということだ。まあ、自然に振舞っていよう。自然にやっていれば、映画を壊すこともないはずだ。

639夜

2007-06-20 08:11:10 | Weblog
女子高の裏。リングを底にして観客が擂り鉢状に並んでいる。アリーナ席はなく蟻地獄のような形になっている。上を見ると空が丸く区切られている。観客はほとんどこの女子高の生徒だ。私のような近所の住人も観客となることを許されている。リングの上では今まさにバトルが始まろうとしている。西洋人の金髪女と黒人の大男との戦いだ。腰の辺りまで金髪を垂らした女は大男と比べて、あまりにも脆弱に見える。しかし、金髪女のほうが優位を予想されているという。私は観客席のずっと上のほうからリングを見下ろしている。私は部外者だけあって擂り鉢のほとんど天辺にいる。私の目からはリングの上の二人はマッチ棒のようにしか見えない。横にいる男が私に敵意丸出しの視線を向けている。見知らぬ男だ。なぜ私に敵意を持っているのか理解できない。私はその視線にいたたまれなくなって席を立つ。すると私はいつのまにかリングの上の金髪女になっている。黒人の大男が私に襲いかかってくる。私はさっきの横の男がこの黒人になりかわっていることに気づく。ああ、さっきの敵意の視線はこれが理由だったのかと私は気づく。私は大男の首に金髪を巻きつけ、締め上げる。これが私の最大の決め技だ。会場は「殺せ、殺せ」と熱狂している。黒人は断末魔の表情だ。私はさらに金髪をきつく黒人の首に巻きつける。

638夜

2007-06-19 08:19:00 | Weblog
自分の部屋のソファの上で昼寝から目覚める。少し頭が痛い。口の横がムズムズする。指で探っていると、ちょっとしたでっぱりがある。にきびの小さいものかと思う。が、どうもそうではない。指でつまんだり、突いたりしているうちに、でっぱりの頭がだんだん顔の皮膚の外に引き出されてくる。あれっと思って、さらに引っ張る。ツーッと一本の棒のようなものが引き抜ける。目の前に持ってきて見る。鉄の針だ。三cmくらいある。こんなものが自分の顔にはいっていたとは不思議だ。どういう形で入っていたのだろうか。針の頭を指で探ったときの感じからすると、顔の皮膚に対して垂直に入っていたようだ。三cmの針が垂直に入っていたとなると、先端は頭蓋骨の中にまで届いていたことになる。しかし、痛みはまったくない。もっとないかと探ると、あちこちにちょっとしたでっぱりがある。何十個ものにきびを吹き出させた少年の顔のようだ。もう一本引き抜くと、同じような針が出てくる。しかし顔には痛みも違和感もない。別に今は気にすることはないと思って、私は再び昼寝に入った。

637夜

2007-06-18 08:17:12 | Weblog
広大なアリーナ。中央にステージがある。観客が満杯にはいっている。私はステージの下でスタンバイしている。年齢のわりには老成した歌手が、十三歳のとき黒人兵士数人に輪姦され、性病までうつされて自殺を図ったが死に切れなかった、という陰鬱な歌を歌う。その歌は自分の経験だという。そのあまりの暗さに私は軽い吐き気さえ催す。次の歌手がステージに上がる。中年の女性歌手だ。低い声で歌う。妊娠三ヶ月のとき、広島で原爆にやられ、全身やけどを負ったが奇跡的に助かった、七ヵ月後、放射能の影響で頭が二つある赤ん坊が生まれた。前の歌以上に暗い。その赤ん坊が自分だという。危険な分離手術の結果、妹は死んだ。よく見ると、歌手の一本の腕と一本の脚は義手義足のようだ。私は陰鬱でこの場にいたたまれなくなる。私は控え室に帰り、コンタクトレンズを直す。いじっているうちに一方のコンタクトが眼球の裏側に回ってしまった。どうやっても元に戻らない。私の歌う番が近づいている。私はステージの下に戻る。会場は葬式のように静まり返っている。私の歌は「おっぺけぺっぽ、ぺっぽっぽ」という裏声で始まるコミックソングだ。「ぴっぴっぴのっぴ」といった無意味な歌詞を挟んで軽薄無比な言葉が続き、「この世はみんなお茶らけだ。笑っちゃうよね、えっへへのへ」という言葉で終わる。こんな歌でいいのかと私は不安になる。私は主催者に背中を押されてステージに上げられる。「おっぺけぺっぽ、ぺっぽっぽ」と私は裏声で歌い始める。私の持ち歌はそれ一曲しかない。会場はザワついている。原爆の歌の次にこの歌では、私は殺されても仕方がない。見えるほうの目がつらい。

636夜

2007-06-17 09:54:11 | Weblog
一般的な木造日本家屋。六畳の部屋が二つ。一方は畳。一方はコンクリートのプール。底が知れないほど深い。プールには中学生の少女五人と、大人の男二人が入っている。水着はない。一人の男は私、もう一人はテレビによく出るコメディアン。水鉄砲で水のかけあいをする。水鉄砲は次第に巨大化し、直径一mのものまで登場する。私は不毛な水鉄砲合戦から逃げるためにプールの底に潜る。コメディアンの「あいつは底で油揚げを食うんだ」という非難の言葉が私を追ってくる。私にはその非難の意味が理解できない。水には酸素が溶け込んでいる。まったく苦しくない。何百m潜っただろうか。やっと底までたどり着く。水上の喧騒と違って、水の底は驚くほど静寂だ。所所に灯りがついていて薄っすらと前が見える。私がいるのと向かい側の角に、かつてのアイドル歌手がいる。三十年前、私とこのアイドル歌手は愛し合っている時期があった。しかし、私の無理解から別れることになり、歌手は姿を消した。「三十年ぶりだね」と私は歌手に言う。二人の間に三十年ぶりの愛情が復活したように感じる。「私はここでずっとあなたを待っていた」と歌手は私に言う。歌手は歳を取っていない。水の底では時間が止まっている。私だけが地上の世界で醜く歳を取ってしまったのだ。私はこのままプールの底で歌手と一緒に暮らそうと思う。地上にいる私の家族はなんとかやっていくだろう。ここで三十年も私を待っていた歌手の誠実さに応えなければならない。見るとプールの底には油揚げが浮いている。これを食べていれば生きられる。私にはやっとコメディアンの非難の意味が理解できる。

635夜

2007-06-16 09:31:24 | Weblog
寺の前。山門から右に曲がって家の前に続く道に出る。ここから家まで百mだ。私はゆっくり歩いている。人はいない。道の両側に家が櫛比している。が、その中に人の影さえ見えない。周囲は白っぽく輝いている。向こうから白人が自転車にまたがってやってくる。ゆっくり自転車は進んでいる。自転車はリヤカーを引いている。リヤカーの上には白菜が積み上げられている。白菜がやけに白く輝いて見える。白人は鼻歌を歌いながら自転車をこいでいる。日本語の歌だ。が、歌詞はよく聞き取れない。白菜は楽に三十はある。白菜を町で売り歩こうというのだろうか。リヤカーが私のすぐそばを通り過ぎようとしたとき、私は、あることに気づいた。一番上に乗っているのは白菜ではない。人間の生首だ。首の切り口から血が出ていないし、首の下まである長い白髪だったので白菜だと勘違いしていた。知っている人のような気もする。が、確認できない。白人は明るく私に笑いかける。私も笑いを返す。