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『能は歌劇です。』 (どうきゅうせい)
2012-03-21 12:14:09
あらためて心にしみました。

詳細なるレポートありがとうございました。

次回を楽しみに。
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「砧」の演能レポートも欲しい! (ノビル)
2012-03-21 13:55:42
「景清」のシテ側からの思い入れのレポート、有難うございます^^。出来ましたなら能夫師のレポートも載せて下されば、この上ないプレゼントなのですが・・。自己流の能「砧」を、所持する「若女」の面をながめてそぞろに述べてみました。ご教示下されば、幸いです^^。
 *国立能楽堂企画公演16日 能・観世流「砧」(梓之出)を拝見して参りました。先だっての4日・粟能の会・喜多流「砧」に続く舞台となりました^^。
流派も、三役も当然違う訳ですが、世阿弥晩年の名作を如何に読み込んでの舞台化で、現れる表情には微妙な変化も情趣も漂ってきます。
【 シテ/前 芦屋の某の妻・後 同人の霊  
             粟谷能夫       観世 清和   
  シテツレ/侍女 夕霧  内田成信       坂口 貴信
  ワキ/芦屋の某     殿田謙吉       森  常好                       
  ワキツレ/従者  野口能弘       森  常太郎                     
   アイ/下人  石田幸雄       山本 泰太郎                       
  囃子方/笛 松田弘之       藤田 六郎兵衛                       
      小鼓 鵜澤洋太郎      大倉 源次郎                       
    大鼓 國川 純        亀井 広忠
      太鼓 金春國和       観世 元伯                       
   地謡/前列 友枝真也・粟谷充雄・ 木月宣行 清水義也 
大島輝久・佐藤 陽       角幸二郎  浅見重好 
      後列 出雲康雅 友枝昭世  観世芳伸 武田志房 
香川靖嗣 大村 定 梅若玄祥   岡 久広
   後見/ 内田安信 佐藤寛泰       木月孚行 上田公威  】               
 
能「砧」の虚構のキーワード(小道具)を考察してみますと、
 ①芦屋の何某の妻が、「唐土の故事」の詞章の中で、『蘇武といひし人。胡国とやらんに捨て置かれしに。故郷に留め置きし妻や子の・・』
  と、シテに謡わせますが、本曲の妻は、「子が無い⇒子供を産んでいない(?)」のです。
 ②三年もの間、砧を打つ音を聞かなかった生活は、有り?
 ③故事に絡み、(地謡)『蘇武は旅雁に文を附け、万里の南国に到りしも、契の深き志。浅からざりし故ぞかし』と心境を吐露させますが、
  芦屋の某が、この故事を弁えていなかった・・。
と、虚構の中にも蠢く男女の営みの深さを強くしてきます。
 男性作者の世阿弥もにして、シテ(子を産むことは出来ない男性)が、
「砧」の中で女性を演ずる仕組みは、見所の女性客にとって「どうなの?」とお尋ねしたいものです・・。
二つの舞台を拝見し、浅学の身で感じたこと。
 ①流派の差異を超えて、シテ連れの謡い込みが大切。京より遠路はるばるの長旅の末に辿り着いた
疲労の中のも安堵感を込めた謡い(又、芦屋の某との秘め事も隠し?ての)が、硬質の若さだけでは、「砧」にならないのです。前シテとの関係がしっくり来るか来ないかは、
ツレ・夕霧の謡いの情感にかかっています。粟谷能の会では、それほど気に留めなかったのですが、今回の舞台では、一層気になりました。
 ②アイの語りが「砧」の中に溶け込めるかどうか・・。
ベテラン・石田師も流石の語りでしたが、今回の若き山本泰太郎は、シテの声を代弁する哀しき詩情を出し、後シテへの繋ぎを見事に果たしていました。
 ③砧を置く位置(正先:横にしてのワキ柱寄り⇒正先に位置替え)、砧を打つ所作場の違い、後シテの杖での歩み(杖⇒左足・右足:杖⇒右足・左脚)
等の違いはありますが、囃子方・地謡の良さが整っての舞台でしょうか。
 前シテの装束・姿態が抜きんでており、写真でお伝えできないのが残念!な・・。観世寿夫師のCD「砧」が届きましたなら、舞台の再現となりますか^^。

 CD[砧」が届きましたので、早速に拝聴です!
 「砧」の演出の中では、様々な工夫がなされていますが、このCDでは、まずシテ連れの謡いが粟谷能の会、国立能楽堂企画公演とは、全くに違います。観世静夫(八世銕之丞)の謡いは、寿夫師の謡いに準じ、
シテ連れの役が唯年齢の若い能楽師を起用しているのではないのです。作者・世阿弥にして「火宅の門を出で・」と言わしめる謡いは、どうしても「野宮」に思いを馳せてしまいます。今まで引っかかっていた詞章なのですが、CDの解説の中に(P14)、
 自訴の為三年もの在京の間世話をやく夕霧を、ただ単なる召し使えとして理解するか、はたまた男女の契りの仲・・と、世相を下敷きにしても肯なるかな・・なのです。 喜多流では、本来ワキ・芦屋の某を幕開けに登場させておらず、シテ連れ・夕霧の道行の謡い「この程の、旅の衣の日も添いて、・・芦屋の里に着きにけり」から、
「着きゼリフ」の「急ぎ候ふ程に、芦屋の里に着きて候・・」となり、シテの「アシライ出シ」に進みますので、正妻と夕霧「召し女兼妾」の立場の違いを強調しておりません。中入り後のアイ語りによって、その関係を暗示していくのですが・・。
(「粟谷能の会」では、その意識があったのかどうか過去の演能レポート内での言及はなされていないのですが、名乗り笛にて、ワキを登場させ、「あまりに故郷の事心もとなく・・」とシテ連れを芦屋の里に使いする流れとなっています。
夕霧を迎えて、シテは「なに夕霧と申すか・・珍しながら怨めしや・・などや音信なかりけるぞ・・なに都の住いひを心の外とや」と、
皮肉って?います。
 そう思えば、「火宅の門」の文言も意味を重くして、遠く離れた夫を忍んで鄙人が生業にする「いざいざ砧を打つ」行為が、優雅に詩情を含んで「ほろほろはらはらと」とだけでは済みそうにもありません。強く打てば衣は更に馴れ着やすく体を包むのですが、
この魂の怨念をも強くして「砧を打つ」ことで、葛藤していることになります。
「深き妹背の仲」なれども、三年の時と遠くも花盛りの京の場所は「枕の上には波を隔つる愁い」にするには十分なのです。
砧を打つには、心と身体のバランスが崩れていき、優雅な所作も隠された憎しみをも包み込んでの「砧を打つ」・・なのでしょうか
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