7 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 こうすけちゃん (どうきゅうせい) 2011-10-19 12:03:33 このような深い思いを書いて下さる日は、何をどのようにコメントしていいかわかりません、ただ、じっと目を閉じて、そして・・・こうすけちゃん(天国の万蔵さん、ごめんなさい)は、そうです、我々の四学年下です。いろいろと考えていらしたことは、我々にも伝わってきていましたよ、本当に残念でしたね。それにしても、あの太一郎氏が坊ちゃんだなんてびっくり!ご立派でしたね、なるほど、どんどん我々が年取るわけです・・・繰り返しになりますが、みなさまの『舞台意識』は、信じられないかも知れないけれど、我々シロートの観客に、意外とわかっちゃうものなんですよ。ほんとよ。どのような舞台芸能にも通じることです。では、お元気で、益々のご活躍を。 返信する お返事 (粟谷明生) 2011-10-19 22:59:46 どうきゅうせい様コメント有難うございます。若い能楽師、狂言師の応援よろしくお願い申し上げます。私の今年の演能はもうありません次回は、来年の3月4日の粟谷能の会『景清』です。皆様のご来場をお待ちしています。お友達誘って下さいね、ヨロシク 返信する 耕介様 (高砂) 2011-10-20 00:15:42 明夫先生、こんばんは。耕介様を偲びます時、耕介様がさらにご長命でしたら、明夫様も暁夫様も、さらに実験的な舞台にかかわる機会が おそらく 多くなっていたのでしょうね なんて事も想います。 返信する 失礼致しました。 (高砂) 2011-10-20 00:22:10 お名前、明生様明生先生と記すべきところ、間違えました。iPhoneで記したのですが、手書きはもとより、普通のパソコンででしたらこんな間違えはしなかったはずですが、まことに失礼致しました。 返信する お返事 (粟谷明生) 2011-10-20 16:06:45 高砂様コメント有難うございます。そうですね、コウスケ君はちょっと時代を先取りしすぎたみたいですね今生きていたら・・・ちょうどよい塩梅だったかも・・・でも、次男の良介君が万蔵を襲名してがんばっています太一郎くんの指導もしているようですから、皆様の応援よろしくお願い申し上げます。 返信する 送り込み (ノビル君) 2011-10-21 08:19:40 事前講座ではなかった、「隠し玉」でしたか?ワキ「親子の證にて鼓の鳴る事。・・老人夫婦には数の宝を與えらるべきなり。まずまず私宅に帰り候へ。」シテ「あら有難きやさらば罷り帰り候はん。」ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ。」アイ「御前に候ふ」となっていますが・・。多分この流れは不自然! ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ」アイ「御前に候ふ」と本舞台にあがり、老人の後身を暖かく支え上げて立たせ、送り出す。 シテは、「あら有難きやさらば罷り帰り候はん」と、重圧から解放された安堵と帝を見返した天鼓少年の本懐に嬉々として、老人にしては橋掛を駆るように幕入りする演出があったのです! と、自己解釈していたのですが、背景には、明生師の温かい眼差しがあったのですね!天鼓で、耕介師の息子さんを起用したのも、秘めた思い出があったという熱い気風を感じました! 返信する お返事 (粟谷明生) 2011-10-21 12:13:58 ノビル君様コメント有難うございます。「あら有難や候、さらば罷り帰り候はん」は、自分としては謡たくなかったので、シテの謡いだけ割愛しようとしましたら、森常好さんから、「アイ狂言と言葉が重ねるので弄鼓では直ぐにアイを呼び出しているよ」といわれましたので、それに従いました。「太一郎君を天鼓のアイにお願いします」と粟谷能の会から萬狂言に依頼してはいませんが・・・ただ、配役が太一郎君でしたので、ちょっと気にかかって・・・・うまくやらせてあげたいな~という初老心ですよ(笑) 返信する 規約違反等の連絡
こうすけちゃん(天国の万蔵さん、ごめんなさい)は、そうです、我々の四学年下です。いろいろと考えていらしたことは、我々にも伝わってきていましたよ、本当に残念でしたね。
それにしても、あの太一郎氏が坊ちゃんだなんてびっくり!ご立派でしたね、なるほど、どんどん我々が年取るわけです・・・
繰り返しになりますが、みなさまの『舞台意識』は、信じられないかも知れないけれど、我々シロートの観客に、意外とわかっちゃうものなんですよ。ほんとよ。どのような舞台芸能にも通じることです。
では、お元気で、益々のご活躍を。
コメント有難うございます。
若い能楽師、狂言師の応援よろしくお願い申し上げます。
私の今年の演能はもうありません
次回は、来年の3月4日の粟谷能の会『景清』です。
皆様のご来場をお待ちしています。
お友達誘って下さいね、ヨロシク
耕介様を偲びます時、耕介様がさらにご長命でしたら、明夫様も暁夫様も、さらに実験的な舞台にかかわる機会が おそらく 多くなっていたのでしょうね なんて事も想います。
コメント有難うございます。
そうですね、コウスケ君はちょっと時代を先取りしすぎたみたいですね
今生きていたら・・・ちょうどよい塩梅だったかも・・・
でも、次男の良介君が万蔵を襲名してがんばっています
太一郎くんの指導もしているようですから、皆様の応援よろしくお願い申し上げます。
ワキ「親子の證にて鼓の鳴る事。・・老人夫婦には数の宝を與えらるべきなり。まずまず私宅に帰り候へ。」
シテ「あら有難きやさらば罷り帰り候はん。」
ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ。」
アイ「御前に候ふ」
となっていますが・・。多分この流れは不自然!
ワキ「いかに誰かある。老人を私宅へ送り候へ」
アイ「御前に候ふ」
と本舞台にあがり、老人の後身を暖かく支え上げて立たせ、送り出す。
シテは、「あら有難きやさらば罷り帰り候はん」と、重圧から解放された安堵と帝を見返した天鼓少年の本懐に嬉々として、老人にしては橋掛を駆るように幕入りする演出があったのです!
と、自己解釈していたのですが、背景には、明生師の温かい眼差しがあったのですね!天鼓で、耕介師の息子さんを起用したのも、秘めた思い出があったという熱い気風を感じました!
コメント有難うございます。
「あら有難や候、さらば罷り帰り候はん」は、自分としては謡たくなかったので、シテの謡いだけ割愛しようとしましたら、森常好さんから、「アイ狂言と言葉が重ねるので弄鼓では直ぐにアイを呼び出しているよ」といわれましたので、それに従いました。
「太一郎君を天鼓のアイにお願いします」と粟谷能の会から萬狂言に依頼してはいませんが・・・
ただ、配役が太一郎君でしたので、ちょっと気にかかって・・・・
うまくやらせてあげたいな~という初老心ですよ(笑)