虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

教える側

2007年05月12日 | Weblog

ペルーにいたとき、日本語を教えたことがあった。

もちろん、素人だったので、まったくの奉仕で、希望者だけを集めて行った。

軽く考えていたのだ。

それでも、教えるからには、教材は日本から取り寄せて、本格的に(?)やった。

このとき、生徒より先生役のほうが、勉強になることを知った。

一時間教えるためには、何倍もの勉強が必要だった。

その上、日本人でありながら、日本語を知らないこと、イントネーションがおかしいことを思い知らされた。

例えば、「は」と「が」の違いなどは、勉強しても理屈が理解できなかった。

文頭に来る「がげぎごぐ」は、音が鼻に抜けないが、そのほかは鼻に抜ける音になることをはじめて知った。

例えば、「がっこう」の「が」と、「たまご」の「ご」は、音声学的には違う調音をしている。

知っているつもりでも、知らないことが多かった。

なんだかんだで、それでも3年くらいは続いた。


教えることは、たゆまない予習が必要で、生徒はどれだけ楽か、

今まで「センコウ」などと馬鹿にしていた学生時代の先生を思い出して、

申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。

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