ペルーにいたとき、日本語を教えたことがあった。
もちろん、素人だったので、まったくの奉仕で、希望者だけを集めて行った。
軽く考えていたのだ。
それでも、教えるからには、教材は日本から取り寄せて、本格的に(?)やった。
このとき、生徒より先生役のほうが、勉強になることを知った。
一時間教えるためには、何倍もの勉強が必要だった。
その上、日本人でありながら、日本語を知らないこと、イントネーションがおかしいことを思い知らされた。
例えば、「は」と「が」の違いなどは、勉強しても理屈が理解できなかった。
文頭に来る「がげぎごぐ」は、音が鼻に抜けないが、そのほかは鼻に抜ける音になることをはじめて知った。
例えば、「がっこう」の「が」と、「たまご」の「ご」は、音声学的には違う調音をしている。
知っているつもりでも、知らないことが多かった。
なんだかんだで、それでも3年くらいは続いた。
教えることは、たゆまない予習が必要で、生徒はどれだけ楽か、
今まで「センコウ」などと馬鹿にしていた学生時代の先生を思い出して、
申し訳ない気持ちで一杯になってしまった。
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