虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

穏やか

2021年04月03日 | Weblog
声涙ともに下るって言葉があるが、年取ると、ちょっとした感動で涙が出てくる。

どうにもコントロールできないので、諦めている。

声涙は、激しい心、気持ちを落ち着かせる効果があるのか、穏やかになる。



以前、西友のネットスーパーでバイトしたことがあった。

商品を探していると、いきなり、「バカヤロー」とどなられた。そこには小汚い老人が立って、こちらを睨みつけていた。

年齢は分からないが、身体の動きがおぼつかないようだったので、おそらく70代後半くらいだったろうか。

こちらは店員だから、まず謝罪だから、丁寧に頭を下げたが、

「通路に立って、邪魔しやがって・・・・」

と、いつまでもグチグチ言っていた。

頭がおかしいのだろうと、勝手に考えてそのまま、謝罪し続けた。



周囲に責任を求める、しかも無意識に自分以外に責任を押し付けるのは、一種の生きるための文化、伝統だろうと思う。

民族的な特徴ともいえるだろう。

この傾向は、世界的な傾向だろうと思う。が、

特に、ペルーで生活していたころは、やたら言い訳や自分には責任がないこと、周囲を責めることに驚いたことがある。

現代で言うと、動画などで知ることができるが、韓国の上から下まで、政府からサッカーの選手まで、息をするように、

ウソと日本を責める攻撃性と、そっくりだ。


もう一つ、ウソと日本を責める攻撃性に、似ている集団というか、一群がある。

日本の左翼的な思考をする人々だ。

愛知トリエンナーレの「芸術作品」のなかで、天皇陛下の写真を燃やしたり、戦争で戦った先人を揶揄したり作品があったが、

あの思考は、そっくりな気がする。

立憲の議員が質問に立ったり、なにかコメントしたりすると、その言葉の端々に、

ひたすら自分には責任がなく、なにがなんでも政権に責任だという、なすりつけの魂胆と、

「バカヤロー」

と、怒鳴るあの老人の精神性を感じてしまう。
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