虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

歳のせいか

2016年05月01日 | Weblog

古き良き時代などというが、このごろそんなことを感じてしまう。

年齢のせいか。

 

こだわりとか、執着心とか、執念だとか、うまく機能すればいい結果も獲得できるが、

度が過ぎれば、禍根しか残さない。

 

観念は役に立たないことが多い。

世界一受けたい授業って、時々見る番組があるが、

100万部を超えるという。

確かにそうだなと思うが、観念の域を出ないから結局は役には立たないことになる。こての話は、「その気」になってしまうことだろう。

本読んで、自分にもできると思ってしまうことだろう。

それはちょうど限られた場所で、たとえば、「他人にやさしくすること」と教えてもらっても、

会場を出るとは我先にと、さっきの話は、いったいなんだったのか、とおもう行動をとってしまう、それに似ている。


どうも人生は一代で終わりで、教訓とか、人生論とか、懲りたこととか、次代につなげることができないようだ。

積み重ねができない。

「ここから下に家を建ててはならない」

石に刻まれた碑がある。

当時の人々の記憶が今日まで残されているが、時が経過すれば忘れ去られていく。

そして同じ目に遭う。

事故でも同じだろう。事件でも同じだろう。

いじめの問題で、少年少女の自殺があいついだが、いわれるのは、「同じことを繰り返さない」

風化させないは、いつか風化していく。


目の前の現実を生きるのがいいと思うが、否、それしか本質的に人間はできないような気がする。

考えても、どうも、ややこしくて、分からないことが多い。

本当はもっと単純で明快で、死ぬ間際くらいに分かるかもしれない。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする