自分が、日本人であったことを、思い知らされたのは、やはりペルーに行ってからだった。
日常生活そのものが、まったく異なる。
単に、異なる程度なら問題はないが、異なる中身が天国と地獄くらいの違いがあると、どうしても自分が育ってきた環境や条件などを、考えてしまう。
最初の内は、ペルーについてさんざん同じ日本人と話した揚句、
「ペルー人は信用できない、不潔だ、バカだ」
で、終わってしまっていたが、だんだん、なぜだろうと、ペルーの歴史や、キリスト教の影響、そして自分のことを考えるようになった。
日本人を意識させてくれたペルーだが、さいごは両親までいく。
両親、それは自分が依って立つ基盤なんだと、強烈に意識した。自分が自分であることの元だ。
ここまで思いが至ると、けっこう何に対しても動じなくなるし、価値観も変わってしまう。
そうさせてくれたペルーには、だからとても感謝している。
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