Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

前進的な失敗 箴言16:32

2010年01月10日 | Celebration
 みなさん、ギネスブックをご存知ですか?ギネスブックには、いろいろな記録が載っていますが、その中に400万個のドミノ倒しを達成したグループがいるそうです。そのグループが記録達成のために、ドミノを並べている時、すずめが一羽入ってきました。そして、そのすずめは、何と並べていたドミノの一つに止まってしまいました。しかし、そこで全てのドミノが倒れてしまったわけではありませんでした。彼らは、万が一、何かあっても全てのドミノが倒れないように、2万5千個ずつ、スペースを開けていたのでした。つまり、セーフティー・ゾーンがあったのです。

 私たちの人生にもセーフティー・ゾーンがあります。何か問題があったら、「もう人生おしまい!」と、自殺を図ってしまっては、人の命は、いくつあっても足りませんし、クリスチャンも、何かあるごとに、「神様なんか、いない!」と、信仰を捨ててしまっていては、クリスチャン生活は成立しません。私たちは、それぞれ、セーフティー・ゾーンがあるのです。それは、3日間、布団を被ってふて寝をしていることかもしれませんし、ご主人とケンカして、一週間、口を利かないことかもしれません。もう少し、建設的なものであれば、人生の目標や社会的責任が、セーフティー・ゾーンかもしれません。

 クリスチャンのセーフティー・ゾーンは、「神様への信頼」です。良い例は、旧約聖書に出てくる、「ダビデ」さんでしょう。ダビデさんは、波乱万丈の人生を送りました。王様になる前は、その前の王であるサウル王から迫害を受け、バテ・シェバと不倫をし、息子のアブサロムの裏切りを受け、国から逃げる必要がありました。しかし、彼は、どんなことがあっても、「神様がいる」、「神様は自分を見捨てない」、「神様が祝福してくださる」と言う、「神様への全くの信頼」が彼の人生を支えたのでしょう。

 「セーフティー・ゾーン」と言う、ニックネームを子供の頃、持っていた人物がいます。その人物の名前は、「ベンジャミン・ソロモン・カーター」さんと言う、小児神経外科の権威と言われている方です。彼は、頭の繋がった結合双生児の分離手術に初めて成功された方で、その手術には、スタッフが70人、手術時間に22時間も要した大掛かりなものでした。そのような素晴らしいお医者さんの子供時代は、成績はいつも一番、しかし、後ろから数えてでした。それが、彼の子供時代のニックネームが「セーフティー・ゾーン」と言われる理由でした。なぜなら、彼がいれば、彼のクラスメートは、成績が「一番下」になることは決してないからです。

 少年、ベンジャミン君の育った場所は黒人街の貧民層でした。お母さんは、内縁の夫と別れて後、イエス様を信じました。そして、成績の悪いベンジャミン少年を何とかしようと神様から知恵を与えられるように祈りました。まもなく、お母さんが、ベンジャミン少年に課したことは、「テレビは週に2本だけ見てもよい」、「毎週2冊の本を読んで、その本の感想レポートを書くこと」の二つでした。それを1年続けたベンジャミン少年は、クラスで成績がトップになったそうです。

 しかし、彼にはもう一つ克服しなければならないことがありました。それは、ベンジャミン少年はとても短気だったことです。そして、その短気が災いし、遂に彼は、14歳の時、友だちとラジオのチャンネル争いで、その友だちをナイフで刺してしまったのです。しかし、神様の憐れみだったのでしょう。ベンジャミン少年のナイフは、友だちのベルトのバックルにあたり、友だちは、大ケガを免れたのでした。その時、ベンジャミン少年は、驚きと恐ろしさで、慌てて家に戻り、部屋に閉じこもります。その驚きと恐ろしさで彼の手の震えは止まりませんでした。彼は落ち着こうと、聖書を開きました。そして、目に留まった箇所が、今日の聖書箇所の箴言16章32節でした。

忍耐は力の強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。

彼の手の震えは止まっていました。もし、この事件がなければ、今のベンジャミン・ソロモン・カーター博士は存在していなかったでしょう。聖書の中にも短気な人がいます。それは、イエス様の12弟子である、ゼベダイの子、ヤコブとヨハネです。二人とも「雷の子」と言う、ニックネームをイエス様から付けられるほど、短気な人物でした。彼らの性格をよく表しているのが、ルカ9章51-56節にある話です。イエス様と弟子たちがエルサレムに行く途中、サマリヤ人の村に入ったところ、サマリヤ人たちは一行を歓迎しませんでした。すると、ヤコブとヨハネは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか!」と過激なことを言い、イエス様に戒められます。しかし、後に「愛の書簡」と言われるヨハネの手紙を記したのは、この「雷の子」と呼ばれていた「ヨハネ」です。ヨハネの手紙からは、彼が「雷の子」と言われていたとは全く想像出来ません。このカーター博士と、ヨハネさんの話から「短気」は、気質ではなく、性格の問題で、それは直すことが出来ると言うことが分かります。

 また聖書では、一般的に私たちが失敗と思っていることは、神様にとって失敗ではないと言うことが分かります。聖書には人間の失敗の記録がたくさん記されているにも関わらず、何と聖書には、「失敗」と言う言葉が記されている箇所は、「サムエル記」、「ダニエル書」、「ローマの信徒への手紙」の3箇所しかないのです。私たちは、失敗についての神様の知恵を学ぶ必要があります。そのポイントは以下の4つです。

人間は原罪の故に失敗をしてしまう
 私たち人間は、アダムとエバが犯した失敗の故に失敗をしてしまいます。言い換えれば、人間である以上、失敗をしない人間はいないのです。

失敗は結果ではなく、そのプロセスの内で既に起こっている
 例えば、離婚届に判を押したのが失敗なのではなく、結婚生活の中での失敗の積み重ねが離婚届に判を押すことになるのです。

それが失敗であったかは、自分の判断である
 発明王のエジソンは、電球を発明するのに、何百個と言う試作を重ねました。
彼曰く、「その何百と言う試作は失敗ではなく、電球を成功させるために必要な過程であった」また、私たちが日常、よく使っている「ポスト・イット」は、接着剤の試作品としてつくられたのですが、最初は、直ぐにはがれてしまうという理由で、失敗作とされていました。しかし、発想の転換によって、直ぐにつけたり、はがしたりできる新しい商品として、大ヒットとなったのです。

失敗がなければ成功もあり得ない
 私たちは、失敗を忌み嫌いますが、失敗がなければ、成功もありません。失敗は、私たちは、自分の人生を成功に導くための、必要な要素なのです。では、私たちの人生における成功とは何でしょうか?それは・・・

自分の人生の目的、使命を知ること

神様が与えてくださった賜物を発揮出来るまで成長すること

そして、世のため、人のため、神様のために生きること

 これが、私たちが人生で成すべきことです。そのためには、私たちは人生における失敗を成功へと転換させるため知恵と力が必要です。では、ここでもう一度、失敗についての、正しい理解と認識を、確認しておきましょう。


失敗は人生における教訓を得るための授業である

その授業は、本人が教訓を得るまで繰り返される

易しい授業で教訓が得られなければ、より厳しい授業が課せられる

教訓によって本人の行動が改まった時に、授業は終了する


 もし、私が、人の前で話す賜物をいただいていても、私がその賜物をもっと用いるために話し方の勉強をしたり、練習をしたり、訓練をしたりしなければ、その賜物は活かすことは出来ません。そのためには、私たち自身が、へりくだり、神様に従順になる必要があります。そうすれば、神様は必ず、私たちの失敗を益へと変えてくださいます。では最後に、ベンジャミン・ソロモン・カーター博士が提唱している『自分の賜物と見つけ方』をご紹介しましょう。

学生時代、得意だった科目は何か?
その得意科目の理由は何か?
今までの人生で成し遂げたことは何か?
自分の好きなことで人から褒められたことは何か?
人からはつまらないと思える仕事でも楽しくやるコツは何か?

 この5つのポントを、一人で静かに考える機会を持ち、その考えを信頼できる人に相談して、また考える機会を持つのです。神様は全人類を愛してくださり、その一人、一人にその人でなければならない賜物を与えてくださっています。その賜物を用いて世のため、人のため、自分のため、そして何よりも神様のために自分の人生を歩んでいきましょう。それでは、今日のメッセージの最後は、カーター博士のこの言葉で締めくくりたいと思います。(執筆担当: 美鈴)

神様は、誰に対してもその人にしかない賜物を与えておられます。それは、神様が全ての人を愛しておられ、全ての人に良い人生をおくって欲しいと願っておられるからです。


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