Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

3つのパンの祈り ルカ11:1-10

2008年07月06日 | Celebration

イエスはこう言われた。あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを3つ貸してくれ。友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば、与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

最近の情勢を見ると、ガソリンをはじめ、物価は高騰し、天災は、あちこちで起こっています。クリスチャンと言えども、この世の中で生活していると、不安を感じずにはいられませんが、クリスチャンは、不安を希望に変えていくことができます。それが、クリスチャンに与えられている特権です。不安を希望に変えていく原動力は、信仰にあります。信仰が成長することにより、希望が不安に変えられていきます。それでは、その信仰を成長させるにはどうしたらいいでしょう。

信仰は、祈りによって育まれます。祈りは、クリスチャンの特長と言えるでしょう。なぜなら、祈りは、人格的交わりを求める神様との対話だからです。仏教は、お経を唱えますが、お経は既に出来ているものを覚えて唱えています。イスラム教は、一日に5回、アッラーの神に向かって拝んでいます。しかし、この2つの宗教には、クリスチャンの祈りのような神様と人間との個人的な対話・交流はでありません。

 キリスト教(と説明するのは、個人的に抵抗があります。なぜなら、キリスト教は、宗教ではなく、全人類がイエス様を通して、全ての被造物を創られた天のお父様と親子関係を修復することを神様が望んでおられる事実だからです。)における、神様と人との関係は、この世の中では、親子関係のようなものです。親は、子供のできないこと、子供の望むことをしてくれます。たとえば、子供の頃、お父さんにだっこやおんぶ、肩車をせがんで、してもらったこと、お母さんと買い物に一緒に行って、お菓子をねだって、買ってもらったこと、このような関係が神様と私たちにもあるのが、キリスト教の特長です。私たちは、神様に個人的にせがんだり、ねだったりすることが祈りを通してできるのです。
今日のメッセージ箇所である、ルカによる福音書11章1-10節には、祈りに関する事柄が3つ書かれています。一つ目は、どのように祈ったらいいか?と言うことです。イエス様がお祈りをしておられると、弟子たちがやって来て、「私たちにも祈りを教えてください」と言いました。(ルカ11:1)イエス様が弟子に教えた祈り、それが、「主の祈り」です。主の祈りは、クリスチャンの基本の祈りです。多くの教会では、礼拝の中で、この主の祈りを唱和します。暗誦されていらっしゃる方も多いでしょう。しかし、ここで注意しなければならないことは、覚えているからと言って、ただ、漠然と口にするのでは、祈りにはならないと言うことです。イエス様がなぜ、この主の祈りを教えてくださったか、一つ、一つの言葉の意味を深く理解しつつ、神様にこの祈りを献げましょう。
二つ目は、どのような姿勢で祈ったらいいか?と言うことです。私たちは、人に物を頼む時、遠慮がちに頼むことがありませんか?「もし、よかったら…」、「できれば…」と言ったように。しかし、神様に祈る時の姿勢は、そうでなくていいのです。イエス様は、むしろ、積極的に祈ることを教えてくださっています。「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(ルカ11:9-10)神様は、私たちが主体的に祈ることを望んでおられます。そして、そのような祈りをする者は、誰でも必ず応えられるとおっしゃってくださっています。
三つ目は、今日のメッセージタイトルにある、三つのパンの祈りです。このたとえ話は、ある人が、真夜中に友人の家にパンを借りに行くという設定ですが、イエス様はこの話を通して、私たちに、祈りの6つの基本要素を教えてくださっています。イエス様が教えてくださった通りに祈る、「主の祈り」(ルカ11:1-4)と、祈りに対する姿勢(ルカ11:9-10)の間にイエス様が語られたことは、私たち自身が主に祈る時、「どのようなことに重点をおいて祈るか」と言う、基本中の基本要素です。


祈りの6つの要素

1)彼の家にはパンが一つもなかった。

 彼の家に友人が突然訪問して来ました。昔の旅ですから、多くの不測不可能な事態が起こり、その友人はやむ得なく、彼の家に立ち寄ったのでしょう。友人は食事をすることが出来ず、お腹をすかせていました。ところが彼の家には、何処をどう探してもパンは一つもありませんでした。彼はどうしても自分には出来ないことを祈りました。神様は、私たちには出来ないことを助けてくださいます。それが祈りの第一の基本要素です。

2)彼は自分でパンのある所まで行った

 彼は、「神様私たちにパンをください!」と、ただ部屋の片隅で祈っていたのではなく、パンを貸してくれる友人の家まで真夜中なのに訪ねて行きました。つまり、彼は自分に出来る精一杯のことをしたのです。神様は、私たちに出来る範囲のことは私たちに任せられておられます。ですから、自分のできないことは神様に祈りをもって頼り、自分で出来ることには最善を尽くさなければなりません。

3)彼は友人がパンを持っていることを知っていた。

 彼には、何人か友人がいたでしょう。しかし、彼が訪ねた友人は、真夜中でも、パンを貸してくれそうな友人だったと思います。私たちは、人に頼み事をする時、その頼み事をいちばん利いてくれる人を選びます。神様は、この世界の全てを創られた全知全能のお方です。ですから、私たちの祈りに神様は、必ず、応えてくださると言う確信を持って祈りましょう。

4)彼は自分の願いを友人が聞いていることを知っていた

 彼が訪ねた友人は、真夜中に彼が訪ねて来た理由を聞き、それに対して返事をしています。彼は友人が自分の願いを聞いていることを分かっていました。だから最後まで食い下がることが出来たのです。同じように神様も私たちのどんな祈りでも、必ず聴いてくださっています。ですから、どんな祈りでも、神様は必ず、いつも耳を傾けてくださっていると言う確信を持って祈りましょう。

5)彼は必要に合わせて具体的に願った

 彼は、自分の必要を具体的に友人に伝えています。夜中に到着してお腹をすかせている旅行中の友人のために「パンを3つ貸してください」と。神様は、何でもできるお方ですから、私たちの祈りにも忠実に応えてくださいます。ですから、なるだけ具体的に祈りましょう。

6)彼は自分のためではなく、友人のために願った。(ルカ11:6)

 彼は、自分のためではなく、友人のためにパンを借りに行きました。パンを求めた人は、パンを必要とする人とパンを与えてくれる人との仲介者でした。それは、イエス様が私たちの救いのために私たちと神様との仲介者になってくださった姿と重なります。そして、救われ、神様の子供となった私たち、クリスチャンは、自分の必要のためだけでなく、周りの人のために神様に祈ることができるのです!

今週一週間も、私たちの祈りを聴き、応えてくださるイエス様に希望をおいて日々の生活を歩んで行きましょう!


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