Good News Celebration!

☆田中啓介牧師による礼拝メッセージをお届けしています。

放蕩の後 ルカ15:11-24

2008年01月20日 | Celebration
「聖書の中で最も大切な神様の命令は何でしょうか?」 この問いにあなたは何とお答えになりますか? 聖書の中にある神様の命令は、いくつかあります。

モーセさんが荒野で神様から与えられた十戒(出エジプト20:2-17)。
イエス様が天に昇られる前にお弟子さんにおっしゃった大宣教命令(マタイ28:18-20)。
律法学者がイエス様に聞いた第一の掟と第二の掟(マルコ12:28-34)。

 それらの命令は、勿論どれも大切ですが、今日はこの御言葉から、田中啓介牧師を通してメッセージをいただきました。

「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16)

 もし、私たちが、聖霊に満たされていないクリスチャンであったら、クリスチャンとして歩む日常は、とても大変です。なぜなら、ガラテヤ5章17節に書かれているように「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。」とあります。肉と霊を持つクリスチャンは、肉の望むところ、すなわち、肉欲や欲求、自己中心的な思いと、神様が望むこと(肉の望むところと反すること)が自分の中にあり、絶えず、反するため、自分だけの力で、神様の命令を行なおうとすると、生活の中で矛盾や困難が生じます。

 しかし、聖霊に満たされると、クリスチャンは、人知では計れない神様の力を受けます。その神様からいただいた力によって、聖書の中にある全ての神さまの命令を遂行することができるのです。ですから、聖霊を受けることは、とても大切であり、だからこそ、神様は、私たち、クリスチャンに「霊の導きに従って歩みなさい」と命令されたのです。

 「聖霊を受けている人」=「クリスチャン」です。なぜなら、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(Iコリント12:3)と聖書に書かれています。ですが、私たち、人間は、どのクリスチャンが、どれだけの聖霊様を受けているかは、分かりません。それは、神様だけがご存知です。ですから、「聖霊を受けているか、受けていないか」で霊の家族として裁きあうことがないように努めましょう。しかし、聖霊様に満たされている度合いによってそれぞれのクリスチャンライフは異なります。神様ともっと深い関係を望み、神様が私たちに望んでいらっしゃる心、行動を伴ったクリスチャンになりたいと願っていらっしゃる方は、もっと、聖霊様に満たされることを切に願いましょう!

 それでは、どうしたら、もっと、聖霊に満たされることができるのでしょうか?「聖霊に満たされること」は、「泳ぎ方を習うこと」に似ています。どんなに本を読んで勉強したとしても、どんなに理論や技術を知っていたとしても、実際に水の中に入って経験してみなければ、泳げるようにはなりません。聖霊に満たされるためにも、自分自身がまず神様(聖霊様)の中に飛び込んでみる決心が必要です。そのために必要な5つのポイントがあります。そのポイントを今日の聖書箇所である、ルカによる福音書15章11-24節の『放蕩息子』のお話から学んでいきましょう。

1)罪を告白する

  信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主に癒していただくために罪を告白しあい、互いのために祈りなさい。」(ヤコブ5:15-16)

  自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は、真実な方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」(Iヨハネ1:8-9)

 この2つの御言葉は、信仰を持った私たち、すなわちクリスチャンに向けて語られています。イエス様を受け入れても私たちは、この世で肉体を持つ限り、罪を犯します。ですから、犯してしまった罪を告白し、神様から赦しをいただきましょう。

2)罪を放棄する

 この世で肉体を持つ限り、イエス様を受け入れているクリスチャンも、受け入れていないノンクリスチャンも罪を犯すと言うことについては、同じです。しかし、イエス様を知っている、クリスチャンは、イエス様を通して、罪を告白し、赦していただけることを知っています。すなわち、クリスチャンは、自分が罪を犯しているかどうか、と言うことを知っていると言うことです。罪は、滅びに至ります。ですから、イエス様は、姦淫を犯した女性に対して、こうおっしゃっています。

私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してならない。(ヨハネ8:11)

 罪のある所には、聖霊様は働けません。なぜなら、三位一体の聖霊様は、父なる神様、イエス様が義であると同様に、義であるからです。いつまでも、罪の中に自らを置くクリスチャンであるか?それとも、聖霊様を受けて、祝福を受けるクリスチャンであるか、神様は、私たちにその選択を任せていらっしゃいます。

3)自分を明け渡す

 「置換の法則」をご存知ですか?水がいっぱいに入ったコップに氷を入れると、水は、溢れてこぼれてしまいます。「二つの物体は、同時に同じ空間を占めることができない」と言う法則です。私たちは、日常生活の中でこの法則をよく理解しています。クリスチャンとして、神様の御心を生活の中で実践していきたいと思う反面、「自分は、こう言う事がしたい、ああ言う事もしたい。」と言う、思いでいっぱいになってしまっていませんか?

 そう言った状態では、神様の御心を教えてくださる聖霊様は、自分の思いでいっぱいになってしまっている私たちの中には、入ってくることができません。それが、たとえ、罪ではなくても、です。神様の思いと自分の思いが一致しているかどうか、吟味する必要があります。神様の思いは、私たちを祝福したいという思いです。

 私たちの思いの中には、幸せになりたい、祝福を受けたいという、思いがありますが、その思いは、神様の完全な計画と比べると決して、完全ではなく、自己中心的なものから離れることができません。ですから、まず、私たちは、自分の思いを主の前に明け渡し、神様の思い、聖霊様が入りやすい状態に私たちがなる必要があります。すると、神様の私たちの思いを越えた祝福で満たされるのです。

4)神様に従う

また、神がご自分に従う人々にお与えになった聖霊も、このことを証ししておられます。(使徒5:26)

 聖霊様に満たされるポイントは、このように聖書にはっきりと書かれています。自分を明け渡したクリスチャンに聖霊様は、豊かな満たしを与えてくださいます。その中で、神様の御心、神様が、私たちそれぞれにして欲しいことを語られます。その語りかけに耳を傾け、従っていきましょう。すると、聖霊様は、益々、私たちを満たしてくださいます。

5)神様を信じ続ける

 これらのポイントを理解し、実行しても、時として、私たちは、また、罪を犯してしまうことがあります。また、これらのポイントを実行しても、聖霊様の満たしを実感できない時もあります。疑いや失望を感じることがあるかもしれません。しかし、それは、サタンが神様と私たちの関係を邪魔しようとして起こることです。ですから、神様を信じ続けることが大切なポイントです。神様を信じて、私たちの全てを神様に委ねた時、私たちは、聖霊様の満たしを受け、神様の人知では計り知れない、力を受けるのです。

 放蕩息子は、父親が生きている時にその財産を分けるように要求したという、通常ユダヤ社会では(現代においてもですが)考えられないことをします。それだけでなく、その財産を全部無駄使いしてしまい、最後には豚のエサで飢えを凌ぐまでに落ちぶれてしまいます。そこで彼は、やっと我に返るのです。ここで彼は罪の告白をします。

「ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格は、ありません。雇い人の一人にしてください』と。」(ルカ15:18-19)

そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。(ルカ15:20)

 とあります。彼は、自分の罪を放棄したのです。そして、父親に会い、父親の前で、罪の告白をします。彼の告白には、自分を明け渡し、雇い人の一人となって父親に従うことが表されています。それに対して、彼の父親の態度はどうだったでしょう?父親は僕(しもべ)たちにこう言いました。

急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来てほふりなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなったのに見つかったからだ。」そして祝宴を始めた。(ルカ15:22-24)

 神様の私たちに対する態度は、いつも私たちを愛し、私たちが神様の所に戻って来るのを今か、今かと、期待して待っておられます。そして、雇い人の一人でいいと思って、帰って来た放蕩息子は、息子として、そして、いちばん良い物を与えられ、迎えられたのです。私たちは、この『放蕩息子』の立場と、自分の立場を重ねることができるでしょうか? 切に聖霊様を求めましょう。このように約束してくださる神様を信じ、聖霊様に満たされた歩みをしていきましょう!

神様が私たちを聖霊様で満たしたい」と言う願いと、「私たちが聖霊様で満たされたい」と言う願いと、どちらが強いでしょうか?神様の願いの方が、私たちの願いより強いのです。「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。(ルカ11:13)

 〔写真:レンブラントの放蕩息子〕