GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

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「メンターを探せ!」

2012年04月30日 | Weblog
 私の哲学の根底をなしているものは、<平等>ではないかと最近思うことがある。当然今までそのことに気づかなかったからこそ、そんなことを思うのだ。「平等」素晴らしい響きを持っているが、現実には存在しない。一番よく分かるのが容姿だ。背の高い人もいれば、低い人もいる。可愛い女性もいれば、そうではない人もいる。内面の良さや悪さは、見た目で分かるものではない。
 映画「卒業」で大スターの階段を登り出したダスティン・ホフマン。あの役は最初、ロバート・レッドフォードにオファーがあった。その時のレッドフォードの言葉がいい。「あんな童貞男なんか、演じられるか!」と断った。レッドフォードが断らなければ、ホフマンはその後の輝かしい将来を獲得できなかったかもしれない。その後のレッドフォードの話もしておこう。映画「明日に向って撃て」に出演した時だ。映画の製作時、サンダンス・キッド役は最初ポール・ニューマンにオファがあったが、ポールはブッチ役がいいと自ら変更した。そして、サンダンス役はレッドフォードに回って来た。そしてこの映画一本で、レッドフォードは一気に大スター街道を駆け上って行った。レッドフォードとポールの関係はポールが亡くなるまで良き友達だったという。当然だ。レッドにとって一生の恩人であるからだ。ホフマンは下積み生活が長く、どんな役(親子丼の童貞役)でも飛びついた。容姿端麗のレッドフォードは自分に合う役を待っていた。

                

 「平等」から少し話が逸れたが、人間は容姿が人生に大きく影響を与える唯一の生きものと云える。しかし、容姿がいいからと言って幸せになれるとは決して言えない。チヤホヤされて、不幸な人生を歩む場合も多い。いいも悪いも影響を受けることは確かだ。

 今日もまた3人のファミリーの中で一番早く起きて、朝日新聞を読んで妙な見出しが目に飛び込んできた。「伸びしろの要は、愛嬌だ」共感どころか、納得できない言葉だった。P.18の「仕事力」の欄の記事だ。副題に「キャリアの扉にドアノブはない」この言葉は共感できる。作家の内田樹(うちだ たつる)氏の記事だ。簡単にまとめてみる。

・成功する人は懐に飛び込んでくる。
・「学ぶ姿勢」のある人は、素直で、つまらない先入観を持たない。

・学びの3条件
    1)自分自身に対する不完全感 
     (自分は非力で、無知。この欠如を埋めたいという飢餓感を持つこと)
    2)その欠如を埋めてくれる『メンター(先達=先生)』を捜し当てられる能力を持っている。
     (メンターは人でも本や映画の中の人でもいい。生涯にわたる師でなくてもいい。
      ただある場所に案内してくれる「渡し守」のような人でもいい。
      自分を一歩先に連れて行ってくれる人はすべてメンターである)
    3)素直な気持ち。
     (「教えさせる」力、オープンマインド、もっと平たく『愛嬌』がある)

  ★1)、2)、3)をまとめると、「学びたいことがあります。教えて下さい。お願いします」   
    これがマジックワード。これをさらっと云える人は、どこまでも成長できる。

 『愛嬌』の意味がよく分かった。内田氏の上記の話にやっと共感できた。       

   ●若い人たちに知らせたい。
       素直さは将来のパワーとなるだろう。
       好奇心はその素直さから生まれる。
       メンター(師、言葉、名言、詩etc.)を探せ。


新聞の隣のページ(P.19)、100歳の現役医師で有名な日野原重明氏の記事も共感したので追加しておく。
・毎日をあるがままに生きています。(私と一緒。今を一所懸命に生きる)
・やりたくないものはなく、もうやりたいことことばかりで選択に困るくらい。(私と一緒)
・昼はご飯なし、朝もご飯もパンも食べない。(私と一緒、昨夜は今朝の5時に就寝、朝10時起床。14;30までブラックコーヒーのみ)
・集中して仕事をしていれば空腹感は感じない。(私と一緒。今はブログが私の仕事だ)
・「愛すること」愛し愛されて生きることが必要。(私と一緒。従業員も私の家族だとして愛してきた)
・やったことがないことを始める
 (私と一緒。俳句と写真の「あなたは迷写真家?」というコミュをmixiで以前からやっている。
  俳句には何故か惹かれるものがある。ただ直感に従っただけ)
・「耐えること」耐えてることで感性が高まって、苦しんでいる人をサポートすることができる。
 →この言葉は私にとって<メンター>となる言葉だ。

                     

 「平等」の要求は、人にプレッシャーと妬みを生じさせることがある。それが、私が大嫌いなジェラシーへと膨らむ。そして、ダースベイダーも落ちた暗黒の世界の住人となる。しかし、私の場合、現実との乖離が成長の糧となった。そして、それを補う心の支えとして常にメンターを探していたような気がする。映画や本にのめり込んだのもその為に違いない。そして、この時期に数多くのメンターに出会った。幸運だったと言える。
「人は行きつつある方向からやって来る」(エリザベス・ゲイジ作『真夜中の瞳』この言葉もメンターだ)

 中2の時、同じクラスになった初恋の圭子ちゃんは、住吉高校に入学するのが分かっていた。彼女は優秀だった。しかし、勇気のなかった私は告白できず、生涯で最大の片思いとなった。住吉中学校は、1学年15組680名以上もいる市立で、マンモス受験校だった。私の成績は250番から300番くらい。70番以内に常にいる圭子ちゃんと同じ高校(住吉高校)に行きたいという気持ちが原動力となった。中3の3学期には、頑張って学年で80番くらい成績があがった。
 担任の恩師井上先生に「おまえほど、アップした奴は見たことがない」と言わしめた。今考えても生涯で一番集中して勉強した1年だと断言できる。強い意志を持って、現実との乖離を圭子ちゃんへの想いに変えて頑張った。しかし、実際受験したのはワンランク下の今宮高校だった。

 あの頃、クラスの上位から順に成績(5.4.3.2.1)が決まる相対評価だった。クラスには最上位校(天王寺高校)を受験する仲間が5名もいた。結果として5名天王寺高校に入学した。井上先生と定年後お会いしたとき、「生涯で最高の自慢のクラスだった」とおっしゃっていた。私の内申書は、結果として4が多くなってしまった。井上先生は申し訳なさそうな表情をみせて、ワンランク下の今宮高校を薦めた。受験結果より、内申書重視の時代だった。この挫折感は私のそれまでの人生で最大のものだった。「何のためにあれだけ勉強したんだ…」 入学した今宮高校時代は私の歴史の中で陰に籠もった暗黒の時代となってしまった。

 この挫折感がギターや本、映画にのめり込ませた。当然、高校の成績は最悪だった。一浪して法政大学がやっとだった。高一の担任から「入学した成績は学年12番だぞ。なのにこの成績はなんだ!」としかられた。しかし、そんな言葉で動かされるような生易しい挫折感ではなかった。高一のGWに和歌山県の南紀白浜へ一人旅に出た。旅館に泊まろうとしたら、家出と間違えられ、白良浜で穴を掘り一夜を過ごした。しかし、今思い返すと、それが自分の人生を深耕させる第一歩となったような気がする。そして、数多くのメンターと出会った。今、思えばこの時期から日野原重明氏の語った「耐える」ことを学んで感性を伸ばしていったように思う。

       人生には平等などない。それをまず受け入れる事。
      それを決して妬たんではいけない。
      
      自分が何者であるか、
      これは一生かかっても分からない大きな命題であることを受け入れよ。
      だから若い頃はやりたいことを優先するのではなく、
      やるべきことを探し、将来のためにやれることを一所懸命にやろう。
      そうすれば本当にやりたいことが見えてくる。  

      GOOD LUCK!

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