そう言えば私が在籍するH本社で入社25年でようやく係長になった、人のいいAさんがいた。昇格後3年で激痩せして入院し、そして退職した。後で聞けばガンだったという。人のいい優しい人が今まで経験のない管理職になったことが、 不幸を生んだかもしれない。
優しい性格が会社の命令や指示を受け入れ、末端に伝えるとき現場との温度差に心を痛める。上からの指示や命令は、現場にとって容易だったり、肉体的ストレスや精神的ストレスを軽減した試しはない。
この現象とは少し異なるが、私の過去の経験談。ファミレス店のウェートレスとして主婦の仲間や学生達のリーダー格として頑張っている女性(主婦)がいた。そこで今後も頑張って社員並の仕事をして欲しいと思い、新しくできた契約社員制度を利用して抜擢した。
人件費の削減の為、始まった制度だったが当時はその事に気がつかなかった。その後店の従業員関係がギクシャクしだし、その契約社員は辞めたいと言い出した。今までうまくいっていた関係があんなにも容易に崩れていくことが印象的だった。(その後の対処も語っておきましょう。その契約社員の優しい性格が災いし、反発(嫉妬?)していた主婦が騒ぎ出した。私が乗り込んで説得し他店に異動させた。こういった時は契約社員を必ず守り、反発する人を退職か異動させるしかない。これを毅然とした態度で処理すると、その契約社員が水を得たように頑張りだしてくれた。地区マネジャーだった私は、若い店長からの契約社員申請について、以後十分現場の従業員関係を調査する必要があると感じた。)
ストレスを溜め込んだハツカネズミの潰瘍と、ガンを発生させる人のメカニズムとの因果関係を説明するには私には出来かねますが、深い関係があるのは分かります。ストレスが無くなれば潰瘍やガンの発生が押さえられるのは確かだと思います。
「ガンの告知」働く男にとってこの恐怖は死ぬまで抱え込まねばなりません。そして、潰瘍のメカニズムとガンの関係をも念頭に置きながら、ストレスとは何かを自分でしっかりと把握して置かねばならない。そしてどうしたら回避できるかを自問自答しながら生きねば長生きはできません。
日記の心のあり方でも書きましたが、仏法には「色心不二」という教えがあります。色は肉体、心は文字通り精神のことを指し、肉体と精神は本来「不二」、一つであり、それが生命の真実の姿であると説いています。分かりやすくいうと肉体が欲するもの、心が欲するものを一つにしていく、事が大切だということです。人が生まれ落ちた時、人は「色心不二」だったのです。つまりその頃の自分に、教養を携えて我(欲)を捨て戻りなさいと云っているのだと解釈しています。(ちなみに私は無神論者ですので)
先日「ママの残したラブソング」という映画を見ました。なんだかとても考えさせられるいい映画でしたが、その中でこんな詩人の言葉が引用されていました。
『人は冒険を止めてはならぬ。
長い冒険の果てに、出発点へたどり着くのだから
そして、初めて居場所を知るのだ。』(詩人:トマス・スターンズ・エリオット)
この詩の「出発点」こそ、「色心不二」と同じ境地ではないかと感じました。
暑い暑い夏の夜、チーズやラスクをかじりながら、冷やしたビールやワインを片手に自分の「色心不二」とは? 考えてみてはいかがですか?
優しい性格が会社の命令や指示を受け入れ、末端に伝えるとき現場との温度差に心を痛める。上からの指示や命令は、現場にとって容易だったり、肉体的ストレスや精神的ストレスを軽減した試しはない。
この現象とは少し異なるが、私の過去の経験談。ファミレス店のウェートレスとして主婦の仲間や学生達のリーダー格として頑張っている女性(主婦)がいた。そこで今後も頑張って社員並の仕事をして欲しいと思い、新しくできた契約社員制度を利用して抜擢した。
人件費の削減の為、始まった制度だったが当時はその事に気がつかなかった。その後店の従業員関係がギクシャクしだし、その契約社員は辞めたいと言い出した。今までうまくいっていた関係があんなにも容易に崩れていくことが印象的だった。(その後の対処も語っておきましょう。その契約社員の優しい性格が災いし、反発(嫉妬?)していた主婦が騒ぎ出した。私が乗り込んで説得し他店に異動させた。こういった時は契約社員を必ず守り、反発する人を退職か異動させるしかない。これを毅然とした態度で処理すると、その契約社員が水を得たように頑張りだしてくれた。地区マネジャーだった私は、若い店長からの契約社員申請について、以後十分現場の従業員関係を調査する必要があると感じた。)
ストレスを溜め込んだハツカネズミの潰瘍と、ガンを発生させる人のメカニズムとの因果関係を説明するには私には出来かねますが、深い関係があるのは分かります。ストレスが無くなれば潰瘍やガンの発生が押さえられるのは確かだと思います。
「ガンの告知」働く男にとってこの恐怖は死ぬまで抱え込まねばなりません。そして、潰瘍のメカニズムとガンの関係をも念頭に置きながら、ストレスとは何かを自分でしっかりと把握して置かねばならない。そしてどうしたら回避できるかを自問自答しながら生きねば長生きはできません。
日記の心のあり方でも書きましたが、仏法には「色心不二」という教えがあります。色は肉体、心は文字通り精神のことを指し、肉体と精神は本来「不二」、一つであり、それが生命の真実の姿であると説いています。分かりやすくいうと肉体が欲するもの、心が欲するものを一つにしていく、事が大切だということです。人が生まれ落ちた時、人は「色心不二」だったのです。つまりその頃の自分に、教養を携えて我(欲)を捨て戻りなさいと云っているのだと解釈しています。(ちなみに私は無神論者ですので)
先日「ママの残したラブソング」という映画を見ました。なんだかとても考えさせられるいい映画でしたが、その中でこんな詩人の言葉が引用されていました。
『人は冒険を止めてはならぬ。
長い冒険の果てに、出発点へたどり着くのだから
そして、初めて居場所を知るのだ。』(詩人:トマス・スターンズ・エリオット)
この詩の「出発点」こそ、「色心不二」と同じ境地ではないかと感じました。
暑い暑い夏の夜、チーズやラスクをかじりながら、冷やしたビールやワインを片手に自分の「色心不二」とは? 考えてみてはいかがですか?