GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「私の今の日常」(晴耕雨読的生活)

2012年05月27日 | Weblog

「育てる」「作る」という行為は、以前からとても人間的行為だと思っていた。学生時代は、コンビニや病院(内科小児科・歯医者、眼科等)、食品スーパーがすぐ近くにある「利便性の高い都会のマンションに住みたい」と思っていた。今まさにそんなマンションに23年前から住んでいる。しかし、野菜や好きな果物を育て、それらを朝の散歩途中で、取って来て朝食の膳に乗せる。そんな自給自足の生活、晴耕雨読的生活に心のどこかで惹かれているのも事実だ。都会のマンションと自給自足の生活、この2つの想いには大きな矛盾があると思っていた。

 今までの私の仕事は、人に料理を作り、サービスと心地よい時間と空間を提供して喜んで貰って糧を得ることだった。他の仕事以上に多くの人達と接することになるため、人間性を磨くには最も適してる職業ではないか、苦しい時、そんなスタンスで乗り越えようと努力した。大病にはならなかったが、37歳の時、阪神電鉄に中途入社し、翌年、初めての健康診断のレントゲン検査で引っかかった。初めて胃カメラを飲まされた時は、肉体的にも精神的にもかなり参ってしまった。デニーズ時代も検査をしていたはずだが、何故見つからなかったのだろうか。検査の結果、胃潰瘍や十二指腸潰瘍跡と判明した。デニースの頃のストレスが原因に間違いない。「人間性を高める仕事」と本気で思いこんではいたが、若い頃はそんなスタンスも構築できておらず、苦しい思いから、人里離れた田舎で自己完結できる、自給自足の晴耕雨読的生活に憧れたに違いないと自己分析していた。

  

 3月末に35年のサラリーマン生活に終止符を打ち、今までの人生スタンスを見つめ直し、もう一度、仕事をするならどんな仕事がいいのか、何をやりたいのか、今、じっくり考えている。阿倍野ハローワークの就職支援カウンセラーの方と面談しながらも、40を切るための大好きなゴルフ練習やジムに通って汗を流して筋力アップに心がけようとしている。

 自宅にいるときは、朝からブログを更新したり、好きな映画を見、録画したwowowやBSのスポーツ番組を見ている。先日頸椎リハビリのクリニックでふと読み出したコミックの内容に大きな感銘を受け、どうしても所有したくなった。息子に就職プレゼントの一つに加えたく思ったのだ。『MONSTAR』浦沢直樹作、全巻BookOffで購入(1,890円)した。すでに電子辞書をプレゼント済みだが、彼が家を出るときに持たせたいのだ。

 8月のコンサート出演が決まり、詞を書き、曲を作り・アレンジ・コーラスを考えるというかつてないストレスのない自分と向き合う新しい時間が生まれた。そんな中で最も大切にしているのが<直感>だ。食べたいときに食べ、欲しいものを買う生活に、理解力にあるはずの連れ添いも戸惑い、最初はいらだちを見せていたが、最近は開き直ったような対応を見せ始めてくれている。

 欲しい物といっても、衣類のようなものではなく、例えば、コンサートに出演することが決まったので、ギタースタンドや譜面台、コンビニで売っているゼリーと白桃のデザートやガリガリ君のようなものだ。毎日、ほとんど一食しか食べず、あっとう間に5kg、体重が減少した。決してジム通いが要因ではない。4月以降5回ほどしか、行く暇がないのだ。それだけジムの優先順位は低いということだ。あれだけ好きだったナッツ類も一切口にしなくなった。炭酸類もほとんど飲まなくなった。胃が欲っしない、だから食べたい、飲みたいと思わない。「自分の胃に尋ねる」こんなスタンスで毎日を送っている。
 

                                           

 新曲のオリジナルを一人でギターでつま弾きながら歌い、それをデジカメでムービー録画し、それを何度も聞きながらアレンジを考え、ある程度決まると、PCにその録画を落とし、卓上の小型スピーカーから流す。その音源に向かって考えたハモを歌ったり、リードギターを付けたりして、再びデジカメでムービー録画する。これがグッドラック式二重録音だ。これが非常に楽しい時間となっている。飽きるとゴルフの打ちっ放しに出かけ、一汗かいて帰ってくるという、まさしく至高の時を過ごしている。

 作った歌をモノにするには、必ず歌い込みが必要だ。何ヶ月も、何年も歌い続けてやっと人様の前で聞かせられる曲となる。大学時代このことをしっかし学んだ。YouTubeにアップした恭央とのDUO初作品の「春を待ち」は、3年間歌い続けたが、今聞いてもがっかりする。この行為が、作物の苗を植え、また種を蒔いてしっかりと水や肥料を与え、しかも、虫がつかないように注意し続ける行為と似ているような気がしてならないのだ。

 何だか私の取り留めない日常を語ってきたが、ここで最初の矛盾の話とつながる。世界中何処をさがしても同じものが存在しないものを作り出す作業(自家菜園の野菜、詩や俳句、写真、曲作りのようなオリジナル作品)は、本当に心の滋養となることを伝えたかった。都会のマンションで、心の奥底願っていた晴耕雨読的生活を実は今、ようやく手に入れたのではないか。だから決して矛盾していないのではないか。

 私の<直感>がそれは正しいよと言ってくれている。本当にそう思うからこそ、もう人里離れた田舎に移住することなど、まったく考えることはなくなった。

 簡単な朝食でも、詩や俳句や曲でもいいのだ。自家菜園の野菜で、手料理して食べている、今東京に済む知人のMさんの手料理写真を何度も見てきた。自分は本当は何が好きなのか、どういう生活を送りたいのかをしっかり見つめること。そしてその本質に近づこうとする強い意志を持つこと。
 たった一度のオリジナル人生を、私は様々なオリジナル作品をちりばめて逝きたいと今、強く感じている。何かを作り出せば、心を耕すことにつながるように思えてならない。私はまるで箍が外れたような心理状態で、やりたいことを何でも片っ端から夢中で進めている。退職してからの時間が楽しくてたまらない。退屈な時などただの一度もない。

 8月のコンサートでDOUグループ名<ボタンダウン>として発表する「天からの贈り物」という曲は、こんな詞のをサビに用いている。15年前、息子が高校入学時に、彼に捧げた曲だ。

   「やりたいことをやるのではなく やるべきことをやり抜こう 
    涙はそのさびしさをいやしてくれる天からの贈り物」

  私はやるべきことを35年間やり抜いてきたつもりだ。やり残したことなど皆無だ。だからこそ、これからは、やりたいこと以外は、もう何もやりたくない。<直感>の赴くままに残された時を、夢中で生きてゆきたいと思っている。

 

                                            



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