真っ白な原稿の上で、俺は爪を切った。

漫画家 施川ユウキのブログ

「おおかみこどもの雨と雪」の母親は英雄ではなくヴィラン(怪人)です。

2012年12月28日 23時19分35秒 | Weblog
わたし、周防がおなかにきたとき、ひどい状態でした。なにを教えたらいいか、わからない。わたしが育てた人間なんて、社会からどれだけ疎外されるだろう。
言葉も通じない。わたしが神さまについて、思った通りを子供に語り、子供がその通りをだれかに語る。それだけで、もうその子は気違いあつかいされるんじゃないかって。

「氷の海のガレオン」 木地 雅映子 (著)


「おおかみこどもの雨と雪」お話の語られ方には目的がある。

前回、「花が泣き言や恨み言を言ったり、くじけたりしないのは、彼女がスーパーマザーだからではなく、単にそれを子供に見せなかっただけではないか?」とか、「実際は、笑顔という強固な仮面の下に弱さや苦悩を隠した、ブルース・ウェインのような一人の人間が居るはずなのでは。」とか、都合のいい事を色々書きましたが、今回は完全に逆の事を言います。

花は、英雄ではなく、むしろヴィラン(怪人)です。

…という見え方も出来るという話です。

花は、弱さを子供に見せなかったのではなく、強い思想に自分を預けていただけだとしたら。物語における悪役の多くは、冷酷な法の執行者であったり、狂信者であったり、極端な思想に取り込まれています。

『おおかみこどもの雨と雪』におけるヒロインの怖さ at 愛書婦人会

花は、死んだ夫をゴミのように処理する光景を見て、人間社会に絶望し、他人を一切信じないと決意する。そして極端な思想に傾倒していく…。王道のヴィラン誕生譚です。

花は最後まで自分が正しいかどうかを疑えません。他人に相談して審判を仰ぐことが出来ないからです。

雨が学校へ行かなくなった時、花は普通にそれを許容します。雨が学校に馴染めないのは、おおかみこどもだからではなく、雪と違って単に内気だからです。母親として、誰かひとりでも友達を作らせるよう、努力すべきだったのではないでしょうか。でなければ、「自然」か「人間社会」か、生きる世界を選ばせる時、全然フェアじゃないからです。
花は最初から、誰にも真実を打ち明けなかった時点で、人間社会で生きるという選択に消極的だったように思えます。雨と雪がその事で喧嘩して大暴れした時、花が雨を叱らないのも、とてもアンフェアに見えました。

クライマックス、花が雨を探してる一方で、雪は草平に秘密を告白し、信頼出来る他者を獲得します。母親の知らない所で、母親の信条を否定する形で彼女を乗り越えるのです。そしてラスト、雨も雪もいなくなり、花が一人で山で暮らしているシーンで映画は終わります。
花は誰にも真実を明かしてないので、自分が正しかったのか、審判を受けられません。この物語は、雪によって英雄譚として語られます。それは花というヴィランを乗り越えた雪が、世間に代わって母親を赦す物語のようにも見えます。

…という見え方があるという話です。前回書いたことが間違っていたという訳ではもちろんないです。解釈の幅が大きいという意味で、非常に優れた作品である、という話でした。
おわり。
















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