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漫画家 施川ユウキのブログ

「おおかみこどもの雨と雪」お話の語られ方には目的がある。

2012年08月10日 10時51分20秒 | Weblog

「だいじなのは、お話の裏にこめられた意味なんだよ、ドローヴ少年。 お話ってのはある目的があって語られるもので、その語られかたにもやっぱり目的がある。お話しがほんとかそうでないかなんてのは、どうでもいいことなんだ。」
「ハローサマー・グッドバイ」 マイクル・コーニイ (著)



・「おおかみこどもの雨と雪」を観て、まず思った事。

これは、語り部である雪が母の半生について、一大叙事詩のように語る英雄譚だ。
ちなみに、「CUT」のインタビューで、その件を振られた細田監督は、「子供がヒーローに憧れるのと同じ目線で、子供を育てる親たちを見たらどうなるのかなっていう」と答えている。



・雪は信頼できない語り手なのか?

全体を通して、雪のエピソードに対して、雨のエピソードの情報量が少なすぎる。
雨は檻の中の狼と、どういうコミュニケーションを取ったのか(あるいは取らなかったのか)、狐とどう出会って、どういう付き合いがあったのか。
狐がどんなキャラクターなのかについてもさっぱり見えない。唯一ある、二匹で野山を駆け回るシーンは、完全にイメージ映像のよう。(おそらく、雨に山へ誘われた時の話等を元に、雪が想像している)母については、常に笑顔を見せていて、内面がつかみ切れない。
描かれない部分の諸々は、「語り部が雪だから」で説明が付けられるし、「この物語は、一つの立場によって語られるアンフェアな物語だ」というメッセージにもなっている。
花が雪に、雪が我々(観客)に、「何を語らなかったのか」が重要になってくる。



・花は、スーパーマザーなのか?

映画の中で、花が泣き言や恨み言を言ったり、くじけたりしないのは、彼女がスーパーマザーだからではなく、単にそれを子供に見せなかっただけではないか?雪は母の弱さを知らないし、それを我々(観客)に語れない。最初の方にある、「父の葬式で笑っていた」という極端なエピソードにギョッとしたけど、「実の父の葬式で笑顔を作れる人間が、子供にやすやすと弱さを見せる訳がない」というキャラクター付けの説得力につながっている。
本当の意味で信頼できない語り手は、雪よりも、雪に生い立ちを語る花なのでは?



・この映画で語られてるヒーローとは。

雪というフィルターを通すことによって、スーパーマンのような、ファンタジー溢れる英雄伝説に仕上がっている。
しかし実際は、笑顔という強固な仮面の下に弱さや苦悩を隠した、ブルース・ウェインのような一人の人間が居るはずなのでは。
この映画で語られる、英雄伝説に対して「リアリティが…」とか言うのは、あまり意味が無い。英雄伝説が誕生するプロセスに対して、リアリティがあるかってことの方が重要。「英雄は語る者によって作られる」という現実を描けているのか、という。


続き

「おおかみこどもの雨と雪」の母親は英雄ではなくヴィラン(怪人)です。






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