真っ白な原稿の上で、俺は爪を切った。

漫画家 施川ユウキのブログ

「崖の上のポニョ」は斬新過ぎる。

2008年07月30日 05時43分50秒 | Weblog
「ポニョ」のレビューは来月発売のライオリの連載でも書いてるので、ここで取り上げるべきじゃないかもしれないけど、書ききれなかった部分で若干強引とも言える解釈を簡単に記しておきます。(別の事も書いてるのでライオリの方も読んで下さい)



宗介は多分、恋をしていない。最後まで魚の姿に対しての「好き」の延長でしかなく、恋愛対象として意識してるようには見えない。ポニョの方からキスをするラストシーンも、そういう意図を持って演出されているように感じた。宗介からしたら、恋ではなく責任によって結ばれる物語である。

宗介は冒険をしていない。させてもらえてない。後半の船旅は、本来ならハラハラドキドキの冒険を伴うのがセオリーなのだが、静かで退屈な時間がひたすら過ぎていくだけだ。「危機的状況を共有する事で恋に発展する」という可能性を潰している。共有すべきは冒険ではなく、淡々と続く退屈な時間、つまり日常そのものであるべき、という意図を忍び込ませているのかもしれない。そしてその背景にあるのは、宗介が責任を問われている、この先の二人の生活である。

宗介は恋も冒険もさせてもらえない。それ故、葛藤も挫折も成長も無い。そもそもそれが必要無い位、彼は大人びている。じゃあ宗介は、大人びた主人公としてどういう役割を与えられているのか?それはたった一つ、「責任を取る」という事だ。ポニョの暴走の責任を取って、彼女の全てを引き受ける。その為だけに存在している主人公と言ってもいい位だ。

昔ポケモンが流行った時、「ついに自ら手を汚さないで指示だけ出す『管理職型』の主人公が出たか」と感慨深く思ったのだが、責任を取る為だけに存在する宗介は、管理職どころが役員クラスである。

斬新過ぎる。

翻って考えると、登場する大人たちの多くは無責任で、自分勝手だ。
童話的世界である事が免罪符になっていて気付きにくい。
善意の塊のような顔をしながら、宗介に「物分かりのよさ」を押し付けている。
同情を禁じえない。


異様だけど、異様さの正体を考えて色々言いたくなる映画だ。



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