真っ白な原稿の上で、俺は爪を切った。

漫画家 施川ユウキのブログ

今日の出来事

2006年10月20日 17時01分28秒 | Weblog
12月に「サナギさん」の3巻が出る予定なんですけど、
空きページに載せるコラムの順番を指定してくれと電話が来て、
台割りを探すも見つからず、催促の電話に「スミマセン、台割りが無くて…」
と言い訳して、FAXしてもらい、すると今度は刷り出しが幾つか見つからず、
掃除するしかないと決意するものの、ゴミ袋が見つからず、買出しに出かけ、
昨日の夜から何も食べてない事に気付いて弁当を買って帰るも、
ゴミ袋を買うのを忘れ、再び買いに出かけ、帰宅後催促の電話に
「コレコレこういう訳で」と言い訳し、呆れられ、掃除をして、
「ああ、晩までにヤンチャンのネームを上げないといけないのに…」と
弁当を食べてる内に、もう17時だと?!

まあ、ブログ更新してる場合じゃないんですが。


迂闊

2006年10月19日 04時34分07秒 | Weblog
「魔界大冒険」の話を人としていた時、
「『もしもボックス』は確かにすごい未来技術だけど、
携帯電話ではなく電話ボックスという古い形式を引きずっていて納得がいかない」
みたいな意見を自信満々で言ったんだが、
デザインのモチーフになっているだけで(「もしもし」と「もしも」をかけた?)、
電話とは何の関係も無い道具だなと、後で気付いた。


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魔界大冒険とストレスフルな人間関係

2006年10月18日 11時20分22秒 | Weblog
「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~」

子供の頃、「魔界大冒険」のメジューサがトラウマだった。
魔法世界になる前の世界へタイムマシンで逃げたのび太たちの後を追って、
「のがしはせぬぞ」と時空の狭間を泳いでくる。
魔法世界以前の世界はメジューサが存在してはいけない世界だ。
越えてはいけないボーダーを越えて追ってくる様が恐ろしかった。
前にも書いた、「マリオ3のゴールゾーンまで追いかけてくる太陽」もそうだけど、
「他者に執着される」という、ストレスフルな人間関係の恐怖がそこにはある。
尚且つ「話し合いの通じない他者」だ。
ボーダーを無視して、躊躇無くこちらのテリトリーに踏み込んでくる空気の読まなさ、
その行動によって主張される意志の確かさに、
「本気の相手に暗黙のルールなど通用しない」という事をひたすら思い知らされる。
職場の不倫相手が家庭に乗り込んでくるみたいな話だ。いや、全然違うか。

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孤独死

2006年10月13日 01時53分58秒 | Weblog
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2563888/detail
「誰にも干渉されず、独りで暮らしたい高齢者は、独りで死ぬ覚悟ができていますよ」

自分の未来を見るようだけど、病室で周りに見守られながら死ぬより、
自室でひっそり自然死する方が死に方としては理想的に思える。
周囲の立場や想いを無視した、利己的で捻くれまくった考えを
述べさせてもらうとするならば、「死」という極めて動物的な生理現象を、
様々な感情や考察を引き起こさせる観察イベントとして周囲に提供する事には
いささかの抵抗を感じるし、たった一つの自分の死は自分だけの物であって欲しい。

ソフトな言い方をすると、想像だが恐らく「死」は照れる。そして気まずい。
病床に伏せている自分の元に家族が集まってくる。
誰もが空気を読んで「もうじき死ぬよ」とは言ってこない。気まずい。
看取りに来るのに「頑張って」とか言うのだろうか。ああ、気まずい。
「あ、死ぬ!死にそう!」いまわの際、注がれる幾つもの視線。
照れる。コレは照れる。主役じゃないか。勘弁してください。
病院での死は、「あるある化」した儀式の主役を強制的に演じさせられる。
孤独死は、その不自然さから自由になれる気がするのだ。


テレビっ子の世代

2006年10月12日 16時10分30秒 | Weblog
ちょっと古い記事ですけど。
ヒデ世代の憂鬱と焦燥 「自分探し」より「職探し」

1999年から数年間に社会に出た世代は、
就職不況で正社員になる機会が失われ、結婚率も低下。
今後、少子化を加速させる懸念が抱かれている世代…だそうだ。
中田ヒデと同じ1977年生まれの僕は、「失われた世代」らしい。

という訳で自分の世代の話。
不確かな将来については何とも言えないが、
自分の世代が過ごした少年時代についてのみ言うとするなら、
娯楽に満ち溢れた恵まれた日々だったと勝手に評価している。
ファミコンやらミニ四駆やらビックリマンやら
ジャンプ黄金期やらJ-POP黄金期やら
深夜ラジオ(LF時代の伊集院、電気のANN等)やら
巨大迷路(何だったんだアレ)やら
ちょっと思いついただけで色々あるんだけど、
個人的に特に思い入れの強いのが
テレビのバラエティ番組だ。

自分の世代の多くは、多感な時期に
バラエティの転換点を二度体感している。
「8時だョ!全員集合」から
裏番組の「オレたちひょうきん族」にチャンネルを変えた瞬間と、
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」から
裏番組の「ダウンタウンのごっつええ感じ」にチャンネルを変えた瞬間だ。
第一世代から第二世代へ、第二世代から第三世代へと、
お笑いの主流は十年強の間に二度、明確な世代交代を見せている。
それを当たり前のものとして眺めていた僕は、
数年したら新しい先鋭的な笑いが生まれ、同じように
世代交代を繰り返していくのだろうと漠然と考えていた。
しかし、ダウンタウン以降お笑いの勢力図は
ほとんど硬直化しているように見える。
演者が企画に振り回されるカリスマ不在のバラエティとして
「めちゃイケ」が登場し、以後受け身の芸人ばかりが重宝され、
以前のような覇権をめぐるパワーゲームは見られなくなってしまった。
テレビは、時代を背景にするものであるし、恐らく
先鋭的で攻撃的な笑いを時代は求めていないのだろう。
僕自身も、ここ数年は「内P」や「検索ちゃん」のような
ぬるま湯的バラエティが一番面白いと感じている。

こういった話は、
自分の世代の目線で見た、史観のひとつに過ぎないのであって、
別の世代から見たら全然違うのかもしれないとも考えたりする。
「はねトビ」は「めちゃイケ」を超えてるのかもしれないし、
BIG3の覇権は一度も揺らいでいないのかもしれない。
「ハルヒはエヴァを超えた」みたいな話で史観は様々だ。

最近(と言っても数ヶ月前だが)、
木曜深夜に聴くラジオをナイナイのANNから裏のシカマンに変えた。
今更バラエティ黄金期について思い返すのは、
小さな世代交代を再び体感したからでもある。
(飽くまで個人的な話で、聴取率ではナイナイが圧倒的です)



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