教育の広場、第259号、提案5・元気で楽しい浜松を
康友さんの記事の中の最後の方に「元気な浜松」という句があり
ます。先日、当選した北橋北九州市長も「元気な北九州市」と言っ
ていましたし、同じく当選した愛知県知事の神田氏は「元気で活力
ある愛知県」と言っていました。
この句は当たり前になっているようですが、私はこれに対してあ
えて、「元気で楽しい浜松を」という言葉を我々康友派の標語とし
てを提案したいと思います。
では、「元気で楽しい浜松」と「元気な浜松」とではどう違うで
しょうか。
まず第1に、「元気な街」という言葉を「経済力のある街」とい
う意味に取って考えます。すると、元気な経済と楽しい生活のどち
らが本当の目的かという問題が出てきます。やはり楽しい生活の方
が目的だと思います。経済は生活のための手段だと思います。
これを間違えて、経済を自己目的にしている人もいますが、それ
は我々の目指すものではないと思います。
第2に、「元気な街」という言葉の中には「楽しい街」という意
味も含まれているという反論もあると思います。しかし、それは部
分的に言えることで、生活の楽しさと経済的な力は、関係はあるが
必ずしも正比例していないと思います。
これは個人の場合で考えると簡単に分かると思います。
金持ちだがつまらない人は沢山いると思います。たしかに借金で
首が回らない状態では楽しい生活はできないでしょうから、最低で
も経済的に安定している必要はあるでしょう。ですから、経済は前
提ではあると思います。
クルマでも、性能のいいクルマと楽しいクルマとは必ずしも一致
しないと思います。故障ばかりしているクルマは楽しくないですが
、「故障さえしなければ楽しい」とも言えないと思います。
国や県や市にとっての財政の健全性はあらゆる施策の前提ですか
ら、その重要性は個人やクルマの場合とは比較にならないでしょう
が、それでもやはり経済力がありさえすればよいとは言えないと思
います。
又、楽しい施策で楽しい街にすることで経済が活性化するという
面もあると思います。
最後に、北脇市政は「つまらない市政」で「つまらない浜松」を
作ってくれたと思います。それに対する対比を鮮明に出す点でも「
元気で楽しい浜松」と言う方が適当ではないかと考えます。
活発な議論が起きることを願っています。
(これも或るブログへのコメントです)
康友さんの記事の中の最後の方に「元気な浜松」という句があり
ます。先日、当選した北橋北九州市長も「元気な北九州市」と言っ
ていましたし、同じく当選した愛知県知事の神田氏は「元気で活力
ある愛知県」と言っていました。
この句は当たり前になっているようですが、私はこれに対してあ
えて、「元気で楽しい浜松を」という言葉を我々康友派の標語とし
てを提案したいと思います。
では、「元気で楽しい浜松」と「元気な浜松」とではどう違うで
しょうか。
まず第1に、「元気な街」という言葉を「経済力のある街」とい
う意味に取って考えます。すると、元気な経済と楽しい生活のどち
らが本当の目的かという問題が出てきます。やはり楽しい生活の方
が目的だと思います。経済は生活のための手段だと思います。
これを間違えて、経済を自己目的にしている人もいますが、それ
は我々の目指すものではないと思います。
第2に、「元気な街」という言葉の中には「楽しい街」という意
味も含まれているという反論もあると思います。しかし、それは部
分的に言えることで、生活の楽しさと経済的な力は、関係はあるが
必ずしも正比例していないと思います。
これは個人の場合で考えると簡単に分かると思います。
金持ちだがつまらない人は沢山いると思います。たしかに借金で
首が回らない状態では楽しい生活はできないでしょうから、最低で
も経済的に安定している必要はあるでしょう。ですから、経済は前
提ではあると思います。
クルマでも、性能のいいクルマと楽しいクルマとは必ずしも一致
しないと思います。故障ばかりしているクルマは楽しくないですが
、「故障さえしなければ楽しい」とも言えないと思います。
国や県や市にとっての財政の健全性はあらゆる施策の前提ですか
ら、その重要性は個人やクルマの場合とは比較にならないでしょう
が、それでもやはり経済力がありさえすればよいとは言えないと思
います。
又、楽しい施策で楽しい街にすることで経済が活性化するという
面もあると思います。
最後に、北脇市政は「つまらない市政」で「つまらない浜松」を
作ってくれたと思います。それに対する対比を鮮明に出す点でも「
元気で楽しい浜松」と言う方が適当ではないかと考えます。
活発な議論が起きることを願っています。
(これも或るブログへのコメントです)