ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

ベスト・ティーチャー賞について

2006年01月22日 | サ行
 01、ベスト・ティーチャー賞について

 (2002年)01月05日付けの朝日新聞は、国立大学工学部で「ベスト・ティーチャー賞」設立の動きが目立つとして、次のように報じています。

 北見工業大学は近く、学生による授業アンケートで評価の高い教員に「教育優秀者賞」を贈る。各学科・講座から1人ずつ計7人で、それぞれに 100万円を授与する。

 東京農工大学工学部では1999年度からスタートした。学生アンケートなどで候補約5人を選び、教員十数人による面接で最優秀講義(研究費など約 100万円)1人を決める。最優秀者は1年間、新任教員のコーチ役をつとめる。

 福井大学の工学部は2000年度から始め、学生の投票で8学科各1人の優秀教員を選び、その中から最優秀者を決定する。特典は特別昇給と30万円の旅費。

 千葉大学は全学対象の「ベスト・ティーチャー賞」を新設し、山口大学工学部などでも同賞が検討されている。

 そして、結論として、「講義に力を入れても評価されない」と言われた大学を変えると期待されている、と結んでいます。

 私はこの事自体は大変結構な事だと思います。遅すぎたくらいだと思います。大学(学校)は教育というサービスを提供する1つの店か会社にすぎません。自社の提供するサービスについて客の意見を聞いて改善するのは当然です。こんな当然の事が今までなされなかった事の方が驚くべきことです。

 しかし、このまま手放しで賛成できるものでもないと思います。

 まず第1に、千葉大学を除くと他は工学部だけのようですが、他の学部ではなぜしないのでしょうか。全学で取り入れるべきだと思います。

 第2に、非常勤講師の問題はどうなるのでしょうか。大学では非常勤講師が多くの部分をになっています。学生から見れば、専任教員だろうが非常勤講師だろうが同じ「先生」です。非常勤講師でも専任教員以上に好い授業をしている人もいれば、お粗末授業をしている人もいます。

 第3の、そして一番大きな問題はワースト・ティーチャーの問題です。ここに報じられている事は「優秀者を表彰する」ということですが、ワースト・ティーチャーを改善ないし追放するという事はないのでしょうか。こちらの方が本当は先なのではないでしょうか。つまらない授業で学生の貴重な時間をむだにしていることを大学は犯罪と考えないのでしょうか。

 ベスト・ティーチャーを表彰してもワースト・ティーチャーは痛くもかゆくもないと思います。そして、今まで通りのお粗末授業を続けるだろうと思います。又、アルバイトに狂奔している教師は、多分、 100万円くらいの褒美なら、手抜き授業をして他大学でアルバイトをした方が毎年確実に収入がある、と考えるだろうと思います。大学はこれをどうしてくれるのでしょうか。

 以上のように考えると、この「ベスト・ティーチャー賞」は大学の授業をよくする確実な方法とはいえないと思います。むしろ全体としての悪いサービスをそのままにしておくことを隠すためのイチヂクの葉になる可能性もあると思います。

 では、大学の授業をよくする確実な方法は何でしょうか。私は次の3つを提案します。

1、学長以下の全教員(非常勤講師、集中講義の講師を含む)の研究と授業とアルバイトの徹底した情報公開。

2、各教員に対する学生や他の人々の意見や質問に対してインターネット上で答えることを義務づけること。

3、学外者によるオンブズを制度化し、オンブズによる評価を教員の待遇に反映させること。

 私はこの3点を提案します。

(メルマガ「教育の広場」2002年01月18日発行)

 02、投書

 U・T氏から2通の投書をいただきました。第1の投書をここに掲載します。

 近頃のマガジンには読者の投稿が載っていません。これは投稿が無いのか、多過ぎて載せられないのか、意図的に載せないのか、どのような状況なのでしょうか。少し気になります。

 それと、牧野さんは非常勤講師の授業についても、教員と同様の評価を当てるべきと考えておられるようですが、私もそれは当然と思います。ですが、現実は全く違います。大学に限らず、ほとんどの教員の頭の中は、正教員だけが教師であると思っているでしょう。彼らは区別しなくてはいられない連中のようですね。

 それと、いいかげんな教師の評価を下げることを提案されていますが、これは非常に重要なポイントであると思います。この発想が無いため、日本の社会はいつまでたっても改善されないのです。分かりきっているはずのこの事が、実行される事が、今の社会には最も重要であると私は考えます。

 03、牧野からのお返事

 最近、投書が載らないのはただ投書がないからです。ではどうして投書がなくなってしまったのでしょうか。それはいろいろと考えていますが、一番大きな原因は、「自分の考えを自分にはっきりさせる」ために話し合うということを家庭でも学校でも練習しておらず、そういう事に慣れていないからではないかと思います。

 最初の頃、投書を下さった方は、どこか、「牧野の間違いを論破しよう」という感じがあったと思います。そこで、それは本メルマガの目的ではないとして、目的をキャッチコピーとして掲げました。それ以降、投書が少なくなったように感じます。

 民主主義の成熟を待ちたいと思います。

 04、投書(愚考、K・S)

牧野先生

 以前(といっても15年ほど前に)東京のご自宅に、小論理学を求めに伺ったことがございます。そこで先生とほんの立ち話をいたしましたことを昨日のように思い出されます。

 先生がメールマガジンをお出しになっていると知り、第55号ぐらいから拝読しております。先生は、教育の復興をお考えになっていらっしゃるようなので、参考にもならない愚考を開陳いたしたいと思い、メールをさしあげることにいたしました。

 さて確かに現在の大学教育において、教員の「研究第1、教育2の次」がもたらした、禍根は大きいものがあると思います。何よりも大学教員の資質を高めることが、大学教育の復興につながると思います。

 第1に、大学教員は、学生の授業料で生活させてもらっていることを十分に再認識すべきではないでしょうか。12世紀のイタリアの草創期の大学では、学生の方が、教員を雇っている意識が強かったので、満足がいく教育を受けられなかった場合に、その教員を解雇
したそうです。大学教員は、授業料+時間に対する対価関係以上の教育を実践することを第一に考えるべきであろうと思います。

 第2に、授業に対する学生アンケートについては、やり方が非常に難しいように思われます。何よりも、学生が評価するに値する、判断能力を持っているか、が問題です。私は大学受験予備校で、アンケートによって解雇された経験がございます。そこでは古代ローマよろしく、パンと剣闘士を求める生徒も多く、授業はパフォーマンス、授業外で生徒に饗応(といっても昼・夕食をご馳走する程度であるが)し、同僚教員の人格を含めて悪口を言うと、アンケートの満足度があがりました。

 わたしはこのようなことをしなかったので、解雇されましたが。また大学では、知識を体系的に教授するよりも、新聞記事等を解説するような、刹那的講義が一般に受けがいいようです。意外だったのは、あるとき大学で予備校卒業生に会ったとき、「今考えると先
生のお陰です」(お世辞なかばでしょうが)というのに、アンケートでは「満足」に印をつけず、「普通」にしたということです。いろいろと聞いてみると、確かに予備校時代、面白い講師がいて、その時「満足した」が、合格してから考えると、受験とは無関係のオアシスの時間であって、入試には役立たなかった、ということを彼は言っていました。

 学生に阿る教員の方が、厳しくても学生の将来等を考えて教育する教員よりも、低く評価されてはならないと思います。そのためには、学生アンケートも一つの相対的な評価として、第三者(たとえば、法学部だったら、弁護士等、経済学部だったら企業の取締クラス等)による評価も加味すべきでしょう。えてして「親の心子知らず」的な結果になるのではないかと考えます。

 第三に、各種資格予備校の登場は、大学教育の失敗の結果だと思います。潮木守一『京都帝国大学の挑戦』で京大が学術大学をめざしたのに、高等文官試験に合格者を出せなくなって、没落したことが指摘されております。法学部・経済学部等の学部では、卒業後就職する学生が殆どであるのに、学部の講義は、学者養成的であります。その結果、各種予備校が繁盛するにいたっていると思います。もっと学生が求めていることを明確にし、学部又は学科全体で学生の進路についての目標を設定して、教育にあたるべきでしょう。

 先生の御著書は非常に明快で面白いのですが、ご翻訳はもとのヘーゲル先生のせいか、または私の能力不足のせいか、なかなか読み進めません。しかし『現象学』は今年中に読破しようと思っております。

 勝手なことばかり申し上げ、先生の逆鱗に触れたかもしれませんが、U・T氏の投書に触発されて、メールを差し上げました。

 今後の「教育の広場」のさらなるご発展を祈念しております。

 05、牧野からのお返事

 大学の教員が「研究第1、教育第2」だから、教育に熱心でない、という「定説」には賛成できません。「アルバイト第1」が根本問題だと思います。これは本メルマガ第10号に書きました。

 「学生が教員を雇っている」かどうかはともかく、教育はサービス業であり、生徒や保護者はお客さんであるという考えは必要だと思います。

 教員の側がそう考える必要があると共に、生徒や保護者の側もそう自覚して、正当な監視を行い、評価をし、要望や意見を出すべきだと思います。

 学生アンケートの含む問題点については同感です。かつて私の生徒もこう書いていました。

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがありました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の聞けない一方的なものでした。

 昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも
大変そうでした。

 一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、このようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。牧野先生のアンケートのように、対話であることが本当の意味でより良い授業のためになるのだと分かりました。昨年は「アンケートによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的なアンケート」に対する疑問に変わりました。──

 ★(牧野の返事)アンケートの種類にはそのほかにもいろいろな分け方があって、先生が自分で取るものと経営者とか学校とかが取るものと生徒が作成するものとの違い、講師の待遇と直結するか否かの違いもあると思います。生徒の授業態度を注意しにくくなるようなのは、やはりどこかおかしいと思います。


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