ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第55号、駒場寮問題の本質

2006年02月02日 | その他
教育の広場、第55号、駒場寮問題の本質

(2001年09月19日発行)

 東大の駒場寮の撤去問題について、本メルマガは投稿を募集して
いますが、今のところ投稿はありません。09月15日の朝日新聞の「
私の視点」欄に西村秀夫氏が寄稿しています。氏は東大の教養学部
で長い間学生部専任教官を勤めた方です。

 氏の論点を追いながら私見を述べます。

 1、氏の立場は「〔寮は〕青年の人間形成の場、真の教養教育の
施設として貴重な存在」であるとするものです。

 この意見は大学の教養教育全体における寮の位置づけを欠いてい
る点で不十分だと思います。やはり授業がその中心だと思います。
寮も重要ではあると思いますが、絶対的ではないと思います。もし
寮を絶対視するならば、全員を寮に入れなければならないでしょ
う。

 2、氏の考えるその寮生活の内実とは次の通りです。「緑濃き学
園内での寝食を共にする大部屋での共同生活、よき先輩の影響を受
けながらの自由な読書と思索、ありのままの人間としての真実な話
し合い」。

 このように沢山の条件を並べるとどれが核心か分からなくなりま
す。後を読むと、大部屋での共同生活が中心のようです。それは、
多分、先輩・後輩の縦糸と同学年の横糸の人間関係を可能にするか
らだと思います。この後者と大部屋との結びつきは必然的なのか、
これが最大の論点です。

 なお、駒場寮のように大学の構内にあることは絶対の条件ではな
いと思います。「緑の濃い」ということも大切ではありますが、こ
れも絶対の条件ではないと思います。

 3、氏によると、文部科学省はこのような寮が学生運動の有力な
拠点となってきたのを嫌って、学外に移す方針を取った。

 これが本当だとすると、このような次元の低い考えしかできない
行政を持っていることは我々日本人の不幸だと思います。

 4、駒場寮を廃止して代わりに建てたのが三鷹の国際学生寄宿舎
で、「そこには近代的な個室はあるが、雑居的な共同生活の場はな
い」。

 ここから私の先の推定が出てくるのです。

 5、これを氏は「かつてのような自治寮」と表現しています。そ
れはかつて一高の校長が、生徒を信頼して寮の運営を自治に任せた
ことから始まったそうですが、完全な学生自治はありえない以上、
どこまでの自治だったのかを確定する必要があると思います。

 さて、駒場寮問題を考える時、私の頭に浮かぶのは東京の文京区
にある和敬塾です。これは3年ほど前、NHK・TVで放映されま
した(村上春樹の短編『蛍』も事実上ここを舞台にしていますが、
今とはかなり違うし、叙述の観点も違うのであまり参考にならない
と思います)。

 それによると、これは大学横断的で(つまり1つの大学の学生だ
けのための寮ではない)、大学院生も留学生もいます。東西南北4
つの棟があり、それぞれ70~80人くらいの学生が住んでいるようで
す。

 40年以上前に誰か実業家の出資で作られたもので、財団法人にな
っています。運営は肝心な所は大人が仕事として係わっていますが
、相当の自治があるようです。私はこの寮の成功の原因の一つはこ
こにあると思います。学生の自治の行き過ぎは却って拙いと思いま
す。歴史があるので、かなりの「伝統的な行事」があります(挨拶
回り、山手線一周夜行軍、塾祭、寮対抗の体育祭など)。

 さて問題の「共同生活」ですが、ここも最初は大部屋だったそう
ですが、その後、1~2年生は2人部屋で3~4年生は個室という
段階をへて、今では全員が個室となっています。しかし、食事は全
て食堂だし、様々な行事とか、日頃の交流で「共同生活」にはなっ
ていると思います。

 つまり、大部屋に雑居しなくても、共同生活的要素を取り入れる
ことは可能であり、縦と横の人間関係で、話し合い、自由な読書と
思索をすることは可能なのだと思います。私は駒場寮も立て替えは
当然として、目指すべきは和敬塾のようなあり方だったと思いま
す。1棟を女子寮にする手もあったと思います。

 ついでに、縦の関係のことで言っておきたいことは、いつからか
知りませんが、最近は大学のゼミが3年生用と4年生用とか、学年
別になっているらしいということです。ゼミというのは上級生が下
級生に教えるところに(1つの)良さがあるのだという私の考えか
ら言うと、とても残念な事態です。いつごろから、どういう理由で
こうなってしまったのでしょうか。

 高校の部活でも学年別にしている所もあると聞きました。おかし
な事だと思います。日本の学校における先輩・後輩の歪んだ関係は
改める必要があると思います。

 そもそもゼミのあり方も、文学部と法律や経済の学部とでそのシ
ステムに違いのあることは以前から指摘されてきました。私は法律
や経済のゼミのように1人の先生を中心にした閉鎖的なギルド的な
ゼミの方が、文学部のゼミのように開放的で紐帯の緩いものより好
いと思います。

 もう1つ付言しておきたいことがあります。それは地方の大学に
きて分かった事なのですが、地方の公立大学などが都市の中心から
離れた所に出来たり移ったりすると、その周りに学生用の下宿なり
アパートが建ちます。すると、寮ではないにしても、通学時間が短
いので、学生たちが夜まで残って仲間で読書会をしたり勉強会をし
たりするのに好都合だということです。

 首都圏の私立大学にいたころ、通学時間が2時間近くの学生も少
なくありませんでした。それでは学生生活の妨げになるのではない
かと思ったことでした。

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