ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第 232号、こんな女に誰がした

2006年06月26日 | 教育関係
第 232号、こんな女に誰がした

 高校1年生の男の子が自分の家に放火して、母と2人の兄弟(弟
と妹)を殺したそうです。父が医者で、その長男たる子を自分と同
じ大学の医学部に進学させて医者にしようとして、スパルタ的家庭
教育をしたことが背景にあると報じられています。

 この子の場合、そのような事件を起こしたことについて、本人に
どの程度の責任があるのでしょうか。

 一般的に言って、個人の現状について、本人の責任(ないし功績
)は何パーセントでしょうか。先日、大学でも話をしました。

 このように問題を出すと、年配の人なら、リンカーンの言葉だと
か言われている「40歳の人は自分の顔に責任がある」という言葉を
思い出す人も少なくないでしょう。

 ということは、年少の人は自分の顔に(あまり)責任がないとい
うことを意味していると思います。つまり、年齢によって、自分に
対する自分自身の責任の割合が変化するということが考えられます


 小学校1年生の性格や能力について考えると、その子がそうなっ
たのには父母の影響が大きいだろうなと推測するのが普通だと思い
ます。

 しかし、リンカーンの言う通り、40歳にもなったら自分がどうい
う顔をしているか、つまり自分の性格や能力に本人の責任が大きい
と考えられます。

 そこで、元に帰って、個人に影響を与える主たる要素に何がある
かを考えてみましょう。すると、第1に挙げるべきはやはり時代背
景だと思います。「誰々とその時代」という書名は多いですが、そ
の根拠はここにあると思います。

 私自身も自分の人生を振り返ると、6歳までは戦争中でしたが、
昭和21年の4月(つまり終戦の翌年)に小学校に入って以来、一応
ですが、平和な日本に暮らしてきたということは、大前提であると
思います。これを抜きに自分のこれまでの人生は考えられません。


 次に影響のあるのは当然、家族でしょうが、特に親だと思います
。これには素質という面と、生まれてからの家庭教育(広義)の2
面があると思います。

 第3に影響のあるのはもちろん学校であり、先生でしょう。この
際は、直接習った先生の影響だけを考えがちですが、「学校教育は
校長を中心とする教師集団が行うものである」とする現在の私の考
えから言いますと、当然校長の影響も考える必要があると思います


 そして最後に、これらの外からの影響をどう受け止めてどう対処
するかという本人の条件が来ます。弁証法で言う通り、「外的要因
は内部の条件を介して作用する」のです。

 そこで問題は、その時の「内部の条件の比重」でした。つまり、
外的要因と内部の条件との力関係です。その力関係で、年齢と共に
内部の条件の比重が高まるのではないかということです。

 まあ、いつまでもずっと高まりつづけるかは疑問で、高齢者にな
ると体力や気力の衰えと共に、今度はその比重も下がってくるとも
考えられます。

 このように全体を見渡した上で、それぞれの年齢で本人の責任は
何パーセントかということを考えてみたいのです。

 先日、大学で話した考えは、幼稚園卒までは本人の責任はゼロ、
小学生で1%、中学生で3%、高校生で5%くらいだと思う、とい
うものでした。

 私は大学1年生に教えていますから、続いて、大学1年生の今の
君達は、自分の現状に対して10%の責任があると思う、と言いまし
た。更に語を継いで、しかし、4年後か6年後に大学を出る時は、
君達自身の自分への責任は30%くらいになっていると思う、と言い
ました。

 なぜなら、大学生になったということは、基本的に大人になった
ということであり、これまでに比べて大きな自由を手にしたからで
す。

 だから、この大学時代をどう過ごすかが大切なのだというのが結
論でした。

 今年は、大学が「学問の府」と言われる時の学問とは何かについ
て、かなり系統的に話をしようと考えています。その前置きと言う
か、前提として、この話をした次第です。