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戦後左翼史 その22 1964年④ 4.17スト自己批判 神山・中野除名 中共・インドネシア共産党

2016-05-23 20:14:26 | Weblog

今シーズン、コンサの調子が変です。首位をキープするなんて信じられません。このままいくとは思いませんが、期待を持たせます。チームスポーツは個々の身体能力と共に全体としてのメンタルの部分が大きいと思います。僕のようなニ心のある人間には無理でしょうが。心ひとつに頑張ってほしいです。

 

戦後左翼史 その22 1964年④ 4.17スト自己批判 神山・中野除名 中共・インドネシア共産党

以下、★印は中ソ対立関係、◎日共関係である。

1964.7.16道新 社党使節団(成田書記長団長)・ソ連党中央委が共同声明 平和にための戦いに協力 北方領土、新しい接近はかる 平和条約締結へ

★1964.7.16道新夕刊 ソ連 中共に“警告”書簡 世界党大会 準備会議急ぐ ソ連案どおり26か国で 

◎1964.7.19道新夕刊 ソ連党機関紙が書簡発表(4.18付、7.11付) 関係改善を怠る日共

(参考)部分核停条約反対表明以降、日共は中共寄りの姿勢を鮮明にするととともにソ連共産党とは対立関係に、そのため志賀義雄らソ連派を除名する。

◎1964.7.20道新 日共 ソ連へ返書 根拠のない非難

◎(重要)1964.7.20道新 日共 「春闘4.17スト問題をめぐる総括と労働運動の当面の諸問題」(4.19アカハタ)を自己批判 党の指導は、弾圧、挑発を一面的に強調する誤りをおかし戦線統一を阻害した

*(*は僕の疑問)総評、社会党とともに日共が時間をかけてゼネスト体制の準備を進めてきたのに、なにゆえ日共が中止へと方向転換を図ったのだろうか。見えない大きな力でもあったのだろうか。日共は自己批判で、宮本、袴田ら指導部の中枢が中国に行っていて、幹部不在中の出来事であったという言い訳をしている。しかし、それは誰の判断でどこから指示が出たのだろうかという疑問に答えていない。ゼネストが中止になったことで一番安心したのは池田内閣か、日共と蜜月情況だった中国共産党の関与はあったのか。そして、トカゲの尾っぽになったのが、聴濤克己幹部会員(解任)、竹内七郎書記局員.労働組合部長(解任)、土岐強赤旗編集局長(解任)は、ハノイ駐在員に転籍。しかし、その上の高原晋一は無傷。さらに聴濤は翌1965年に急死している。父の処遇を見ていた息子の聴涛弘がその後日共から参議院議員になったというのも僕には理解できない。

1964.7.20道新夕刊 総評定期大会始まる 新運動方針を提案 冒頭から荒れ模様

◎1964.7.21道新社説 日共の自己批判に対する疑問

★1964.7.21道新 フ首相のポーランド訪問 “東欧再編成”からむ 中共除く党大会を協議  

1964.7.21道新 北ベトナムが提案 米軍撤退など和平実現へ三原則

◎1964.7.22道新 日共 ソ連あて3書簡(1963.3.6、12.22、1964.1.10付)公表 部分核停に強く反論

1964.7.24、25道新 ソ連の静かなる宮廷革命 技術家集団が台頭 “政治”に決定的な役割―ウスチノフ、スミルノフ、ルドネフ副首相 計算づくめの政策―マリノフスキー、スースロフ

◎1964.7.24道新夕刊 日共 抗議論文(7.20アカハタ) ソ連、原水禁運動分裂図る

◎1964.7.25道新 ソ連代表団第一陣が来日 “原水禁運動統一を”

◎1964.7.30道新 原水協主催(日共系) きょうから原水禁世界大会 70か国、9団体が参加

◎1964.7.31道新 ソ連の予備会議招請 “中共破門”のウズ広がる 目的達成は疑問 日共不参加か? 調停に回る国も

◎1964.8.1道新 ソ連系代表 “反ソ派の独占”に抗議 原水禁大会に不参加

◎1964.8.1道新 原水禁大会第2日 役員 中国派が独占

★1964.8.1道新 世界党会議のソ連提案 中ソ対立、新たな段階へ 中国の拒否は予測 国際軌道から除外作戦 中国派:中国、アルバニア、北ベトナム、北朝鮮、インドネシア、日本 不明:キューバ、ルーマニア

◎1964.8.2道新 原水禁大会で声明採択 ソ連系代表を非難

1964.8.2道新夕刊 原水禁国際会議 決議採択し閉幕 “米帝国主義”と闘う

1964.8.4道新 京都と広島で原水禁大会 議長団に岩井氏ら

1964.8.4道新夕刊 フ首相 部分核停1周年で言明 独問題の解決を

1964.8.6道新 原水禁世界大会閉会総会 米軍(ジョンソン大統領)の軍事行動(北ベトナム)で緊迫 非難決議を採択 北ベトナム代表 連帯強化を訴える

1964.8.9道新夕刊 ホー・チミン北ベトナム大統領 軍に戦闘準備要望

★1964.8.11道新 米の北ベトナム攻撃 中ソ関係にどう響く 中国、反ソ宣伝へ ソ連の発言力弱まる

1964.8.16道新夕刊 フ首相語る 戦時の核使用禁止 首脳会談を歓迎

1964.8.17道新夕刊 フ首相 キプロス問題で警告 内政干渉やめよ 爆撃で紛争解決できない

1964.8.21道新 フ首相 新農業政策発表か 給与制度を全面改革 

1964.8.22道新夕刊 トリアッチ伊共産党(170万人)書記長死去

★1964.8.23道新 トリアッチ書記長の死 中ソ対立にも影響 暫定後継者はロンゴ氏か

1964.8.24道新 社党社会主義理論委(鈴木茂三郎委員長)が結論 平和的移行を強調 構造改革論には触れず

◎1964.8.24道新夕刊 日共発表 11月に第9回党大会

◎1964.8.26道新 日共 志賀問題で規約違反と中野重治らを処分、神山茂夫中央委員を権利停止処分(3か月) 佐多稲子、国分一太郎、渡部義通を除名処分

(参考)8.23~8.27第10中総における処分。これより前の7.13~7.15第9中総で、宮本、野坂、袴田.西沢(隆).川上.金子.多田らが神山、中野を批判。その後9.25~9.30第11中総で志賀、鈴木に続き神山.中野が除名される。

1964.8.27道新 伊共産党書記長にロンゴ氏

1964.8.29道新夕刊 中国 技術者追放に怒る モンゴルに経済制裁

1964.8.30道新 各国共産党の指導者 後継めぐる波紋 チトー、ユーゴ大統領⇒ランコビッチ副大統領 毛沢東中共主席⇒劉少奇副主席、フルシチョフソ連首相⇒ブレジネフ書記、金日成北朝鮮首相⇒崔庸健最高人民会議常任委員長

1964.8.30道新 イタリア インフレ危機を脱す 国際収支は均衡化 一連の経済政策が効果

◎1964.8.30道新夕刊 日共10中総 神山、中野両中央委員に党員権停止

★1964.8.31道新 中共 対ソ回答書簡を発表 分派会議に反対

★1964.8.31道新夕刊 ソ連共産党 中共の参加なくても準備会議は強行する

1964.8.31道新夕刊 世界人口31億を越す ①中国6.7億人、②インド4.49億人、③ソ連2.2億人、④米国1.87億人、⑤インドネシア0.98億人、⑥パキスタン0.97億人、⑦日本0.95億人、⑧ブラジル0.75億人、⑨西独0.55億人、⑩英国0.53億人

◎(重要)1964.9.2道新 除名必至の神山、中野氏 日共幹部会を非難 スパイ容疑、党破壊活動容疑 宮本書記長、西沢富夫らインドネシアへ出発 蔵原惟人はルーマニアへ 中共と連絡を取りながら世界会議不参加を説得工作に

*(*は僕の考え)宮本らは、9.1~9.14の日程でインドネシア、中国を訪問。当時、中共、日共、インドネシア共産党はトライアングルを形成し、戦術的には軍事蜂起も辞さないと言う共通点を持っていた。4.17ストで幹部不在中という言い訳をした日共だが、凝りもせず再び宮本はインドネシアを訪問している。この訪問は、日共が平和革命論に乗り切れず、「敵の出方論」を持ち続けていることを象徴する出来事だったと思う。

◎1964.9.2道新夕刊 日共 ソ連の独善を非難 兄弟党に乱暴な干渉 プラウダ:千島などの領土問題、不当な毛主席発言

★1964.9.5道新夕刊 フ首相 激しく中共非難 “労働階級”を破壊 

★1964.9.6道新 イタリア共産党 党大会準備会議受諾で和解呼びかけの動き トリアッチ覚え書きを発表(9.5夕刊)

1964.9.8道新夕刊 フ首相言明 世界党予備会議の開催 予定通り12月に

◎1964.9.11道新夕刊 日共・インドネシア共産党(アイジット議長)9.7共同声明に調印 分裂深めない共産党会議を

1964.9.12道新 チトーのハンガリー訪問 外交界 強い関心 東欧首脳会議近づく

1964.9.12道新 周恩来首相 動静が1か月も不明

1964.9.13道新 中国 新たな整風運動 ソ連派を一掃か 修正主義者とやり玉に

◎1964.9.14道新夕刊 毛主席 宮本日共書記長と会見(北京) 宮本は広州へ

*(僕の疑問)周恩来首相の動静が不明も、9.10宮本らは中国共産党劉少奇副主席と会談。その後、宮本は毛と会談、当時の中共内の毛、劉、周の権力関係がわからないが、この時毛との間で何が話されたのだろうか。後知恵になるが、中国共産党に焚き付けられたインドネシア共産党の武装蜂起失敗(1965.9.30)壊滅の歴史からは、毛沢東が宮本に対して、日本革命、対ソ、対米戦略でかなりリスキーな圧力をかけたのではないかと推測する。

★1964.9.16道新 フ首相 領土問題など語る (福永自民党)訪ソ議員団との会談で 歯舞、色丹返せない 挑発にすぎぬ毛主席 強力な新兵器の開発

★1964.9.16道新 中国が非難 フ首相の西独訪問 ドイツ問題も中ソの争点に 東独売り渡す陰謀

1964.9.18道新 トリアッチ論文発表の背景 自信深めるフ首相 「モスクワの寛容さ」強調

◎1964.9.21道新夕刊 25日から注目の11中総 内憂外患の日共 除名や新党結成の動き 野間宏、渡部義通、朝倉摂が党を批判

1964.9.23道新 東独 グロテウォール首相の死後(9.21)もウルブリヒト路線は不変 

★1964.9.23道新 中国共産党 上級指導者を粛清か 中ソ論争からむ

★1964.9.25道新 ソ連 中国に代表団(グリシン】派遣 国慶節の招待に応ずる 

1964.9.27道新 インドネシア(スカルノ大統領)・マレーシア(ラーマン首相)の対決しばらく小康状態か 時間稼ぐインドネシア 

★1964.9.27道新夕刊 国連筋 世界共産党準備会議で語る 中共の対ソゆさぶり成功 中止または目的変更

★1964.9.29道新 タス通信報道 中国の科学者ら60人 ソ連で原子核研究 

★1964.9.29道新夕刊 ソ連代表団 中国へ出発 党・政府の肩書で

★1964.9.30道新 ポノマリョフソ連党中央委書記強調 国際会議は必要 中共とは友好的に対処


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