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ボリス・ヴィアン 「脱走兵」 ロシアのウクライナ侵攻 その2 国家総動員法

2022-04-15 13:51:49 | Weblog

新学期が始まった。近所の小学校に通う児童たち、毎日ランドセルを背負って黙々と登校する。なぜか下校時は歓声を上げている。一人ひとりのランドセルの色がカラフルだ。学校から出てくる子どもたちを見ると、ピンク、ラベンダー、キャメル、ネイビー、グレー、ベージュ、パープル、クリーム・・みんなと同じではない好きな色を選んだのだろう。黒と赤の時代とは隔世の感がある。

 

「脱走兵」(ボリス・ヴィアン) ロシアのウクライナ侵攻 その2 国家総動員法 

フランスの詩人ボリス・ヴィアンの詩を引用する。

「脱走兵」

大統領閣下

お手紙を差し上げます

お時間があれば

たぶん読んでいただけるでしょう

水曜日の夜までに

出征しろという

私宛の召集令状を

受け取ったばかりです

大統領閣下

私はやりたくはありません

哀れな人々を殺すために

私は生まれて来たのではありません

あなたを怒らせるつもりはありませんが

私は覚悟を決めました

私は脱走します

 

血を捧げなければならないのなら

あなたの血を捧げなさい

あなたはよき神徒です

大統領閣下

もしもあなたが私に追っ手をかけるなら

憲兵たちに伝えてください

私は武器を持っていない

発砲してもかまわないと

「殺すな! ウクライナ侵攻から導き出された言葉」(金平茂紀 『世界』2022年5月号)から引用

ウクライナとロシア、2人の大統領がいる。2つの国には大統領と国民がいる。はたして大統領と国民は全く同じ気持ちで戦っているのだろうか。両国ともに政府と違う考え方を持っている国民はどうしているのか。「やりたくない」という自由は確保されているのか。

欧米発の情報だが、ロシア国内の情況が少しだけ伝わってくる。政府に異論を唱える者たちが厳しく弾圧されている。だがそれに抗する市民たちも健在のようだ。ロシアを擁護するつもりは全くないが、一方のウクライナはどうなのだろうか。ロシアのこの間の非道な軍事侵攻に対して一般国民も火炎瓶の作り方の指導を受け、武器を取って国のために戦っていると伝わる。あえて言う。ゼレンスキーは国家総動員法を発令して成年男子の出国を禁じ、銃を持ち抵抗することを義務化した。そこに「やりたくない」という自由は確保されているのか。全員自発的に戦っているのだろうか。

敵側からプロの兵士と素人の国民との区別を見えなくすること(国民皆兵)は、無差別の殺戮による国民の犠牲を増やす。他国から侵略された際に住民と軍人を明確に分けることは為政者の使命だと考える。ゼレンスキーのやり方は一見美しく感じてしまうが国民の犠牲を増やしてしまう。

ひとりひとりの考え方が違っていてもいいという自由も、戦争はそんなことを一気に吹き飛ばす力を持っている。僕はそこが怖い。マスコミは欧米からの画一的な情報しか発しなくなっている。国会も野党の政権へすり寄りで翼賛化している。この国の気分は既に戦時に投入してしまっている。

危機に瀕すると、おまえは祖国のために、家族を守るためになぜ戦わないのかと問われるのだろう。しかし、この国は戦争をすることが決して祖国のためにも家族のためにもならなかったことを先の大戦で心の底から学んだはずだ。「やりたくない」という言える社会を守らなければならない。

理由はあとから考えよう。とりあえず即時停戦。これ以上、死者を増やすな!

 


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