晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『国家とはなにか』 その3

2011-07-08 21:02:15 | Weblog

 7月に入ってアナログTVの画面には、常時「アナログ放送終了まであと○○日」の文字が左下に表示されるようになりました。

 ニュースの字幕やスポーツ番組のスコアなどは邪魔をされて見えなくなりました。

 これを「お知らせ」レベルを超えた「容赦なき暴力」と言わずに何と言えるでしょうか。

  

 

 引き続き、萱野氏の著作の要点をノオトする。

 

第四章        主権の成立

 主権国家体制がどのように形成されてきたのか。

 

 暴力への権利が一元化されるということが、主権の成立の基礎にある。ホッブズの自然状態「各人の各人に対する戦争」は、近代以前の国家形態である。

 

主権が成立するためにはどのような条件が必要か。

特定のエージェントが他を圧倒しうるだけの暴力を蓄積することが必要になる。ノルベルト・エリアスによると、近代国家による暴力の独占は、貨幣経済と火器の発達による富と土地の集中である。それによって、宗教的な権威(神授権説)から<政治的なもの>の自律化(社会契約説)に。

 

暴力の独占にともなう権力関係や富の徴収の一元化は、統合された領土の観念をもたらす。単一的な領土へと編成された空間は、国境によって他から区切られなくてはならない。国境が画定されるためには、主権の間の相互承認が不可欠であり、そのため主権国家間システムを現出する。

 

国家の存在を支えるものが、人間の間の主従関係から、非人間的な領土へと転換される。(国家の脱人格化)これにより国家は、様々な政治闘争がくりひろげられる形式的なアリーナへと変容する。様々な政治集団は、国家―領土的な枠組みの中で支配や決定をめぐって争うエージェントとして位置づけ直される。すなわち、国家の歴史は、領土化された同一の国家的枠組みの中で様々な集団が時の政府を担ってきた歴史として表象されるようになる。

 

次章では、いよいよ国民国家のからくりが萱野流に明らかにされる。

 

 

 

 


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2 コメント

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身をかわされたら (生住滅)
2011-07-09 07:39:13

昔日、真夜中のテレビ画面は「砂嵐」でしたが、それなりに饒舌でした。

テレビ如きに「暴力」を見るのではなく、スイッチをOFFにされたら。
でなければ、バケツ一杯の水(できれば塩水)をぶっかけるとかされたら如何でしょうか。

僕はテレビをあまり見ないので、ご立腹の質が針小棒大のような他人事のように思えてしまいます。

貴兄のご立腹が、この世界が一瞬にして凍てつく質でないような、失礼があったらご容赦を。
また、何でもかんでもガチンコされている訳でもないでしょうから。


この地の季節は、初夏の衣を脱ぎ捨てました。


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歓声! (晴走雨読)
2011-07-10 20:23:17
 生住滅さま、コメントいただきありがとうございました。

 夕方、ランニングをしていたら、住宅街の一角のおそらく複数の家からでしょう、絶叫の後、大きな歓声と拍手が響いてきました。

 皆さん、同時にテレビを見ていて、日ハムが勝った瞬間だったのでしょう。

 TVの影響力、侮ること無かれです。

 
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